きょうのるっちゃん2000その9
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2001年1月7日(日)
鼓笛のメンバーと顔合わせ&初練習。

やっぱりSGIで必要になってくる言葉って「必ず」とか「ぜったい」とかその手のポジティブ方向なんだなぁ。普段の生活に必要なのは「だいたい」とか「多分」とかのfuzzy系。スペイン語とも英語ともつかない、しかも無意識のうちにインドネシア語になってしまう私の言葉を一生懸命分かろうとしてくれるあなた達はエライ。って言ってる場合じゃなく勉強しなくっちゃ。「るっちゃんも案外勢いでやってんのね、そういうこと」と夫に言われてしまった。そ〜よ、こう見えても私は割と準備万端120%ぐらいで物事に臨む方だけどね、「言葉ができるようになったら……」なんて言ってたらいつまで経ってもスタートできないのよ。こういうのはまず気持ちから動くもんなのよっ!27度-11度



2001年1月2日(火)
先生のお誕生祝い。73歳だって。ご健康とご長寿をお祈りしています。

もうすぐ日本に帰ってしまう大学の後輩たちとお食事。この国の人口からいって(インドネシアの約13分の1、日本人の比率はもっと少ないだろうね〜)遊びにきてた子を含めて4人、私たちを入れて6人の同窓生がいるなんて、すごいかも。10期以上離れている子たちなんだけど、時代が変わってもスパっと通じる話があるってのが同窓の素晴らしさなんだろうなぁ。使命とか怪談とかさ(話題の差が極端すぎ?)。29度-11度



2001年1月1日(月)
21世紀だって。私にとっては子どもの頃から目標としてきた時代なんだけど。日付が変わったからって何が劇的に変わるわけじゃない。ましてや自分自身が急に素晴らしい人間になれるわけでもない。だから「今」が勝負だってずっと言われていたのよね〜。積み重ねてきた分しか結果にはならない。それはこれからも同じこと。2001年は一つの区切りだけど、21世紀は100年もあるし。先は長い。

新年勤行会。夕べカウントダウンやら花火大会やらで踊り疲れているからか、いつもより1時間開始が遅い上に集まる人も少ない。まぁ文化の違いだろう。でもやっぱ清々しい(大掃除したから〜?)。

帰りにふと思い立ってドライブ。アルゼンチンとの国境まで行ってきた。MJは初めて国境を見たんだな〜。今までいろんな国に行っているけど、点と点の移動ばっかりだったし、こうやって自分ちの車で国境を越えるという経験もいいかもしれない。綺麗な景色もたくさんあったし、カメラを持ってまた行きたいものだ。

カーステレオがなくなっちゃっているので自分で歌っていたのだけれど。「♪指標2001〜」そして今まさに夏なんじゃんと思ったらいてもたってもいられなくて、帰ってから「夏の朝」のMIDIを作ってしまった。28度-12度



2000年12月31日(日)
一生誰にもURLを言わないと思うけど、私はもう一個お余所にナイショのHPを持っている。なんと半年ぶりにそこの更新をしてしまった。日本じゃもう年も明けているというのに。というか、正月には「るっちゃんち」を華々しくリニューアルするつもりだったのになぁ。3周年記念で2月にやるか。29度-10度


2000年12月27日(水)
さ、さぶぅ。昨日スペイン語の先生が「寒いから上着きてきちゃった」と言っていたが、今日はその上をいっている。とりわけ寒がりの私は長靴下+長袖+ジャンスカ。夏のいでたちじゃないわね〜。 陽の当たるところは暖かかったけど、日陰はぶるっときちゃう。気温的には24度〜10度……今日のロサンゼルスと同じぐらい……でもあちらは冬だよねぃ。

将軍では五木ひろしと平松愛理が一曲交代でかかっていたし、さくらでは加山雄三と宇多田ヒカルという組合せだった(あ、将軍とさくらは和食のレストランっす)。どっちかがずぅっとかかっている分にはあまり気にならないんだけど、こうギャップがあると聞いてて疲れちゃうな〜。不思議だな〜。



2000年12月24日(日)
会館大掃除。何百という積み上げられた椅子を降ろして綺麗にして重ねて……と張り切ってやっていたらさすがに疲れた。でも綺麗になった〜。

午後から突然ゴルフに行くことになる。今までで一番調子が良かったかも。これってね、やっぱり真剣に取り組んだ行事を一つ乗り越えるとそうなるのよ。今回の公演、踊りそのものは簡単でどこ一つとっても危なげなかったように思えるけれど、実は見えない部分が鍛えられているというか成長しているの。それが全く無関係に見えるゴルフなんてものにもプラスの方向で影響してくるんです。ヒトの体じゃない部分の成長度合いってもちろんy=xなんかじゃ表せないし、y=axなんかの単調増加する指数曲線でもない。ここで数式もってくるのがそもそもの間違いかもしれないけど、強いて言えば列車の加速度を測定した時の階段グラフのようなタメのあるグラフになると思う。もちろんそこに地道な努力がなければステップアップはあり得ないんだけど、「う〜ん努力が報われないなぁ」って思う「タメ」の時期を越えると唐突に「何か」ができるようになったりする。人生って面白い。28度-12度



2000年12月22日(金)
年末公演当日。開演は夜8時からだけど、朝10時から会場に詰めることになる。松ヤニが舞台そでに。そうか、こんなものがあったっけね。でも逆にピルエットとかすごい音がするようになっちゃう。ま、転ぶよりいいかね。ようやくフィナーレも通せる。昼休みはおうちに帰っても良かったみたい。おにぎり持ってきたのでピクニック。

緊張のきの字もないまま本番へ。こういう気楽な舞台ってのもあっていいものなのかも。純粋に楽しんで踊ることができた。家に帰ってからビデオを見てみたら、まぁこの3月の蚊トンボの踊りよりはマシになってるかなぁと思えた。こないだのはもう二度とビデオなんか見たくないと思ったけど、今回は取りあえずもう一回見てみようぐらいの気持ちにはなれたし(レベルが低い……)。普通のレッスンが待ち遠しいなぁ〜。次はもっと難しい振りにも挑戦したいなぁ〜。

とっても勉強になったのは、一人一人への負担がとても軽い舞台だったこと。出演する人は踊ることだけに専念していればいい。まぁ私みたいに「衣装はどうなっているんだ。プログラムは印刷しているのか。フィナーレはどうするんだ」なんて勝手に心配している人もいるのだけど、先生を信じて日々のレッスンに励んでいれば、何の心配もないってこと。そしてまた、舞台に上がる人それぞれが心底踊りを楽しんでいる。緊張したりアガったりしている様子が表には見られない……。それは普段のレッスンをしっかりしていれば間違える訳はないという振りが付いているってことも大きいし、個人個人の気質によるところも大きいだろう。ヨーロッパの人であるエレナもフィナーレでは舞台上で手拍子しちゃってたしなぁ。ぶっつけ本番的フィナーレもうまくいっちゃったしなぁ。「楽しむ」ことがみんな上手。(私の知っている)日本社会の、緻密な計算に基づいて一人一人が何かしら犠牲的に献身しなければ成り立たない舞台とはえらく違う。もちろんそういう舞台だってやれば楽しいけどさ……。主宰の先生の、それこそ人前では見せない白鳥の水面下での必死の水掻き的パワーを感じた。25度-11度



2000年12月21日(木)
バレエのリハ。初めてエスクエラ・ミリタールの中に入る。会場であるオウラ・マグナは心配するまでもなく、一番正面にで〜んと構えている建物からまっすぐ入っていけばいいだけの場所だった。市立劇場に匹敵する、という話がされていた。ちょっと古い感じだけど、まぁ確かに2階席もボックスシートもオーケストラピットもどきもあるし、舞台がちゃんと斜めになってた。楽屋もその他大勢用がばぁ〜っとあって、大人のコールドとソリストの部屋も別にあったし、シャワーも完備で施設としてはまぁまぁかも。がこういう芸術のための施設を持っているというのが文化の違いかな〜。

初めてお教室の全容が見られたわけだけど。プレ・バレエの子たちの可愛いこと。私もあれぐらいの年齢で舞台に立っていたのだな〜。ホントそこにいるだけで良いってのは分かる気がする。3歳児のクラスが全員指をくわえて出てきたのにはたまげたけど、それは「し〜っ」って指を口にあてている仕草だった。客観的に見られないのは分かっているけど、Mがやっぱりずば抜けて上手だったな〜。いつも遊んでくれてはいるんだけど、Mの踊りは見たことのない上級クラスの大人たちが「Mはピカ一だ!」ってわざわざ言いにきてくれた。嬉しかった。

床が滑るな。小さい子たちがコロコロ転がっていた。自分も転ばないようにと思ったもんで、あんまり飛んだりはできなかったな。でも間違ったりは絶対しないだろう。なぜだか踊りはしっかり入っている。オープニングとフィナーレの様子がようやく理解できた。でも、結局フィナーレは練習しないままで明日を迎えることになる……心配……。24度-9度



2000年12月20日(水)
うわわっ。久しぶりにこんなの見ちゃったよ。なぜ今なんだ?指から青い光が出ています。むむぅ〜。脳疾患かしら?(後でびっくりしたけど、今日できてきたバレエの衣装と同じ色だったよ)

バレエ最後の練習。マリア・ホセが急に私達のグループで一部分踊ることになる。誰もイヤな顔をしないんだな〜。まぁできるからいいけど。私は冗談かと思っていたけど、確かに先生も最初の頃「ミレネが踊らなかったらマリア・ホセ入る?」って言っていたし彼女もずっと代役を勤めていたし。そういう含みがあったのね。それにしても人数の調整もできてフォーメーションも決まって明日リハーサルという状況で一人増やすかな。それに片いっぽだけでもゼェゼェいってしまうぐらいハードな踊りだし続けて両方踊るなんて、いくら若者でもきつかろうと思ったけど、一部分という手があったか。26度-12度



2000年12月19日(火)
「くるみ割り人形」を見に行く。う〜ん。クリスマスって感じ。

バタバタしてパンフレットを買えなかったんだけど、今日はどこぞの国から招待したこんぺい糖の精なので、チケットは普段の倍している。でも一番良い席でも30000ペソ。日本だったら30000「円」するかもしれないもんね……。あ〜、やっぱりサンティアゴだよなぁ、これほどの舞台でも子どものバレエシューズの色が揃ってないや、と思ったら一人はクララだった。失礼。アラビアの踊りの人が美しかった〜。まさにあれは体そのものも芸術……。前から三番目という微妙な席だったので、オーケストラの普段見えないパートが正面からよく見えて面白かった。パーカションの人がトライアングルを愛おしげに誇らしげに思い入れたっぷりに構えた時、またしてもジ〜ンときてしまった。チェレスタのお姉さんがとっても知的でかっこよかった。こんぺい糖の踊りも見たいし、彼女が演奏しているところも見たい〜というジレンマに陥ってしまった。ただやっぱり余計な音とかが気になり過ぎちゃうから、せいぜい7列目ぐらいからかな、この劇場でバレエを観るために座るとしたら。

今日もバレエの練習があるはずだったんだけど、私はこっちがあるのでお休みさせてもらった。はずだったのに、ロビーで先生に会っちゃった。あれ?結局みんな来られなかったのかな?30度-12度



2000年12月16日(土)
フィナーレの練習をするというので、プレ・バレエクラス以外の全員がスタジオに集まる。こうやってたくさんの子ども達が並んで歩いているだけで「ああ、ここまできたか」ってジ〜ンときちゃうんだなぁ。きっと彼女たちはそれほど感動もしてないんだろうけど。昨日イレギュラーなクラスをもってやっと私たちの振り付けも終わった(やれやれ)。こうやってほぼ毎日スタジオに通う日々は2週間ぽっちになった訳だけれど、こういうお祭り騒ぎ的忙しさが私はやっぱり好きなんだろうか。やっときたぁ〜(ワクワク)って思っちゃうもんな。

UNASの学生の一人にそっくりなマカレナに年齢を聞いたら12歳だって。そうか、自分の半分の年齢の子と一緒に踊ってるんだぁ……って一瞬しみじみしたけど、おいっ!計算弱いのもたいがいにせぃっ。半分なのは一の位だけだ。28度-10度



2000年12月11日(月)
Mの夏休みの自由研究につきあって、170何個になろうとする世界の国歌を聞いた一日だった。おかげで頭の中がマーチで溢れかえっている〜。なんかどれかとどれかをつなぎ合わせて、いつでも新しい曲を作れそうだ……。昔、私がこういうことを調べた時には、日本とイスラエルぐらいだったんだよな〜、勇ましいマーチ調じゃない国歌を持っていることで目立つ国って。だから私は君が代のメロディーって珍しくていいやんと思ってきたんだけど。この頃たくさんの国が生まれたりしているせいか、そして「自分の国らしさ」を前面に出そうとしているせいか、民族音楽調の国歌がとっても増えている。Mがどういうまとめ方をするのか、興味深いところです。まぁ何にしろいろいろ発見があって、楽しいひとときでした。

これも発見の一つ。最初はピックアップするのは知っている国だけにしようかと思って国の名前を挙げさせた。「日本、中国、韓国、インドネシア、オーストラリア、オーストリア……」ときてようやくアメリカが出てきた。深い意味はないけど、猫も杓子も「日本、アメリカ」ってなってしまいそうな日本の子どもとしては面白く育っているかなと思ってちょっと嬉しかった(変かな〜?かく言う私は小学校に入るまで、世界は日本と中国とアメリカの3つの国で成り立っていると思っていた。だから後に中国と国交が回復した時はとても嬉しかった。やっぱこれも妙な子ども?)。30度-12度



2000年12月9日(土)
年明け早々にまたなんか踊るらしい。今度は「エレガンテ」な曲でそれらしく踊ろうという企画らしいんだけど、衣装の話をしていてぶっとんだ。ふわぁっとした素材でところどころ花なんかあしらって……という話で、まぁその辺は「うんうん」と思って聞いていたんだけど、「で、色は」「当然よねぇ」「よねぇ」………………。あ、そうなる?やっぱり?優雅っていったら白かなんかになると思ったよ……赤かぁ……この感覚の差がなんとも。29度-12度


2000年12月5日(火)
学校の個人懇談。私はまた後先考えずに忙しさを呼び寄せる体質を目覚めさせてしまっただろうか?

こっちきて半年を過ぎてようやく先生についてスペイン語を習うことにする。27度-11度



2000年12月2日(土)
SGICH。日本からのお客様を迎えたのでまたサルサだ。昨日Hちゃんにタイトルを教えてもらったけど、この曲ばっかり3回目。次は新しい曲に挑戦したいな〜(次があるならね)。

鼓笛隊長にご挨拶。Chiekoが留学してしまったら込み入った話も英語を使わず自分でしないといけないのね……ぐっすん……じゃなくて頑張ろう。来週までに2曲編曲してくると豪語しちゃった。世界中で一番いろんな言語に翻訳されている歌は「今日も元気で」だろうな。ファイフを借してくれた。私にも演奏しろっちゅうの?29度-10度



2000年12月1日(金)
年末親睦会。

180名だかの参加者があって。着席ディナー形式の会だから親睦に役立つのかは分からないけど(開場前のカクテルの時間に誰彼なく話せということね)、まぁ元から殆ど顔見知りって感じはあるものな。今年来られた日本人学校の先生の奥様方が「知らない人ばっかり〜」って言っていたけれど、それでも単純計算で3分の1は学校絡みで名前と顔が一致するでしょう。ジャカルタも間に誰か一人をはさめば必ずみんな「知り合い」であろうという狭い日本人社会だったけど、ここはそれ以上だよね。

楽しい集いにはトータルコーディネイトってとっても大切なのだ。ブレインだけじゃ物事は進まないし、馬力だけが自慢のエンジンだとダっさい方向に行ってしまう。ましてやプロのお祭り集団じゃないのだし。私は去年を知らないけれど、今回の実行委員さんは相当頑張ったんじゃないのかな〜。「街頭インタビュー」ビデオも好評だったみたいで何よりです。29度-11度


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