2002年1月30日(水) バレエが休みの間なにもしないと体がなまるっちゅうことで、GOスパ&ジムの会員になったさ。去年はパワージムの会員になったんだけど、やっぱり若干遠くて通い切れなかった。今年は歩いても5分っちゅうことでなかなか好調にクラスをこなしてます。 今日は念願のピラーティス。ここのヨガはかなりハードで、最初の日みたいにもろ腹筋鍛えます!系がずっと続くんだったら困っちゃうなぁと思っていたんだけど、まぁそれはなく。そのヨガの先生がピラーティスも担当してる。不思議な雰囲気があって私好きなんだな、この人。それはともかく。ヨガの時にも思ったんだけど、体柔らかい人が多いんだよね。今日なんかまさにバレエの足の一番とか、二番でグランプリエじゃん、というポーズが出てきたんだけど、難なくやっちゃう人の多いこと。「体が柔らかい」とか「体のコントロールがよくきいている」とか誉められてもうっかり「バレエやってますから」とは言えない。いまだに一番は180度開かないもん。
かつてサンティアゴの現地校に通っていた日本の子の文章をたまたま読む機会があって。スペイン語もできなかったその子が「何でも他の子と同じように一人でやろうと躍起になっていた自分に必要だったのは、『足りない自分』を認めて周りの助けを素直に受け入れる姿勢だった」みたいに書いていたのに何だかホロっときちゃった。高校生とかでそういうことに気づくって偉いよなぁ。そして、周りも「でもあなたがそうやって努力していなかったら誰も助けようとはしなかった」って言ったそうで。麗しいじゃん。30度-12度
2002年1月24日(木) 子ども達がサマーキャンプなもんで、だぁりんと二人でプロビデンシアにあるASTRID Y GASTONに行く。むちゃうまいお店やん。サンティアゴに来て初めて「美味しい」故にリピートしたいと思えるお店に出会ったわい。こりゃみんなに勧めちゃう。それにしても、昨日の夜はフランス料理だしこの頃昼・夜と外食づくめ。肥りそうだな……。30度-13度
2002年1月19日(土) 日本人学校のバザー。今年は20周年ってこともあって大盛況。一部の人の準備が大変になっちゃったりと反省材料はたくさんあったけど、何より子ども達も喜んでくれたし、過去最高の収益が上がったそうで素晴らしい。役員としても、何をしたって訳じゃないけど一つ大きな行事が済んでホッとした。 打ち上げも早々に(って訳にもいかなかったけど)切り上げて鼓笛へ。「ミッション・インポッシブル」をやりたいなんて、それこそインポッシブルなことを言ってくれちゃう。4分の5拍子なんて、この人達に取れるんだろうか???しかもせっかく楽譜準備してきたのに明日の夏期講習会の準備とかあって全員集まらないしさ。これで夏休みに突入しちゃうはずだ。心配。29度-13度
2002年1月13日(日) 鼓笛の練習がお昼にかかっちゃって。じゃあみんなでお金を出し合って何かしよう、っていう段になると少年達が動くんだなぁ。女性を労るって習慣なのかしら。買い出しに行くのも、サンドイッチを作って一人一人にサーブするのも少年達がやってくれた。「オ〜ラ、チキージャス。お待ちかねの食べ物ですよ〜」なんて8歳ぐらいの男の子でも物怖じせず言っちゃう辺りがラテンよね。息子に親切にされるってこういう気分なのかなぁなんて思っちゃった。31度-11度
2002年1月6日(日) 筋肉痛どころか久方ぶりに風邪をひいて寝込んでもた。声まで出なくなったのは5年振りだな(ん?そう考えると頑丈だな私って)。32度-13度
2002年1月5日(土) やばっ。またトゥシューズじゃないもので足にマメ作ってしまった。ハイヒールでバスケなんかするから……。そうそう。Mが実力テストだったもんで付き添いで学校にいたんだけど、ちょっと退屈したもんでフリースロー100本打ったろうと思ったの。そしたら入らない入らない。リバウンドするのも疲れちゃって。結局目標半分も達成しないでJとの遊びに逃げてしまった。ここで一句。「いつまでもあると思うな過去の技」。やっぱ持続って力よね。明日は筋肉痛だわ、あ〜ぁ。31度-14度
2002年1月2日(水) そんなこんなで帰路に就く。移動にかなり時間のかかるハードな旅だったけど、月に1回あるかないかという好天が5日も続いちゃって、この後どうなるんでしょうという感じではあるものの、私たち的には大助かり。パタゴニアは年中強風が吹いていて、木の形が変わっちゃうぐらいなんだけど、サンティアゴに帰ってきたら、ここにもそういう木が少なくないことに気づいた。確かに季節にも寄るけどかなり強い風が一定方向に吹いてたりするもんなぁ。想像以上に得るものの多いナイスな旅でした。プンタ・アレナス15度-6度(サンティアゴ29度-15度)
2002年1月1日(火) 元旦に田舎町で自由行動って言われてもねぇ?どこもかしこも閉まっているので、ブルネス砦へ行ってみる。そこから更に、車で行ける南米大陸最南端というポイントに行って石を拾う。途中で「ここがチリのおへそ!」というモニュメントを発見。なるほど、私たちは「最南端へ来た!」とか思っているんだけど、南極までをチリの領土と考えている人たちにとっては、この辺がようやくチリの真ん中になる訳ね。日本でもどこの土地に行ってもその土地の人は何らかの理由でその土地を誇りに思っているものだけど、いやはや、「私が地軸」という考え方を久しぶりに見た気がした。 お昼過ぎにいよいよすることがなくなってしまったので、疲れてお休み中のみんなをホテルに残し、一人でお散歩する。4時間ぐらい歩き回ったんだろうか。よく考えたら入り込んじゃいけないようなところまで行ってたんだろうな、人っ子一人いない道でやたら野良犬にまとわりつかれたし、車で通った時に「軍所有の居住地」と説明された場所ではむっちゃ大きな何匹もの犬に吠えつかれて(っていうか放し飼いの上、門扉が開いてたんであと一歩のところで噛みつかれそうになって)参った。電車が近づいてきてるのに線路上で身動き取れなくなっちゃって……っていう体験をした小学校の時以来のヤバさだったなぁ。どうやって回避したのか今回も詳しい記憶は飛んでるし。
そんな目に遭いながらもどうしても写真に撮りたい場所があったので、街を離れてどんどん歩いていったんだけど、こんな時にそんな所を歩いているのがよっぽど珍しかったのか、親切なおばちゃんが「どこまで行くの?」と車に乗せてくれた。これまた後でよく考えたら危ない行為だったけど、無事に帰ってこれたしよしとしよう。金色のモスクみたいな建物もあった。何なんだ、あれは。
2001年12月31日(月) ヌエバ・ガリシア号でバルマセダ氷河とセラノ氷河へとクルージング。プエルト・ナタレスの港に同じようなクルージングをする船が二艘並んでいて、私たちが乗った方は何だか古ぼけている感じで不安だったんだけど、中に入ってみるとそれは「趣がある」という長所に思えてきた。ロマンチックっていうのとは言葉が違うのかもしれないけど、下手に近代的なものよりちょっとレトロな方が最近落ち着くよなぁ。歳かしら。ああ、「銀河鉄道999」の気分ね。本体は超近代的な技術が駆使されている宇宙船?だけどお客様に接する部分は昔ながらの蒸気機関車風って感じで。えぇ、こっちは見た目も本体も古いんですが。しかも1時間近くMが舵を握っていたそうな。おかげで彼女はこのクルージングの間、その事実を知る人たちから「キャプテン」と呼ばれていたが。似たようなケースで大きな事故があった記憶も新しいんだけど、いいのか?そんなことで? ウルティマ・エスペランサ湾をずっと上っていくわけなんだけど、水を切り開く船首に立って、流れてく景色を見てたら「マゼランはどんな気持ちで航海していたのかなぁ」なんて500年前に気持ちが飛んでしまった。この湾が「最後の希望」みたいに名付けられたのは歴史的な背景が違うけど、何度困難や行き止まりにぶちあたっても「今度こそは大海原に出るに違いない」って希望を捨てなかったマゼランは偉かったねぇ。そして最後には大いなる平和な海=太平洋を見つけたのよねぇ。
パイネにしろ今回のクルージングにしろ、一緒になるのは殆どがヨーロッパとか北アメリカから来たいわゆる白人さん達。こうして見るとやっぱチリ人とは顔立ちが違うよなぁ。よく言えば思慮深そう、でもある種気難しそうっていうか神経質そう(ということは、チリ人は親しみやすくて朗らかな雰囲気だけど、あっぱらぱぁな顔立ちなのきゃ?な〜んて思っている私を見て、向こうは向こうで「東洋人って変な顔」とか思っているに違いない)。
どっちかというと私は旅先で同行した人と躍起になって友達になったりしようとしないので、突っ込んだ話は聞いてないんだけど、挨拶程度に交わした会話からの情報によると、何十日かだかの休暇をみんなでとってるUSAからきた教師の団体さんがいて、途中からカヌーみたいなものでパイネに行っちゃった。休みの取り方も使い方もダイナミックだよなぁ。
ドイツ系っぽい男の人と向かい合わせの席だったんだけど、年代物のカメラと三脚を持っててかっこよかったなぁ。やぁ、別に持ってるものがカッコ良いんじゃなくて、寡黙に眠っている姿とか(眠ってるのにお喋りだったらコワイか)、ふと目覚めた時に視線が合ってしまってもうろたえないクールさとかを含めて、何が一番渋かったかって、氷河を撮りに行ったあと、船に戻って早々にカメラのお手入れ始めたこと。旅先にもブラシとかブロアとか持ってきている辺りに愛着のあるモノへのこだわりを感じた。まぁ当たり前っちゃ当たり前のことなんだけど。
そうそう、セラノ氷河へは船を下りて歩いて行くのだけれど、これがまた良かった。グレイ湖の氷河より規模は小さいけど近くまで寄れるし、氷山が流れていく川も流れが速くて表情が豊かだし、気分爽快。乗り物に弱い私が朝から夕方まで船に揺られてる価値があると思えちゃうから不思議だ。
旅行会社の手配ミスでランチボックスを持ってこられなかった。一人1万ペソ(2000円っすか?)ぐらいで注文できるというから氷河についてから頼んでもらったら、ボートでぶろろ〜と届けてくれて水の上で受け渡し。こんな氷河の他に何もないようなところで、料理なんか作る場所があり人がいるのかぁと感動してしまった。内容的には暖かいサーモンの切り身とかでホテルのランチボックスより美味しくて良かったかも。
またまたバスに乗りプンタ・アレナスへ着いたのは夜。大晦日でホテルのレストランもダンス・パーティ仕様。真ん前にアルマス広場のあるCabo de Hornosは5つ星ってことで、ようやっと落ち着ける雰囲気。
2001年12月30日(日) ミロドンの洞窟に寄ってからパイネ国立公園へ。昨日はちょっと風があったんだけど、今日は月に1度あるかないかという好天らしく、暑いぐらい。それにしても国立公園の規模をちょっと甘く見ていたわ。大阪府よりちょっと小さいぐらいだって?車でたどり着くのだって、またしても片道3-4時間かかったし、中もぶんぶん飛ばしても見切れるものではない。トレッキングとか好きならここにお宿をとってゆっくりするのがいいんだろうな。写真を撮りたがるメンバーが揃っていたせいか、時間を食っちゃってガイドさんが先を急ぎたがるのなんの。 ニャンドゥやグアナコなんかの動物、サルト・グランデ(大滝)とかトーレス・デル・パイネ(花崗岩系の岩山群)とか湖とか、珍しかったり美しかったりするものはたくさんあったんだけど、今日のヒットは何と言ってもやっぱりグレイ湖の氷河だろうな。駐車場からしばらく歩くとグレイ氷河から崩れ落ちた氷山の流れ着く湖畔に出る。氷山の青は幻想的だし、岸辺にうち寄せられる氷の立てるシャラシャラと可憐な音が悠久の呪文を語る妖精のお喋りのようで、できればいつまででもそこにいたかった。ここに寝っ転がって星空見られたらサイコ〜とか、こんなところに家があったら、どういう子どもが育つのかなぁとか考えちゃった。移動時間も長かったし、たくさん歩いたけど、それなりの収穫があったわ。
夜は仕事仲間K家のみなさんと昨日・今日とツアーでご一緒していたNさんご夫婦と昨日のレストランでお食事。ひとしきり盛り上がる。
2001年12月29日(土) またしても突然旅行に行くことになった。夏だ。南だ。氷の世界だ!まだ南十字の出ているサンティアゴをあとにしてプンタ・アレナスへ。飛行機で3-4時間かかったかなぁ。遠いねんなぁ。窓から見える景色がだんだん青々としてくるのが美しかった。南米大陸最南端の街は夏といっても寒い。サンティアゴの最低気温が最高気温……てことは15度ぐらい、夏だから氷点下になることはないけど、それにしたって私には十分な寒さだわ。さらに南緯40度以南のパタゴニアは年中100km/h級の風が吹いているとかで、それが厳しい。私ってば寒さへの備え方が今いちピント外れなんだよな。去年ようやく「下着」を着るテクを覚えたぐらいだし(遅いってば)。フリースの上着じゃ風が防げなくて震えるのなんの。風が吹く冬ってのは耳とか痛くなることもようやく思い出した。風を通さない上着、帽子が必要でした。それが水にも強ければなおよし。私たちがいる間は晴れていたけど、雨も多いのね、こっちは。 まずはペンギンコロニーに行く。プンタ・アレナスから車で1時間ぐらいなんだろうか。パタゴニアらしいパンパを抜けて到着。ここでいきなり風の強さとそれで奪われる熱の多さを思い知る。でもちょっと保護区の中に入っただけで草地をひょこひょこ歩くマゼラン・ペンギンを発見。か、可愛い……。双眼鏡で見なきゃいけなかったり、運が悪ければ見られないもんだと想像していただけに、ほんの数メートル先にいるペンギンの群に感動。以前はこの側にある湖にフラミンゴがきたそうだけど、みんな死んじゃったんだって。残念。
続いて4時間ほどバスに乗りプエルト・ナタレスへ。こうやって移動ばっかりしてると体力勝負って感じだよなぁ。Lady何とかというホテルは噂によると「三つ星」ってことだったんだけど、バリのロスメンとどっこいどっこいのような感じ。ま、このシーズンにこれだけ急に泊まるところを見つけてもらっただけ感謝しなくちゃな。
街をお散歩していてホテルの近くに見つけたアサードのレストランが案外いけて。サーモンとアボガドのセビッチェが逸品。カニも思いっ切り食べられたし。う〜ん、みんなに勧めたいけど何て名前だったかなぁ。今はサンティアゴでも夜9時ぐらいまで明るいけど、こっちはもっと緯度が高いので11時ぐらいまで明るいのね。変な気分。
2001年12月26日(水) 4日ぶりに化粧したら顔がひび割れた。えええ?何だろうと思ったら日焼けだな。年末公演の翌日目が覚めたのはお昼過ぎ。しかもプールへのお誘い電話で起こされた。前後不覚でそれぐらい眠っちゃうほど疲れてたらしい。頭もぼんやりしてたし、なぜか腕が筋肉痛だったりして動くのもおっくうで、すっぴんのままプールサイドに降りていった。一応日陰にずっといたつもりだったんだけど家に帰ったらほっぺとか赤くなってた。そしたら、今日これだ。鼻の頭の皮がむけたなんて何年振りだ?。30度-13度
2001年12月22日(土) バレエ年末公演当日。午後8時開演に朝10時半のスタンバイ。2年目ともなれば慣れたけどね。通し稽古がすんだら途中家に帰ってお風呂まで入っちゃった。日本やジャカルタぐらいの大きな街じゃ考えられないな〜(劇場が近いってことね)。 踊る人は踊ることだけ考えていればいい、という有り難い舞台。去年はただひたすら「楽しい♪」と思っていたけれど。今年はいろいろあったなぁ。 リハーサルの段階でも音響がズタボロだったり、人が揃わなかったり、普段泰然としているサラもさすがにピリピリって感じで、どうなるのかな〜と心配していたのだけど……。やっぱりみんな「本番に強い」の一言につきるんだろうか……。
そうそう、プレッシャーに弱い子がいたわ。ちびっこのクラスで猫ちゃんの踊りがあって、最後はホンモノのワンちゃんがチビ猫を追いかけて退場、っていう趣向があった。ワンちゃんはローレー。スタジオの秘書ロッシーの飼い犬で普段から私達と接しているし、とてもおりこうでリハーサルも順調、何の問題もなし、と思っていたのだけど……本番直前、さてローレーにもチュチュをつけようという段になって行方不明に!舞台裏から楽屋まで目をつり上げた出演者一丸となって大騒ぎで探すことに(その様子ってちょっと鬼気迫るものが)。やっぱりあの派手な衣装や化粧の私達を見て不安を感じちゃったかな〜。「誰やのん?こいつら?何やのん?このテンション?変な(メイクの)匂い充満してるしっ!」って感じで。ぎりっぎりで無事客席で発見されたんだけどね。
面白かったのは、前のクラスで一緒だった少年。この子はいつも年末公演には出ないんだけど応援に駆けつけてくれる。レッスン日も違っちゃったから1年振りぐらいに会った。前は高校生っぽい感じだったんだけど、たくましく成長を続けて今年は何となく「男の人」になったなぁと思った。見かけはね。が、仕草が……すっかりオカマさんじゃん!楽屋にも平気で入って来ちゃうし、着替えてる方も彼を知ってる人は気にしてないし……。むむぅ。いいんだけどさ。
MJの成長ぶりは誇らしかった……。いつまでも赤ちゃんと思っていたJが、M顔負けのバレリーナぶりを発揮していて見直した。Mはやっぱり踊りの才能を伸ばしてあげないといかんなぁ。進路についてマジで考えなきゃいけない時期にきている。私は……まぁ無事に踊れたということで♪だぁに感想を聞いたら「頑張ってたね」って。言葉、選んでますね〜。「上手だったね」なんて言葉を望んでる訳じゃないけどお世辞でもいいから何か違う言い方はないもんかなぁ。まぁ、それ以外誉めようのない踊りだってことは自分が一番分かってるんですけどね。楽しそうでもなかっただろうし……。
っつうのも、何とも踊りにくいグループだったんだな。同じ舞台を作り上げる人と心を合わせるってすごく大切なことだよね。今回はそれができなかった。ただ寄せ集め編成グループだったという物理的な理由によるんじゃなくて。みんなの向いている方向がバラバラだった。あるいは心ここにあらずというか。私も舞台に上がったら条件反射的に出てくる営業スマイルは絶えなかったとは思うけど、去年みたいな心からの微笑みとは全然違うと自分でも思った。
今まで、バレエやガムランだけじゃなくてどんなステージを踏むにせよ、「目的意識の一致したすてきな仲間」に恵まれていたんだなぁということを実感。恵まれすぎていたかも。これから、大人として、ましてジプシーとして趣味のバレエを続けていくには、いろんな難関があるかもしれないと心構えができた気がする。もういい大人なんだし、友だち作りにバレエ習いに行ってるわけじゃないからレッスンの時は誰が誰をどう思っていようと全然OKって割り切ってたけど、やっぱり同じ踊りを終えた人とは「やったぁ〜!」って抱き合いたくなったりするじゃない?それができない仲間を見るのは辛いかも。私自身ももともと去る者は追わずタイプだし、敢えて「みんな、仲良くしようよ」って働きかけもしなかった。それに前のクラス……5年生から持ち上がりのクラスの(踊りのグループが違う)子とは抱き合って喜べちゃったりする……そういう壁をこっちから作ってたかも。
ま、いずれにせよ、これから二ヶ月はお休みになっちゃうけど、残りの日々悔いなく頑張れるようにパの勉強やストレッチ気合い入れとこう。30度-15度