きょうのるっちゃん2000その5
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2000年8月29日(火)
博物館同好会で美術博物館へ。プレ・コロンビーノだから先コロンブス期ってことね。ここの案内のお姉さんの言ったことがふるっていた。「コロンブスの前だろうと後だろうと、この土地で暮らしていた人の文化はしっかりあったんだから、こんな分け方はナンセンスですけどね」って。誇りを感じる?

紀元前3000年以降アメリカ大陸で栄えたいろんな文化遺産が展示してある。お姉さんは「ここは美術博物館ですから。展示品の美しさも楽しんで下さい」とも言っていた。確かに、金属製のブローチ?やらサボテンの繊維で作った織物やら石器?やら、ため息をつきたくなるほど手の込んだものがいっぱい。説明文もスペイン語と英語と両方あって良いのだけれど、ちょっと内容が抽象的だなぁ。これは何、と断言しないところが実は正確なのかな。

帰り道に国宝建築のイグレシア・カテドラル(大聖堂)に寄る。何やら工事中だったけど。確かに厳か。歴史の重みを感じる。



2000年8月28日(月)
Kさんにロス・ドミニコスの民芸品村に連れて行ってもらった。超寒かったし平日の午前中だったせいか閉まっている店も多かったんだけど、それでも見るところが多くてつい長居してしまった。ビタクラのお店がインドネシアっぽい「エスニック調」のものが主体だとしたら、こっちは完璧「チリのもの」を重視している感じ。しばらくお土産に困らないだろうな。

午後は例のインドネシア雑貨屋さんでとうとうナシゴレンの素を分けてもらう。ふぉっふぉっふぉ。



2000年8月26日(土)
一ヶ月近く遅れちゃったけど、Jの誕生会をやった。

守るものがあるってのは人間をせこくするなぁと思った。ジャカルタではクラスの女の子全員(15人ぐらい?)に近所の子呼んで家でパーティをしたとしても、ちっとも困らなかった。誰が飛び入りで来たって構わないし、食事でもゲームでも何でもやってちょうだいって感じ。家でやらなくても、公共スペースとしてのファンクションルームもばか広かったし。でも、この家具やら何やら守らなければならない家(気に入っているけど)では。子どもに入ってもらって良い部屋の数も限られるもんだから、無制限にお友達を呼んで良いって言えない。しかも、ゲームをするならイベントルームでね……って外に出てもらわないといけない(アパートだから下の家への配慮も必要だし……)。なぁんかそういう面で気疲れしちゃった。

ちょっとたまげたのは、イベントルームを借りるのに、デポジットを26万ペソ(約5万円?)払ってくれと当日の朝言われたこと。万が一何かを破損した時に弁償するのね。チェックが終わったら返してもらえるんだけど、そんな現金、家に置いてないこともあるからビビってしまった。



2000年8月25日(金)
日本人学校のあるロ・バルネチェアという区みたいなところが主催する音楽祭を見に行く。と言ってもこの日の出演は日本人学校の小1〜4年生だけ。ま、子ども達は元気に可愛らしく歌っていました。ふと見ると「あんたがたどこさ」ではMが舞台上でまりつきしながら歌っていたのでたまげたけれど。

可笑しかったのはその後のピエロ。椅子の背もたれの部分と、座席の部分とに分かれたのをそれぞれ持った2人のピエロが登場。これを組み合わせると椅子になって座って楽ができるのよね。協力とか団結とか思いやりってものを教える出し物なんだと思うんだけど。まぁ会場にいたチリの子たちの反応の良いこと。ノリが良いというか。インドネシアでも映画見てるとうるさいけどね……。で、見え見えのストーリーなんだけど、あんまりばかばかしくて大笑いしてしまったし、「椅子を取るか、友人をとるか、それが問題だ」とハムレットばりに悩むシーンで結局友情を選ぶのだけれど、そんなところでジーンときてしまったり。あれを見て涙ぐんでたのなんて私だけじゃなかろうか。まったく。



2000年8月24日(木)
チリのインドネシア大使館に行く。

なんだかんだ言ってやっぱりインドネシアは懐かしいし。Mの踊りも私のガムランもインドネシア語も、何らかの形でキープできたらいいななんて思いもあり。インドネシア人のコミュニティーみたいなものを紹介してもらえないか、と聞いてみた。けれどkatanyaインドネシア人というのは大使館勤務の家族しかいないし、彼らはdiplomat以外の人たちとはつき合わないし(うちもdinasだし仲間に入れてよん)、何もお役に立てませんねぇ、って返事だった。しかも、ここでならインドネシア人に会えるのではないかと思っていたのに、応対してくれたのはチリのスタッフだった。それほど偉い人しかいないってこと?

でもそれじゃあまりに可哀想と思ったのか、インドネシア人のだんな様を持つチリ人が経営するインドネシア雑貨ショップを紹介してくれた。ここがまぁ、面白いのだけど。ご主人はスンダの人で、katanyaサンティアゴには50人ぐらいのインドネシア人しかいないそうな。そしてbumbuに関しては仕入れないことはないけれど、全部大使館の奥方様のソサエティが持ってっちゃったって。aduh。ま、いいか。取りあえずインドネシア語話せたしね。

悲しかったのは、本当に言葉をどんどん忘れてること。一つスペイン語が入ると一つインドネシア語が出ていっちゃうような。買ったカインにアイロンをかけるかどうか聞こうと思ったら、出てきた言葉が「pakai prancar?」……って混ざってますがな、それ。通じちゃうから楽しいんだけどさ。

大使館に持っていくので初めてIDカードをじっくり見て気づいたんだけど、私またセニョリータ扱いされている。やれやれ。



2000年8月23日(水)
バレエ教室の子ども達と遊んだ。

MJのクラスがある間、私は待合室で待っているのだけれど、ここにやはり次のクラスを待つ子ども達もうじゃうじゃいる。年齢的にはMより小さく、Jより大きい、小学校2-3年というにぎやかなお年頃。アジア人である私に興味はあるものの、直接話しかけることもできないでいた。

私はいつも本を読んでいるんだけど、今日は後ろに回り込める席に座っていたものだから、その本をのぞき込む子、続出。そして私から離れると「中国語だ、中国語」とはしゃぐ。それを見て秘書の人が「あれは日本語よ」と教えてくれた。そしたら「日本〜?」と言ったかと思うとカンフーの真似。う〜ん。ちょっと違うんだけど。中には見よう見まねで漢字を書こうとしている子もいる。そこで、みんなの名前を日本語で書いてあげた。「マリア・テレサ」とかカタカナで。そしたらもう大喜びしちゃって。ただのメモに一列ずつ書いたんだけど、みんな自分の名前をちぎってカバンにしまっていた。後で誰かに見せびらかすのかなぁ。でも「やったぁ〜!これ、中国文字の私の名前!」って言ってた。だからぁ、違うんだってば。今度は暴走族の当て字みたいな漢字で書いてあげようかしら。「魔璃亜・帝零紗」とかね。

その中の一人が、もらいっぱなしじゃ悪いと思ったのか、私の名前を書いてくれた。ふっふっふ。"Lusi Muracami"。kは外来語にしか使わないんだってね。私、ガイジンだからkで書いてくれるかと思ったけれど。Lusiのsも、本当はcなんだけど、まぁいいや。ここでようやく「あ、Jちゃんのお母さんなの?」って分かる子もでてきて。う〜ん。なんやと思ってたんやぁ。血縁関係があるように見えないのかしら……?

いや〜、やっぱどこでも子どもは可愛いわ。



2000年8月22日(火)
博物館同好会の下見でアルハンブラ宮殿(国宝建築)に行く。

いやぁ、うっとりするほど見事なイスラム風建築だった。いたるところに刻まれたアラビア文字、モスクのドームのような天井、幾何学模様……。しかし、こういうのを見て懐かしいと思ってしまうようになってしまっているとは。

でもそれだけじゃちょっと見るモノがないね〜ってことで、外務省(前国会議事堂-国宝建築)にも足を延ばす。こんな簡単に敷地に入れちゃっていいのか?って感じだったけど、結局下見はできず。司法裁判所や外務省研修所などいずれも国宝建築がボコボコ立っている。



2000年8月21日(月)
外を歩いているとよく道を尋ねられる。ガイジンに聞いたって分かるまい、という頭はあんまりないのかしら。もしや地元の人に見えちゃってる?まさかね……。いずれにせよ、私は道はあんまり知らないし、分かっていてもスムーズに答えられるほどの語学力はまだない(日本語でだって苦手だし)。

あと多いのは「何時ですか?」って尋ねられること。一番最初は来て本当にすぐのことだったので、何を聞かれているかさっぱり分からなかったけれど、仕草で分かってしまったので答えないわけにもいかない。これも私のもっとも苦手とする数字を使った答えなのでパターンは決まっているとはいえ、しどろもどろになることも多い。

これで人混みの中でだったりするとスリの手口かなと思うんだけど、そういうことでもないみたいだしね……。いいんだけどさ。外出すると必ず何かしら質問されちゃう。なんなんだ。



2000年8月16日(水)
新しいバレエのクラスで。子どもって(大人もそういう人いるけど珍しい)面白いなぁと思うのは、体の出来上がりと、バレエの技術と、バレエ歴と、態度とかが相関関係にない子も多いこと。アントルシャ・カトルなんか楽勝でできちゃう子がただのシェネができなかったり、シャンジュマンで足首の存在なんか分からないぐらい伸びる子がリズムと合ってなかったり、反張膝気味で甲も惚れ惚れするぐらい出ている子がまだ始めて数ヶ月だったり、大人しくていつも後ろで踊っている子が実はもうポワントで発表会に出ていたり。

そう、ポワントと言えば。このクラスでラッキーだったのはポワント履き始めの時期だったこと。ポワントだけは自分から履かせて下さいとは言えないし、大人には履かせない方針の教室もあるから(ここがどうだかは確かめなかった。あんまり重視してなかったから)、もう一生履けないかもなぁ、と漠然と思っていたのでした。こないだの発表会のために一足新しいのを買ったんだけど、これはMJが大きくなったらあげればいいかぁって。でも「ついで」って感じで私も再開させてもらっちゃった。やっぱ嬉しいかも。



2000年8月12日(土)
チリ国立バレエ団の公演を観に行く。

いや〜、普通のバレエで腹抱えて笑うようなステージがあるなんて思ってもみませんでした。もともとが子ども向け(それもMJのような小学生より多分もっと小さい子をターゲットにしている)ということもあるのだろうけど、テクノあり、歌あり(もちろん口パクだけど)、いやいや、何とも楽しかったぁ。一番受けたのは猫ちゃんによる四羽の白鳥のパロディかな。猫が鳥を真似ているというのがむちゃコミカルに表現できていました。ちょっとハッチ・ポッチ・ステーションみたいなマニアックなノリ。やっぱりかなさんが華奢でそれだけで「おおっ」って思うぐらい優雅かも。次はシリアス路線のを観てみたいなぁ。

やっぱりこういう文化圏の人は生活の楽しみ方がうまいと思う。それを楽しませる環境も整っているというか……。今回のチケットは一階真ん前の一番良い席でも4000ペソ(幾らなんだろう?家族4人でも2-3000円ってとこ?)。日本だったら一人1万円はするもんね。まぁ確かに別の会場だったらこういう価格にはならないだろうけど……。でも、子ども達に小さい頃から芸術に触れさせてあげるという意味では、小さなステージでも催しがあるというのは有り難いし(ベビーに近い子どもを連れていくのなら、気張らない会場の方がいいし)、なおかつ、お手頃価格でご奉仕!って感じで感動した。日本もそうならないかな〜。

この日は不思議な楽器屋さんの群も発見できて収穫多し。



2000年8月10日(木)
加害者になるということ(自分への覚え書きです)。

人の心を感知してしまう体質上、相手の立場で物事を考えるとか、そこから発展して未知のことを想像するというのは非常に得意だったのだけれど、それでもやっぱり限度があるのだな。分かったつもりのことも、我が身に降りかかってくると全然違う。リアリティっていうの?その言葉すら「実物そっくり」という意味からすると、「そっくり」ということは「ホンモノ」ではないってことで嘘臭さを感じてしまう。今のこの感覚はリアリティを越えている。なのに現実感を伴わないぐらい芝居がかってもいる。なんなんだ。

ともかく、私は正義が行われて欲しいと思う。償って済む罪なら償うべきだ。ただその刑が万人にとって効果的な刑とはならないところが難しい。前科ができてますます増長する人もいるんだよ……。しかも冤罪っていう逃げ道があるからね。本当の罪すらそれに誤魔化されてしまう時もある。仕掛けたヤツがいたのだとしたら浅はかだったとしか言いようがない。



2000年8月6日(日)
こどもの日」なんだって。スーパーに買い物に行ったら、レジの人がお姫様やらピエロやらガイコツに変装していた。まるでハロウィンのようだ……。でも、こういうのってほのぼのしていて楽しい。


2000年8月3日(木)
………………桜が咲いている。

車から見てなんかそれっぽい花があるなぁとは思っていたのだけれど……。今日、そばを歩いてまじまじと見て、やっぱり桜と確認。幹はちょっと違うけど花は桜だよなぁ?スモモ?梅?家の前の公園にも咲いているので花盛りになるのが楽しみ。でも、今ってあったかいけど冬だよね?いいのか?こんなことで。(後に正真正銘の桜を発見)



2000年8月1日(火)
電子ピアノを修理したさ。

ジャカルタにいた時、Mが癇癪を起こして叩いたために鍵盤が戻らなくなってしまったローランドの電子ピアノ。5年は経ってないと思うのだけど、まぁ新しくはなくて、これを買ったコタのピアノ・ジャヤに相談してみても、「え?うち、そんな商品扱ってましたか?」って返事。他に直せるところもなさそうだった。一方チリはアメリカ大陸だし、白人社会だというから、まだジャカルタよりは西洋楽器あれこれへのケアに期待できるかな〜と思って取りあえず船便に入れたのでした。でもでも。今まで調べた感じでは少なくとも電子ピアノに関してはジャカルタより頼りにならないかも……。つたない言葉をひっさげて、これ以上あるかないか分からない修理先をあてどもなく探すというのは精神的に堪えられそうもなかったので(だってかれこれ何ヶ月、まともにピアノ弾けない状態だったのだろうか?お茶断ちと同じぐらいしんどかったのよ〜)、それなら「直らなくてもともと」ぐらいの気持ちで私がやっちゃる、と裏蓋を開けてみたのでした(ローランドさん、ごめんなさいね。それをやってはいけない、と書いてあったけれどしようがなかったのよ)。

生ピアノの構造とかはお勉強したんだけど、電子ピアノがどうなっているかってのは私にとっては全く未知の部分だったし、緊張したけれど。なんとかなるもんやん。いちお弾ける程度には直ったわ。どこの部品はどこに繋がっている、なんてのも、例えばこれが時限爆弾だったりして、それを作った人が趣味に走っていたとすると私には理解できない可能性大だけれど、さすがに営利を求める企業のすることは無駄がない(誉めてるのよ)。ちょっと感動してしまった。これでまた一つ経験値がupだな……という意味ではMに感謝せねばならぬ?え〜。

それにしてもむちゃくちゃ重たかった。何回も鍵盤ひっくり返したもんで、筋肉痛。



2000年7月30日(日)
南十字星風呂よ。

サンティアゴって冬場(今だ)はとってもスモッグがひどいのだそうだけれど。それでも夜になると星空が見える日もあるから素敵(ジャカルタでもけっこう田舎の方に住んでいたのに、8年いて星が見えた日って数えるほどしかなかった)。それにあんまり寒くないから、日本みたいに完全防備して天体観測に臨まなくて良いから気楽。

今日はね、お風呂で南十字星を見ちゃったよ。ちょうどお風呂場の窓が南に面しているのでね。電気を消して星を眺めながらリラックスタイム♪。流れ星まで見えちゃった。ラッキ〜。


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