きょうのるっちゃん2001その2
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2001年4月10日(火)
博物館同好会の帰りにMちゃんにバレエ用品店を教えてもらった。やあ、安心しました。CAPEZIOのものしかなかったけれど、タイツからポワントからラップまできちんと揃っている。次の一時帰国の時にNYか日本で買うしかないのかなぁと思っていたモノが手に入って幸せ。27度-6度


2001年4月4日(水)
何か騒々しくて目が覚めた。が降っていた。う〜ん。こんな時期のサンティアゴに何か降るなんてやっぱ異常気象?

とかなんとか言ってたらアポキンドのシティ・バンクで銀行強盗?に遭遇して足止め食ってしまった。う〜ん。それとも訓練だったのかなぁ?またしても緊迫感なかったし。27度-9度



2001年4月1日(日)
うちの前のドイツ人学校で消防隊の訓練(もしかしてお祭り??)をしていた。あんまりうるさいからちょっと覗いてたんだけど。3階ぐらいの高さに梯子を汲み上げて……そうそう、公園なんかにある「うんてい」みたいな形にね……その上を歩いて反対側に渡るって内容。それだけじゃなくて消火ホースから放たれる水を四方八方から浴びながら移動するのよね。かなりの水圧だよ。水で足を滑らせている人もいるし。梯子の下にクッションとか置いてあるわけじゃないしさ。落ちたら一大事だと思うんだけど……。やぁ何事もなく終わって何よりでした。28度-5度


2001年3月27日(火)
いつだったか忘れたけど何週間か前に日本から美味しい昆布巻きのお総菜が届いた。日本の高級食材ってすごい立派な包装されてるじゃない。今回のも例外ではなく、金箔のついた変六角柱みたいな麗々たる箱に入ってたの。わざとじゃないんだけどダイニングテーブルに置きっぱなしにしてたらメイドさんが片づけてくれた。しかし、あれは何に見えたかな〜と思って探したら、私がインドネシアン・グッズなど金ピカ製品を置いている玄関脇の飾りテーブルに並べられていた。表に「鮎巻き」とか書いてあるんだけど、うちの子たちですら読めない草書っぽい字だったしね。気持ちは分かるっ!

いったい何に使われるのか不安なんだけど、バレエのレッスン中に録画カメラを抱えた人がやってきた。確かに先週「来週は取材があるから休まないでね。髪もきちんとまとめておいてね」って言われたんだけど。普段通りにしてたつもりだけどやっぱり間違えまくったし(あ、それこそ普段通りかい?)。やだやだ。27度-6度



2001年3月15日(木)
なんだかむちゃくちゃ忙しい日だった。

午前中はTちゃんに連れてってもらってセントロの韓国屋さんに。アグアビバにも初めて行けて、あ、その前に捜し物を見つけられたりしてこの辺は収穫が大きかったのだけれど。

家で作業しながらもそもそとお昼を食べて(お行儀悪い)早帰りの子ども達をお出迎えして、バレエ教室で食べるおにぎりを作ってから個人懇談のために学校へ。2人分の懇談を終えて家へとって返す(バスに乗れるとこまでYさんが送ってくれた)。この段階でバスと徒歩でかなり疲れちゃったのでバレエへはタクシーで行く。年会費やら月謝やら払って子どもがクラスに入ったのを見届けてPTA役員会へ。役員会が終わったらダッシュでスタジオに戻って自分のレッスン。

忙しいのは嫌いじゃないけれど何だか妙に悲しくなってしまった。この一日の動きのどこにそこまで気持ちをかき乱す要因があるのか自分でもよく分からないんだけど、最後たった20分、2つのアンシェヌマンしかできなかったレッスン、それがもし全くできなかったら泣いてしまっていただろうなってぐらい悲しい気分。ここに来たばかりの時、かなり落ち込んでたけどあれに勝るとも劣らぬような。変なの。なんでだろ。29度-11度



2001年3月11日(日)
夏時間が昨日で終わり。

家中の時計を1時間遅らせなきゃ〜、「分」を統一するのに一番確実なのはパソを基準にすることだよな、と思って画面を見たら、あれ?標準時間に戻ってる……確かに「夏時間を自動的に設定する」ってモードにはなってるんだけどさ、こんな本当に自動的に変わるもんだったんだ!賢すぎ。ちょっと感動(イスラムの不確定暦に慣れすぎてるからそんなことに驚くんだと夫には言われてしまったけど)。

夏時間と言えば。Xファイルとか見ていると、午後8時とかでもせいぜい「夕方」って感じですんごく明るいから、てっきり撮影の都合かなんかで日の光が残っている時間を「夜」に見立ててるんだと思っていた。知識としてはもちろん夏時間ってのは頭にあった。でもいくらなんでもそこまで日が長いなんて思いもしなかったのよね。初めて夏時間制のある国で夏を過ごしてみて納得したわ、本当に9時ぐらいまで明るいんだ。やっぱXファイルはすごいかも(……そういう結論になるかい)。

あ、それと「季節が変わると風の向きが変わる」みたいに言われてて「まぁなんてロマンチックな感じ方をする人たちなんだろう」って思ったんだけど、これも極めて現実的なことだった。実際にどうなのかは知らないけれど、夏の間は街から我が家(アンデスの山)方面に風が吹き抜けていくのかも。夜や朝はほぼ無風なんだけど、午後から日没まではテラスに出るのも怖いぐらいの強い風が毎日吹いていた。おかげで「夏なのに山には雪」って写真をずっと撮りたかったのに冬には感じなかった「もや」がかかってしまって撮れたもんじゃない。冬は反対向きの風が吹いてスモッグを街に閉じ込めちゃうんだろうか。面白い。25度-10度



2001年3月8日(木)
私ってやっぱりマナキー国出身なんだなと思った。スペイン語の時間に「あなたの国の大統領/首相の誕生日はいつですか?」と訊かれた。「え〜、そんなの分かりません」という答えを導くための例文だったのでよかったんだけど、そう訊かれて改めて私の記憶の中では(とんでとんでとんでとんでとんで……まわってまわって……)3-4代ぐらい前の首相から訳分からなくなっちゃってることに気づいた。一方、「じゃ元首の誕生日は?」って訊かれたらするっと出てきて答えた当人がむしろびっくり。

これが誰かを大統領にするために躍起になったりしている共和制の国の人だったら自分が推した大統領の誕生日ぐらい知っているのかしら。密室の中で長が決まってたジャカルタジャパンクラブ婦人部の役員なんか「さすが日本人の組織、本国そっくり」と思っていた。誰が長になっても関係ない……ことは私にはなかったけど、ぴちぴちニョニャにとっては婦人部長なんて雲の上の人だったみたいだ。サンティアゴではほぼできレースとはいえ選挙してるだけオープンと言えるのかな。会長さんの誕生日もきっと誰でも知りたきゃ知る機会があるだろう。後は選んだ人がちゃんとそれだけの責任があると自覚して役員さんを支援する体質にならないとイジメもできちゃうけどね。32度-12度



2001年3月6日(火)
同じドラマでも舞台とTVって演じ方がかなり違うんだよね(映画とTVも違う)。どっちもそれなりの難しさやテクがあるから、どっちがどうって話をここでしたいわけじゃないんだけど、やっぱりTVは断然楽〜って私は思う。極端な話、TVは下半身ハダカでも撮影はできる。上半身しか映さなきゃいいんだから。いざとなったらセリフが全部頭に入っていなくてもカンペを見られるし、声が録れてなきゃアフレコも可能だ。でも舞台はそういうごまかしって通用しない。観客になった時の私自身がセリフを喋っている人以外を見ている癖があるからよけいそう思うのかもしれないけど、舞台に立っている間は一瞬たりとも気が抜けない。どこをどう見られているか分からないもの。舞台全部が一つの絵として成り立っているのよね。

久しぶりに他人様から注文されたまとまった量の絵を描いて、自分が何だかTV寄りの表現になっていることに気づかされた。例えば顔をupにして目の表情で何かを語らせるとかね。うん。だからどっちが良い悪いって話をしたいんじゃないんだよ、あくまで。なんだかんだ言ってTVで育ってきている世代だしね。ただ改めてそうやって見回してみたら絵にも舞台っぽいとかTVっぽいみたいな差が歴然とあるなぁって思っただけ。29度-10度



2001年3月3日(土)
さりげなく他人を励ませる人ってエライなぁと思う。

今日はPTA総会&学校の送別会だったんだけど。先週だっけ、ガムランを弾いたのは。その時のことをわざわざ「すごかったですね〜」って言ってくれたセニョールがいた。しかも私が一番気にしていた「30人がかりでやるべきものをたった1人でどう表現できるか?」という部分に対するプラス評価だった。うっかりしていたのだけど、このご家族はアジア方面に駐在されていたことがあって、その時にバリに何回か遊びに行ったことがあるのだった。だからガムランもバリダンスもご覧になったことがあるの(しぇ〜!誰も知らないと思っていたからできた暴挙だったんだけど……)。その彼が私の演奏で「いやぁ、ガムランのあのうわ〜っとした雰囲気を思い出しましたよ」みたいなことを言ってくれた。お世辞でも嬉しすぎる……。

そういえばこのセニョールは一度うちにみえたことがあるんだけど、その時になんとバティックを着てきて下さったの。永年インドネシアにいた人の家に行くにはこの服しかないと思ったそうだ。そう思えることそのものもすごいし、私みたいに誰がどこに住んでいたかなんてすぐ忘れちゃわず、しかもその土地の文化をちゃんと分かっていて、自分でコーディネートできちゃうなんてただ者じゃない。それが押しつけがましくないところがさらにミソなのだ。

どっちかというと(明らかに、か?)私もポジティブ体質だからだろうか、自分はそんなつもりはなくても「るっちゃんの文章読んで元気が出た!」って言ってくれる人も多い(まぁその反対もあるだろうケド、わざわざ言ってくる人はまずいないから分からない)。お会いしたことのない方からも悩み相談系のメールをよくいただく。そんな時には、どうしようもない現実は指摘するけれど、本人の希望が叶わなくても極力気持ちが明るくなる方向に考えてお返事を書く。でもそういうんじゃなくて、何ていうのかなぁ、やっぱり何気ない一言に勇気づけられたって言ってもらえた時の方が嬉しかったりするんだよね。件のセニョールには遠く及ばないけど私もそんな人であり得たらいいなって思う。

と同時に先入観や一般論でくくられてまだまだ傷つく自分の幼さを感じたりもする。夫の付属物みたいな見られ方はやっぱり悲しくなるな。女性が機械に詳しかったらなんか問題がありますかい?30度-12度



2001年2月25日(日)
ボールのついていない光学式マウスがやってきた。前々からMJのiMacの方がサクサク動くしイラストレーター使う時とかはそっちでやればって言われてたんだけど、あのまん丸い持ちにくいマウスでだけはお絵かきしたくないと思っていた。でも私のハードユーズに堪えていたパワーマックがとうとうこないだ寿命を迎えて結果的に一番忙しい時にあのボタ餅マウスで作業するハメに陥っていたの。ああ、やっぱマウスはこの形よね。ふぅ、落ち着く。

と思っていたら締め切りの一つが来月中旬まで延ばせるってメールが届いた。らっき〜!小躍りしちゃったよん。現金なモンで一瞬だけど久しぶりに36度台に熱が戻った。でもさりげなく追加注文もあったっけ……ってよく見たら前より難解な文章が30ページ以上あるやん、頼み上手やなAちゃん……。はい、また一句。うかれるな、日にち延びたが量減らず。うぉっしゃ!まずは今月締めの仕事もう一踏ん張りやでぃ!26度-10度



2001年2月24日(土)
日本人学校でY先生・K家・M母子送別会。

ガムラン演奏して〜って月曜日の夜あたりに頼まれたっけ。30人近い人数で演奏してこそ、のゴン・クビャールを一人でやるなんて無理があるから本当は一人でもサマになる苦手なグンデルをしなくちゃと思った。でも既に寝る間を惜しんでる状態よ、これ以上練習にあてる時間も作れないしどないしよう、と、逃避してマヌクラワを弾いていたら夫が「それってすごいね〜、一人でもガムランっぽく聞こえるもんね」とぽろり。その一言に勇気づけられて、Mに踊ってもらって私はその伴奏っちゅうことでガンサと太鼓をすることにする。それでも最低限の旋律が聞こえるように2人分の音を一人で叩いたもんで腕が痛くなるのなんの。もっと大変だったのは聞き慣れない音で踊らなきゃいけなかったMかな。踊り終わって「出来は100点満点の50点」って言ってたし、私も自分自身に対してそう思う。間違わずにできたぐらいじゃどうしようもないよな。でもやっぱりガムラン弾けるって幸せだった。

後半はカラオケ大会。まぁ盛り上がるのなんの。幹事さんはこんなみんなの気質をよく見抜いていたな。29度-11度



2001年2月22日(木)
日が短くなってきたのだけれど。朝6時半はまたすっかり暗くなってしまった。今日はサンティアゴも最高気温が27度までしか上がらず、洗濯物干そうと思ってベランダにノースリーブで出たら数分とて我慢できなかった。寒う〜。27度-12度


2001年2月18日(日)
こんなに追いつめられているのに〜、このバカシオネスのシーズンにどこにも行っていないでしょうという夫はじめ職場の方の(有難いような泣きたいような)配慮で車で2時間半ほどのビーニャ・デル・マールという海辺の街に一泊。冬にドライブに行ったことはあったのだけど、夏は海外からもたくさん人がやってきていてまた雰囲気が違った。ちょっとバリ島のクタみたいで嬉しくなっちゃう(泣きたいような気分はどこいった<ここら辺の気持ちの切り替えが見事でしょ)。面白そうなお店もあったし、ってチリでインドの服を買うヤツ。

何より面白かったのは山を越えるとこんなに違うかいという気候。朝からお昼2時ぐらいまではこれが日本だったら「あら残念ねぇ、今日は泳ぐ気分じゃないかも」って感じの夏をあきらめて的曇り(半年ぶりぐらいにみた小雨が何だか懐かしかった)。ところが2時を過ぎると嘘のように青空が広がってみんないそいそと海へ。これが毎日なんだって。見事だった。「海辺ってどこもこんな天候ですよ」って説明されたけど少なくともうちは朝から快晴タイプだったな。いろんな常識があるもんだと再認識。

海水は「雪解け水?」って思うぐらい冷たくて私は波打ち際に立っていることすらできなかった。パラソルの下ではカーディガンがないと震えちゃうぐらい寒い。最低気温はサンティアゴより2度ほど高いけど、最高気温は5度前後低くて26度ぐらい。なるほど、こんなに涼しくなっちゃうもんかい。でもみんな一生懸命「水あみ」してたな。貴重なシーズンなんだろうな。

大人が胸以上深いところに行こうとしたり無茶な遊びをしようとすると監視員さんに注意されちゃう。はて〜、海水浴場ってこんなもんだっけな?と思ったら、私は「公共の海水浴場」というところに行ったことがないと気がついた。歩いて数分で海ってトコに住んでたからわざわざ行く必要がなかったのねん。私にとって海ってのは延々と遠くまで泳いだりするのが面白いのだけれど、確かにみんながそうじゃ命が保証できなくてやってらんないだろう。いずれにせよお陰様で良いリフレッシュになりました。32度-12度/26-14



2001年2月13日(火)
博物館同好会でテレビ局(canal13)を見学に行く。

良く言えば開放的、厳しく見れば無防備……大きな学芸会やってるみたい。でも日本のテレビ局にはない、作り物じゃない明るさがあって良かったな(あ、でもこの頃の日本を知らないけど)。テレビ局というより学校みたいだ、と思ったらそれもそのはず(?)大学の持ってる局だそうだ。「緊張感がないな〜」といつも思っていた朝のワイドショー系の番組はなんと、オープンエアのスタジオ……いや裏庭って言った方がいいかな?からのオンエアだった。ガラスなんかでも仕切られていないし、外の人の声も入っちゃう。虫もブンブン飛ぶはずさ。で、中継の比率が高いせいか、スタジオはホントに緊張していない。「自然な感じで」って演技というより、あれは素だね。メインでニュースを撮るスタジオも建物の入口に近いガラス張りの部屋でびっくり。誰かに襲撃される危険性なんて考えてないな〜。日本の放送局が入り組んでいるのはクーデターなんかの時に占拠されにくいように、って聞いてたし(計画性なく建て増ししたせいとちゃうんかと一瞬思ったりもしたが)、私が通っていた某局なんて乗るエレベーターを間違えると同じ階で降りても目的の場所にたどり着けなかったりして関係者ですらよく迷っていたものだ。まぁcanal13を占拠したところでどうってことないとお互い思っちゃってるのかしらん?でも中で働く人にも妙な気負いとかないし自然体でいいかもね。人気番組とて夏休みで休止中ってのは笑っちゃった。31度-12度


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