きょうのるっちゃん2000その8
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2000年11月29日(水)
インドネシアの友人にメールを書いていてふと思ったんだけど。いつの間にか私も「お金信仰」の信者の一人になっていたんじゃないだろうか……。

働かなくてもいい暮らしと、働くことを法的に禁止される暮らしにおける気持ちの違いが分かってもらえるかしらん?いずれにせよ家計が逼迫することもないのだから贅沢な悩みだけど。………………う〜ん。実はこれとっても微妙な問題だ。かなり長いこと(実は一週間)考えたんだけど当たり障りなく続きが書けない。から、これも自分への覚え書きという方法で逃げるけれど。報酬が発生しようとしまいと、私がした仕事は私がした仕事であり、私が私であることに変わりはない。経済的に価値を認められることをしないと、自分の社会的居場所がなくなるように感じるのは間違ってる……とは言わないけど、少なくとも私はそういう考え方をやめたい。自分のした仕事を報酬の有無、報酬の額で評価することはしたくない。それは傍目には分かりやすいことであるに違いないけれど。「経済」の歯車の中に組み込まれていないと安心できないなんてバカげている……。22度-11度(もっと暑いような気がする)


2000年11月27日(月)
バレエ教室にて。美脚のErenaはデンマーク人なのだそうな。そういえばいつも先生の指示の細かいところを無視してるなぁ……大ざっぱなのかな?反抗的なのかな?そうは見えないが……って不思議だったのだ。彼女にとってもスペイン語は外国語だったのかぁ。Danielaはアジアの言葉に興味があるようで私に「韓国語で『こんにちは』ってどう言うの?」って聞いてきたりする。「それは……アンニョンハシムニカだけど……ちなみに私は日本から来たんだよ」と間抜けな会話に花が咲く更衣室。彼女の知りたがった「『ハジメテノサヨナラ』ってスペイン語でどういう意味?」って何のことだろう?29度-12度。


2000年11月25日(土)
久しぶりに自分の泣き声で目が覚めた。「慣れっこだし、平気平気」と思っていたことが、やっぱり泣きたいほど傷つく出来事だったのだと再確認するような夢を見ちゃって。何だかんだ言って、やっぱりこういうバランスの取り方をしているのだな……。でもこの夢は学ぶところの大きなものだった。ふと思い出したのが今井美樹ちゃんのやっていた「BRAND」っていうドラマなんだけど、この中で彼女がかなり年下の部下に「自社のBRANDは素晴らしい、ホンモノだって思っているなら、何故モデルなんかに左右されないって信じられないんですか」と詰め寄られて言葉を失うシーン。私は今回の夢の中で、自分の信念を取るか世法を取るかって選択を迫られ信念を選んで非難を浴びるんだけど、自分の信念は多少のことでは揺るがないって自信があるんだから、いまわの際にある人のワガママぐらい聞いてあげれば良かったのよ、と目覚めてから思えた。正夢にはなって欲しくないけど、似たような出来事が起きた時には波風立てずにやりすごせるだろうな……。

昼間はアルト・ラスコンデス(ショッピング・モール)のRipley(百貨店)でジャパン・フェアがあるとかで、Mを含む日本人学校3-4年生の有志が花笠音頭などをご披露。運動会やら音楽祭やら出番も多かったので堂々たるもんでした。館内放送とかはあったけど、まぁたまたま通りかかった人が見る程度のもので、だけどくる人くる人「Que lindo!(んま〜、素敵!みたいな)」の連発。それしか言えんのかい、というぐらい。なぜかバレエ教室でお人形扱いされているJに感じる可愛さみたいなもんがあるんだろうか。

その後「外交団バザー」とやらへ。各国大使館員が中心となって民芸品やら特産品やらを売り出すの。これがちょうどジャカルタ・インターナショナル・スクールのバザー+αみたいな感じで見応えがあって楽し〜。念願のナシゴレン&ミーゴレンにありつけました。インドネシアの人ともたくさん会えて、向こうから「インドネシア語忘れないように、これからも頻繁に会いましょう」と言ってもらえちゃった。今回の第一の目的はそれだったんだもん、ラッキー。各国民族舞踊みたいなのもステージでやっていたので、ここで花笠踊らせてもらえば良かったのに、という声もあったけれど、まさに仰るとおり……。もう荷物は増やさないという決意はどこへやら、Oudを見つけてしまったので買っちゃった。調律しなきゃ。

夕方から寝るまで(というか私がバザーに行っている時から既に作業は始まっていたのだけど)商工会議所の年末親睦会でのアトラクション系準備。私が帰ってからは殆ど食べて飲んでだった。手伝うつもりだったんだけど、大丈夫なんだろうか?27度-9度。



2000年11月24日(金)
市立劇場に「白鳥の湖」を見に行く。

今日は一番のボックス席。これは贅沢〜。日本のボックス席は単なる二階席、って感じだけど、ここのはやっぱりそれなりだ(古いけど……いや歴史を感じるけど、と書くべきね)。舞台がまるでというか正真正銘目の前にあって、踊り手の息づかいまで聞こえそう。王子様の視線も全部こっちにくるしね(とはいえ、愛しいオデットを思うシーンで目の前にいるのがMJだと王子様としては困惑するかもしれないけど……)。この距離でも夢の世界を展開できるってのはすごいことだ。

オーケストラピットも当然丸見えで、MJはまたも楽団員さんにニコニコされちゃって(今回はさすがに「上手だね」とは当人達には言わなかったけど)。Mなんか「くるみ」のスペインの曲をトランペットで吹いてもらって踊っていたし。

こういう舞台を見ていると、自分も上手に踊れるような気分になっちゃうんだよな〜。甘い甘い。私はバレリーナになりたかった訳じゃないけど、それにしても何で途中で辞めてしまったんだろう、舞台を降りる道を選んじゃったんだろうって切なくなった。まぁ抜き差しならない事情があったし、バレエに関しては大人になって再開できただけ幸せなんだけど。MJには細くでいいから長く続けてもらえるようバックアップしたいわ。自分たちのステージ前に良いモノを観られて勉強になった。28度-10度。



2000年11月21日(火)
会館まで自転車で行ってみたのだけれど。行きは殆どこぐこともなくて「あら、今まで気がつかなかったけど、うちって結構高いところにあるのね」と思った。じゃあ帰りは大変ってことじゃん。って内心焦ったんだけど、最初やっぱり多少こいだだけで、家に帰り着いた時には坂道を下る格好になった。どういう地形?

朝、バスのお見送りの時にTシャツぐらいで出られるようになった。でも夏休みにラジオ体操に出かける時よりはちょっと肌寒い感じかなぁ(すごい比較)。家の前に見える近所の山というか丘が土色になってきちゃったとMJが騒ぐ。夏の日差しが厳しすぎるのかな?多少なりとも木が残っているから荒涼とした……とまではいかないけれど、ちょっと砂漠な雰囲気。いわゆるアンデスの高い山にはまだ雪が残っている。29度-10度



2000年11月19日(日)
なんか久々の休日。MJはゴルフレッスンの後プールで遊ぶ。「マルコ・ポーロ」という水中鬼ごっこにも混ぜてもらっていた。けっこうあれこれルールを説明されていたんだけど、ちゃんと話通じてるじゃん。でもやっぱ寒いんだろうなぁ。ジャカルタでは何時間でも平気で遊んでいて、上がらせるのに苦労したけれど、ここでは2時間のうちに2回は上がってきて日向ぼっこしていた。夜の気温がまだまだ低いから水温も上がりきらないのだ、という話。25度-6度


2000年11月18日(土)
日本人学校でバザー。マンウォッチングが趣味の私としては、ああいうところで役員をしているのはとっても楽しい。やってきた日本人のおじさま方に何回かスペイン語で話しかけられてしまいました。

夕方はゴルフ。私はきっと初めて18ホール回ったのだな。むちゃ疲れた。けれど、今日初めて見たLa Dehesaの後半9ホールは、それはそれは美しいし趣のあるコースだった。これを楽しく回れるようになるといいなぁ。ゴルフ場の中で絵画展が開かれていて、そのオープニングセレモニーに不思議な楽団がやってきていた。リュートとか口琴みたいなのがあった(おじさんはLautoでアラブの楽器と言った。でもそれはOudやなかろうか)。いいなぁ、いいなぁ、あれ。日本に行ったこともある人がいて、荒城の月とか歌ってくれた。でも何で2コーラス目から歌い出すのかな?笛の吹き方とかも教えてくれたけれど、忙しそうだったのであんまり突っ込んだことが聞けなかった。縁があったらまた会えるだろうか?あの人たちに……。26度-8度



2000年11月17日(金)
あれ……今、窓の外を謎の飛行物体が飛んでいきます……銀色で、まん丸なの。飛び方からすると風船かな?それにしちゃあでかいし落ちないな……。

テヒドが終わってから、例の雑貨屋さんと牧ちゃんに分けてもらったブンブを元にインドネシア料理を作ってみんなで食べた。久しぶりのナシゴレン。ナシゴレンはまぁ、まあまあだったけれど、やっぱりアヤムゴレンとかは、イブ・スハルティだっけ?ああいう美味しいの食べさせてあげたいな〜。ああ、アチャールがない、とか、サンバルがない、とか、ちょっとずつ不足を感じるし。細かい部分まで揃えきるのはやっぱり大変だ……。全体的に落ち度がないかってのは非常に心配だったけれど、私がキッチンに入るとエディスさんが手伝ってくれようとするので、全面的に彼女に作ってもらった。その指示がちゃんと出せたかどうかも不安だった〜。取りあえず言ったことは伝わっていたようで思ったとおり(以上)のモノが出てきた。ほ。

夕方からはCarolinaのおうちに遊びに行く。お城のような作りになっていて、家の中で十分探検ができる。子ども達も大はしゃぎ。うちも眺めが良いと思っていたけれど、やっぱり山の方に建っている家はものすごいな〜。リゾートホテルみたいだ。Vanが「ラジオを聞いていたら5分の間に『ただいまサンティアゴは26度』って言うところと『21度』って言うところと『28度』って言うところとあって、局によって全然違うから笑っちゃった」って言ってた。確かに。私的には今日は最高気温26度、最低気温15度。



2000年11月16日(木)
バザー準備で学校へ。うん!これは夏だ。上着が要らないと思えた(実際には部屋の中では着ていたけれど)。28度-12度


2000年11月14日(火)
博物館同好会で中央市場(国宝建築)へ。時間がなかったのでお昼食べただけで帰ってきちゃった。ようやく「暖かい」と感じられるようになってきたな〜。25度-5度


2000年11月13日(月)
あ〜、振り付けがどんどん苦手なモダンっぽくなっていく〜。でもやってみると「過去に経験があるな」って体が思い出すな。22度-4度


2000年11月12日(日)
またサルサの舞台。今回はお客様が会場の定員内だったので、予定通りのフォーメーションも組めて出来としては良かったはずなんだけど、自分の中ではどうも評価が低い。何が悪かったんだろう?分からないけど60点ぐらいの気分。本当は別の踊りをやるはずだったのに、打ち合わせや練習の時間がとれなくて、こないだと同じ曲をやった、というのが大きいだろうか。21度-6度


2000年11月11日(土)
久しぶりに朝からすっきり晴れたって気がする。私は踊りの練習。MJはお友達に誘われてキャンプに行ってしまった(寒かったので昨日は買ったばかりの寝袋をベッドに入れて寝てしまった私)。突然ぽっかり夜がフリーになってしまったので大人のムードでも楽しもうかとハイアットホテルにタイ料理を食べに行ったけれど。タイ料理、というのはまぁお店の名前と判断した方がいいかもね〜、という感じ。オリエンタル風のものが一緒くたになっちゃってるのね。味は悪くない。だからタイ料理を期待しなければ十分食べられるけれど。トムヤンクンもないし、シンコンもないし、タイミルクティーもない。なのにサラダバーにはガドガドみたいなのがある。んまっ、また他を開拓する楽しみが増えたと思いましょうか。

いやはや、それにしても。最大級の重装備をしているはずなのに2時間でleakの危険性にさらされると、身動き取れないぢゃん。これが痛くなくて、きっかり一日で終わるっていうんならそれでもいいけど……。4-5日目ぐらいの量で10日間続くのとどっちがいいだろ?いろいろコントロールできる分、後者の方がいいような気がする。22度-7度。



2000年11月8日(水)
今日はこの家に入って始めてセントロを通り越して向こうの山まで見渡すことができた。一雨きたしね。学校の方はヒョウだったというし。夏になるとスモッグが晴れるっていうのはこういう感じなのかなぁ。サンティアゴよこんにちは、って気分。20度-8度


2000年11月7日(火)
世界の少年少女絵画展オープニングセレモニー。文部大臣やら来賓を招いてテープカットやらパーティやらをした。衣装を着てスポットライトを浴びると気分が変わるのか、MJともににこやかで踊りは今までで最高のできだったかも。求める基準が低いけど……ま、ご愛敬ということで。新聞社の人にもたくさん写真を撮ってもらってた(いつかちゃぶだい。博物館での絵画展にその手のものは×かと思って手ぶらで行っちゃった)。この様子は結構いろんな局で数日にわたってTVニュースにもなったそうだ。例によって私は見てないけど。日本人学校にもご招待状をお出ししたのだけれど、断られてしまった。残念。22度-9度


2000年11月5日(日)
午前中はMJゴルフのレッスン。私たちは会館に行ったものの絵画展の準備で会合もさっさと終わってしまう。私自身の踊りの打ち合わせがあったはずなのに、それも流れた。あと1回練習できるかどうかって感じだぞ?大丈夫なのか???午後はハーフだけラウンドする。何か疲れててろくなもんじゃなかったかも。でもイヤだとは思わない辺り、昔とはやっぱり心境が違っている。夕方は国立自然史博物館で絵画展での子ども達の踊りのリハ。MJのノリが悪い〜。今まできちんと教えられて踊る踊りしかやったことないからだろうなぁ。自由型でとにかく楽しそうに弾けて、みたいなのは苦手なんだな。私も子どもの時はそうだったから気持ちは分からなくもないけど。

まだ準備中だったけど、絵も一通り見られた。それぞれの国、なるほどという味があってやっぱり一見の価値はあると思う。心理学者なんかよだれたらして喜びそう。アフガニスタンの子どもの絵は戦争絡みが多かった。胸が締め付けられるようだった。インドネシアの子のもいつの戦いか分からないけど戦争モノがあった。でも、描かれている人間がアフガニスタンの暗さと違って、むちゃ光を放ってるんだな〜。もちろんこないだの暴動なんて本当に凄惨だったけれど、語られている独立戦争なんかは子どもにとっては明るいイメージなんだろうか……ちょっと考えちゃった。ユネスコ、チリ政府、サンチャゴ市、チリ大学なんかの協賛がついてる。だよね。22度-9度



2000年11月4日(土)
午前中はMJゴルフのレッスン。午後はお父さん達がラウンドしている間にK家T家H家の子ども達と遊ぶ。夕方は絵画展の踊りの練習。夜は日智会館で春祭り。Mたち3-4年生は運動会で踊った花笠音頭を再び披露。狭くて踊りにくそうだったけど、まぁ相変わらず元気だわ。ライトがあるなら最初からつけてくれればよかったのにね〜。20度-10度


2000年11月3日(金)
そんな訳で。午前中はテヒドをして、午後はMJから注文されたCatalinaへのプレゼントやらカードやらを探して。夕方にはEdithさんが6月に生まれたFranciscaを連れてきてくれた。出かける間際だったんだけど、せっかくだし、可愛いし、ちょっと遊んでしまう。Catalinaのお誕生会はMampatoで。インドネシアの移動遊園地をちょっと豪華にしたようなほのぼのした遊園地だけど、子ども達は結構楽しそうだった。子どもの入場料が大人の倍(3000ペソ)であるあたりが、何とも。でも大人も滑り台とかしてたなぁ。Catalina達はインターナショナル系の学校に行っているんだけど、お母さんは「今日はスペイン語で話しましょう」ってこだわっていた。海外が長い子たちはどうしても英語が主体になっちゃったりして、親としては焦りがあるらしい。いずこも同じ。夜はMはYちゃんちにお泊まり。ハロウィンパーティだとかで移動中の車の中で得意の黒猫に化ける。

夕べ、1時半を過ぎても眠くなくって、でもどっちかというと今は睡眠不足なのにどうしたんだろう?と不思議に思っていたけれど、今日のこの移動あれこれが綱渡りであることが結構プレッシャーになっていたのだとようやく気づいた。20度-11度



2000年11月2日(木)
CatalinaがMを誕生会に誘ってくれた。のは良いんだけど、明日のことを前日の夜電話されるとな〜。明日はけっこう用事がつまっているので私としては断りたかったけど、それでも何とかやりくりできなくはなさそうなので、Mは絶対行きたい!と目を輝かせるし。学校があるから1時間ぐらい遅れちゃうよ〜とか、大したことを話した訳じゃないのに大汗かいてしまった。まぁ行ったことのない場所を教えてもらったり(一回言ってもらっただけじゃ当然分からなかったので綴りを一つ一つ言ってもらったりして……)電話嫌いな私としては奮闘したと思うんだけど。14度-9度

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