2000年7月29日(土) Jの誕生日だったので、以前からずっと気になっていたビタクラ・ショッピングの横のエスニック・ショップの群みたいなとこに行く。 年に一度きりのプレゼントを買ってもらえる日だというのに、Jは欲がないというか、紙で作った小さなヒマワリみつけて「これでいい」とか言っているし。いいならいいんだけど。
それにしても、ここは期待通りいろんなモノがあった。なんか半分ぐらいはインドネシアから来ているモノみたいだ。バティックもあったしイカットもあったし、バリの木彫りやお面もある。なんだかバリのお土産屋さんにいるような錯覚を覚えてしまう。まるでインドネシア語が通じちゃうような……。グンデルの演奏できそうなステージもあったしね。いつかやろっかな。
2000年7月26日(水) 日本人学校が冬休みなので、久しぶりに夜更かしができてご機嫌な私。ジャカルタでは朝は5時台に起きてお弁当作りを毎日していたのだけど、それもあんまり苦にならなかった。12時前に寝ることもあんまりなかったというのに。こっちではお弁当作りは相変わらずだけど、6時半に起きればいいから楽なはずなのに、どうにも気合いがいる。その時間じゃまだ真っ暗だからだろう。前日11時就寝を心がけないと「なんでこんな夜中に起きなあかんねん!」と不機嫌になってしまう(11時に寝ておけば「早寝したし、大丈夫」って自分を誤魔化せる)。さらにジャカルタでは3時ぐらいまで仕事をしても、一眠りすればお弁当作りの時間に起きられたものだが、こっちではそんな離れ業はできそうもない。太陽って偉大だ。 …………話が横道にそれまくっている。やっぱり夜っていろんな思いが渦巻いているのを感じるなぁと思ったことを書きたかったのに。そうやって久しぶりの夜更かしをしていたら、なんだか不思議な音が聞こえる。音と言うよりリズムかな。聴いていると踊り出したくなるような、情熱的で懐かしく胸を締めつけるようなビート。でももう2時だか3時という、とにかく立派な夜中だったし、近所の家で音楽を聴いている感じでもない。これで家が下の方にあったら音の源を探してフラフラ出ていってしまったかもしれないけれど、なんせ今は外に出るのが億劫だから。3ヶ所あるベランダに出てそれぞれの場所で耳を澄ませてみた。
それは。どうやらうちの前にあるサーカスのテントから流れてきている音のようだった。なんだか納得。彼らはメキシコから来ている。トレーラーを連ねて、長ぁい長ぁい旅をしてきた。時には故郷が懐かしくなったり、これからの自分に何とはなしに不安を感じたりする時があるかもしれない。そんな彼らが仕事を終えて、体はとっても疲れているのだけれど、純粋に自分の楽しみのためにがんがん踊りたくなったとしても何の不思議もないような。でもそれは、私にもそんな部分があるから妙に共感してしまうんだよな、と思ったのでした。
2000年7月24日(月) とても良いお天気だったので、ガラス教室に行くのに往復1時間の道のり自転車に乗ってみた。ら、途中で写真撮られちゃった。私、なんかそんな珍しいことした? 帰りにはケネディ通りの端に自転車を止めて、道を見ながらウォークマン(かなんか)で音楽(かなんか)を聴いている少年に出会った。なんだかお友だちになれそうだ。
2000年7月22日(土) 冬休み第一日目はPTAのスキー教室だわ。また緊張して前日の夜寝付けなかった私です。でも心配することなかった。MJともに生まれて初めてのスキーだったんだけど、あっと言う間に滑れるようになっちゃって(コーチが良かったんだろう。お世話になりました)リフトとかガンガン乗って上へ上へと行ってしまっていた。午後からもお友だちと滑りまくり(ずっと面倒見てて下さったNさん、ありがとうございました)。これはちょっとぐらい私もつき合わなきゃいけないかしら、という感じです。
2000年7月21日(金) やっぱりこうあるべきだと思ったのは。サンティアゴのOCSから電話がかかってきた。ジャカルタでも入っていた「ぶっくくらぶ」について、引き続きチリでも取り寄せるかという問い合わせだった。ジャカルタのOCSが「も〜、いいかげんにしてよ!」って対応だったのは過去にも書いたけれど、サンティアゴのOCSは取りあえず今のところしっかりしてるわ〜(107箱の船便を午前中に届けたいがご都合いかがとその日の朝言われた時はたまげたが)。 チリへ移動することはOCS東京本社に伝えてあったのだけれど、いつ移動するか、いつ家が決まるか定かでなかったので、住所が決まり次第連絡すると言っておきながらバタバタしててできなかった。その話がちゃんと東京経由で伝わっているってのが有り難いと思うし、支払いは現地通貨立て、配達は家まで、という約束をきちんと押さえている。というか、私にとってはそれらは契約なんだし、ビジネスをする以上、当たり前のことだと思うんだけど、ジャカルタOCSはいくら言ってもその当たり前にすら達しようとしなかったもんな……いや、インドネシア人じゃなくて日本人がよ。2-30世帯あったぶっくくらぶの利用者がたった数世帯になってしまったのが、どういう理由だかちゃんと考えて欲しいわ……。と相変わらずジャカルタOCSには良い思いの抱けない私だけれど、仕事ができないのはOCS全体の気質ではないということだけは書いておきたかったんです(それとも本社にまでクレームする注意人物が行くから心してかかれ!とでもおふれが出ていたか???)。
2000年7月18日(火) コピウエの博物館同好会で(またこういうのに入るとは……しかも活動日が火曜日ときた。ヘリテイジを彷彿させる)コウシーニョ宮殿へ行く。船団などを持つ19世紀の大富豪コウシーニョがフランス人建築家に依頼して立てたものらしい。靴にカバーをつけて、ペンギンの集団のようにパタパタと入った建物の中身はそりゃあ見事なものだった。寄せ木細工でできた床とか、刺繍されてる壁とか、床暖房システムとか……。でも私の一番のお気に入りは音楽サロンかなぁ。天井の飾りまでしっかりいろいろな楽器だった。なんかこの先、こういうとこに住むことがあるような気がしたわ(おいおい)。 それより何より心に残ったのは、一緒に回ったとある奥さまの「でもここの主は幸せじゃなかったと思うわ」という一言だった。コウシーニョ氏は結核でこの宮殿の完成を待たず40歳になる前に亡くなっている。ここには未亡人のイシドラさんとその子ども達が住んでいた。いくらこんな豪華な家でも、最愛の人がいないんじゃつまらなかったに違いないわ、という彼女の発言は「亭主元気で留守がよい」的言い方をする人が多い中で、とても新鮮だったわ。うん。私もやっぱりだぁりんがいないとだめなのだ。
2000年7月16日(日) うちから見える例のサーカスに行った。ボックス席は4人分48000ペソ。他の席のチケットを売っている窓口が長蛇の列だったのでついここのを買ってしまう。でもでも、なかなか迫力で良かったっす。トラが襲ってきたら側のパイプ椅子で戦おうと思っていたのだけど、いやいや、とんでもなかった(もともとそんなこと考えない?)。一頭二頭って数じゃないんだもん……。でもさすがに猛獣が出てくる時には舞台に金属の網を張ったり舞台と客席の間に薬をまいたりして、安全には気を配っていた(ようだ)。日本でボリショイサーカスを見た時にもこんな厳重なことしてなかったような気がする。ただし、興奮したトラがシャァ〜っとやっちゃったり、象のクシャミとかにはご注意。まぁボックス席ってのはそういうもんですけどね。派手なワザあり、古典的な笑いあり、なかなか楽しめるステージだった。お薦め。暖房つきだし。こういうものですらも、あぁあの小さい子やヒョウキンな間違いをしでかした人はサクラだ、とか、あぁこの失敗は演出だとかチェックしてしまう自分が何とも。でもそう分かっていても失敗を重ねて最後にワザが決まった時には涙がちょちょぎれてしまうのだった。
2000年7月13日(木) コピウエ会の(ジャパンクラブの婦人部みたいなもの?違うのかも。まだよく分かっていない)Cグループ(夫の所属先によってグループが違うのね〜。Aは大使館、Bは日本人学校、Cはその他政府機関、Dからあとは企業……って感じ)の人たちと初めてセントロ(町の中心部)に行った。「スリとか多いから、華美な服装は避けて、鞄も持たないぐらいがいいかも。お金も必要最小限に」という注意を受けていたから、例によって靴下の中なんかにもお金を分散させて行ったのだけれど、ジャカルタ・コタやらブロックMに比べれば整然としているし、肌身で感じる「狙われている度」が全然違う。日本なんかにもスリはいるんだし、本当はどこでも油断はできないはず。 それはともかく、韓国食材店の本店などに連れて行ってもらって、感動。日本人なんかが住む地区にも支店が出ているんだけど、そこは話に聞く昔のコスモみたいに、ただの倉庫みたいなところに無造作に商品が並べられているに過ぎない(ドラジを1/10ぐらいにした雰囲気)。あまりにシャビ〜で私は二度と行くものかと思ったのだった。日本のもの食べないでもやっていけるんだし。でもでも、さすがに本店は品揃えも豊富で。下手に日本食を意識した支店よりも、使えるモノがたくさん。(韓国語だけど)貸しビデオコーナーもあったし、まさにカモメやらコスモやら並み。内装に飾り気・洒落っ気がないのは支店と同じなんだけど、それより迫力が勝っていてわびしさを感じさせないのかな。ここならたまには来てもいいかもと思った。キムチとか美味しそうだったしさ〜♪
2000年7月12日(水) 船便がやってきた。実に箱の数107個。荷出しの日に私は家にいられなかったりしたので(というより、それまでに準備ができていなかったからだけど)ゴミも含めての大移動。一箱開けるごとに「ああ、これが届いたのね♪」と「なんでこんなモノまで入れとんねん……」という一喜一憂のオンパレード。一番最初に開けた箱には10年ぐらい前に書いた紙芝居が入っていて、不覚にも泣かされてしまったりして、作業は遅々として進まず……いったいいつ片づくかしらね? そうそう、ゴムでできたものは割れてたりのびなくなっちゃったりして捨てざるを得ないものが多かったな。まぁ3ヶ月も酷暑の地から極寒(でもないけど)の地まで旅をしてきたんだから仕方ないとは思うけど……。バレエのタイツとかは色までネズミ色になっちゃっててショックだったけど、いい加減古かったから思い切って捨てられてかえって良かったのかも。香水とか中身の色が変わっちゃったりしてね。そういうモノは詰めてはいかんのですな。常識ですか?今度は気をつけよ〜っと。
2000年7月11日(火) サーカスがやってきた。目の前の空き地(と言ってはいけないんだろうな。教会も闘牛場もあるし……広場というのか公園というのか)に立派なテントができあがった。虎とか象とかきているし。まさにブラッドベリイの小説に出てくるような雰囲気……誰かがそっと消えていっても気づかないような……。きゃ〜。現実的な問題としてこんな近距離で虎が逃げ出したらと思うとコワイよ、私。
2000年7月6日(木) 24階という高さのせいだろうか、それとももともとこういうもんなんだろうか、地上(?)が雨でも気がつかないことが多くて困る。家にいると雲の中にいるようで、「おお、あたりが見えないねぇ」なんて思うだけ。下に降りてみると雨降りで、傘を取りに帰るのが面倒臭くってそのまま歩いてしまったり。それほど強い雨じゃないのが幸いだけど。今日は視界ゼロって言っていいぐらい。隣の建物すら見えない。下を走る車のライトがかろうじて見えるかな、程度。でも雨じゃなかったね。これ、いくらなんでもスモッグじゃないよねぇ。 昼休みに転んで顔を打ったJ。吐いたり眠り込んでしまったり歩けなくなったりと、ぞぉ〜っとした。病院での検査の結果は異常なしってことだけど(病院に連れて行ってくれたばかりか、通訳もしながらずっと付き添ってくれていたKさん、ありがとう)……びびりまくった(1日で元気になりました。翌日起きてきて言ったことは「るっちゃん、おなかすいた」。これがJの元気のバロメーター)。
2000年7月3日(月) 歩道が白い。歩道って白かったんだ〜。ずぅっと雨の中を歩いていたので灰色なんだと思ってしまっていた。妙にまぶしい。 今日からバレエ本格的スタート。やっぱり午前中のマダムクラスなんだけど、月曜のこの時間を持っている先生はK先生のように動作もとっても美しい。日本人のYさんに(日本の人がいるんです!)「どのぐらいやってらしたんですか?」とスペイン語で話しかけられてしまったので「日本語分かりま〜す」とご挨拶。「ちょびっとですよ」と答えたら「子どもの頃からやってたのかと思った」って……。それでこんなに下手くそだったら私は泣いちゃうけどねぇ(でもよぅく考えたらもうJの年齢ぐらいはやっている。泣いてもいいかも)。誉めてくださっているのですね。頑張ります。
先生以外の人があまり訳の分からないクラスってね、つまり自分がしっかり覚えて踊らないといけないのだということに気づきました。今までは先生のお手本が終わっても、誰かを盗み見ながらできる安心感があったわけでしょう。最悪覚えてなくても誰かの真似をすればいい。だけど、ここじゃそれができないんです。いい加減な私にはかえって良い訓練になるかも。
2000年7月2日(日) サンティアゴは18日間だか雨が続いたそうだ。久しぶりのお天気。天気が良いと気持ちいいねぇ! 雪山を見に行こうと思ったのだけれど途中の道で崖崩れか何かが起こり道が封鎖されていた。警官が検問?みたいなことをしていて通れる車もあれば引き返させられる車もある。私たちの語学力では何を言われても分からないし答えられないので、順番が来る前に逃げてしまう。
それで良く分からないまま車を転がしていたら、川の流れる自然公園のようなところにたどり着いた(アラジャンですね)。アサード(BBQ)している人がたくさん。けっこう山の中腹なんだけど、何となく登れそうだったので広場を後にして山登りを始めちゃう(ヒールのある靴だった。良い子は真似をしないように)。サボテンやら霜柱やら岩場をはねる山羊さんやら見慣れないものをたくさん発見。雪も良いけど、こういう山登りもたまには良いね〜。例によって例のごとく画像はそのうち。
2000年6月30日(金) どこかで見たことのある人だと思ったら大家さんが9時のニュースでコメントしていた。何しゃべってたのか全然分からなかったところが情けない。
2000年6月29日(木) 向かいの教会の鐘の音が聞こえるのだけれど。味気ないことに録音した音を流しているのだ。何の音だかわからないほど音がつぶれている。最初聞いた時はジャカルタのモスクのスピーカーから流れてくるアザーン……お祈りの呼びかけ思い出しちゃったよ。しかも鳴らし終わりの余韻を楽しむ間もなく「ぶちっ」って音とともに放送が切られる。鐘の音とか好きなだけに残念……。
2000年6月28日(水) さ。そろそろきましたよ〜。インドネシアの友達にメールを書いていたら「寒い」という言葉がとっさに思い出せなかった。まずcoldときて、次になんとスペイン語でfrioが浮かび、しばらく考えてようやくdingin を絞り出せた。しかも最後にgが要るか要らないか辞書で確かめちゃったもんね。こうやって言葉を忘れていくか。それにしても早すぎない?情けないわ〜。 さて、ちょっと用事でタクシーに乗ったのだけど。行きは会話も弾んで「え〜、まだ来たばっかりにしてはスペイン語上手じゃん」なんておだてられ(ふふふ。お世辞でも嬉しいぜ)。目的の番地は大きな道の私たちの進行方向とは中央分離帯を挟んだ反対側にあり(番地は奇数偶数で道の両側に振り分けられていて時としてこういうことが起こる)、近くではUターンもできず、私は「道をつっきるからいいよ」と言ったんだけど、雨の中それも不憫だと思ったのか、「料金はここまでにしておくから」と、一方通行の道をぐる〜んと回って目的地の前につけてくれた。回り道してくれた分が料金に入っていれば当然といえば当然なんだけど、それをタダでしてくれちゃうあたり人がよい。
と思えば帰りは細かいお金がなかったのできっちりおつりももらえず。これはまぁインドネシアでも同じことだけど。取りあえずプロテスできただけ悔しくはない(志が低い)。
2000年6月27日(火) コンピュータルームはキッチンを通って北側のベランダの窓から中を見ることができる。夫がパソをいじっていたので窓に張り付いてチチャック=ヤモリの振りをしていた(せんでよろしいって)。気づいたら落ちてみようと思っていたんだけど(だからせんでよろしいって)、なかなか気づいてくれない。なんかずっと見ているうちに地縛霊の気持ちが分かってきてしまった。私はここにいるのに、見てもらえない。私はあの人に触ることもできない。ガタガタ音を立てたくなってしまう気持ちがよぉく分かった。ん?私が書くと恐すぎる?
2000年6月26日(月) 車が手に入ったのでドライブに行った。いつも私たちを取り囲んでいる山を抜けて海へ。椰子とかもあって一挙にリゾート気分。季節的には冬なんだろうけどトレーナー一枚でいられるってのは常夏の島育ちには有り難い。私の予知夢(?)に出てきた風景はバルパライソなのかなぁと常々思っていたんだけど、今回はその景色には出会えなかった。車で流しただけだしね。砂浜の海岸やら岩の海岸やら、その岩も黒いんじゃなくて、荒野に転がっているいるようなオレンジの岩だったり、道を一本挟んだ海の反対側にはサボテンが生えてたりとか、いろいろな景色を見た。チリっていうと、みんなこんなのを想像しているんだろうな〜っていう感じの平野とか。画像はまたそのうちupしますです。