2000年6月21日(水) 念願のバレエ再開!我が家から徒歩で20分圏内に3つ4つスタジオをみつけたのだけれど、うちから見えて道も一直線で、すなわち一番行きやすそうなところに決めた。もちろん見学とかして他の要素もチェックしてるけど。 午前中のいわゆるマダムクラスに入れてもらった。ホテルでも銀行でも英語が頑なに通じないサンティアゴだけど、不思議とバレエ教室では英語話せる人が多いのよね。見学に行った時には「全く話せないわ」と言っていた受付の人も、ちょっとの間に練習したのかと思うぐらい今回は会話になっていた。っておめ〜がスペイン語早く話せるようになれよってね。おっしゃる通り。
レッスンは1時間ちょいでK先生のマダムクラスと比べると物足りないもいいところかな〜。レベル的にはキッズクラスの付き添いと変わらないかな〜。新しいお教室に行くと先輩方の品定めの視線が痛いものだけれど、最後には羨望の眼差しに変わったのを感じたもんね(この奢りぶり。簡単にぺしゃんこになるくせに)。それにしても踊れるって幸せ……。さっそく筋肉痛になったけど。あ、驚いたのはね、このクラス男の人がいるんだよ。
MJ達は午後の部。事前にクラス分けみたいなことをしていたんだけど。Jに言わせると「簡単すぎ〜」なクラスだったそうで、確かに先生も「次からは上のクラスに入った方がいいかも」と言って下さった。MはJより上級クラスだったのでさすがに簡単すぎってことはなかったようだけれど、Jと同じようにもう一個上のクラスに入れてもらえると時間的にもちょうどいいんだけどな……。ここで日本語を話す(アメリカ人?の)素敵な親子に出会う。
2000年6月18日(日) 実は私は今ちょっと参っている。何だか自分がつかめない。居場所がない。暇がつらい。ジャカルタの家で悶々としているニョニャの気持ちが初めて分かったような気がする。だぁりんなんかは「絵でも描けば」と言うのだけれど、そうやって描けるモノと描けないモノってあるやん。素敵なモチーフがないわけではないけれど、今はそれを描こうという気力の湧かない状態なのに。歯がゆいのぉ。「足もないし」と拗ねていた私に自転車買ってきてくれた。優しいですね。私としてはそうストレートに切り返されても困るんだけど。ま、いいや。自分で何とかしよう。
2000年6月17日(土) もらったメールで何だかすごく力づけられた言葉。日本語でいうと「るしからのどんな質問もちっとも負担じゃないよ。私に答えられる間はちゃあんと答えるからね」という感じだろうか。こうしてみるとどこに感動的な言葉が含まれているという訳ではないのだけれど……。でも私もそうありたいと思ったのだ。誠意にはより以上の誠意を。
2000年6月16日(金) 地震だ。けっこう大きくて長かった。24階に住む身としては覚悟を決める瞬間でもある。雨といい、地震といい、自然に対して人間はやっぱり太刀打ちできないよ、と痛感する今日この頃。 と思いながらもしっかり寝ていたのだが(明け方だったからね、地震は)。なんだか妙な圧迫感で目覚めると、窓の外には冴え冴えとした満月が!むちゃくちゃミステリアス〜。月の光がまぶしくて目覚めるなんて生まれて初めてのことよ。びっくりした(ちょっと魔物な気分)。月がこんなに自己主張するなんて。雨風でスモッグが晴れちゃったのね。星も見えた。あい。雨にも、地震にも、おっ月さまにも敵いません。
テヒドって織物を見学しに行く。
2000年6月15日(木) ここ何日か珍しく雨が続いていたんだ(と言われていた。雨期のジャカルタから移動してきた私には今一実感がわかなかった)けれど、とうとう今日は日本人学校も臨時休校することに。確かにテレビを見ると、冠水した道路、水浸しの地下鉄、腰まで浸水しちゃった家、町なかはとても大変。でもこれ、偉いなぁと思うのは救援体制がぱっと組まれたことよね、もちろん万全なものではないにしろ。「救援」なんかあてにできないジャカルタとは雲泥の差かも。
2000年6月14日(水) 「ヒョウ」だ。あのその、斑点があったり黒かったりする動物じゃなくって(それじゃMと同じレベル〜)。日中はいい天気だったんだけどな。夕方になってまさに雲行きが怪しくなり、嵐の前触れ〜って感じだったんだけど、さすがに水が切れたので買い物に出たら。帰り際にバラバラっとやられました。でも、なんかこういうのって久しぶりで歩きながら思わず笑っていた私です(危ない)。
2000年6月12日(月) スペイン語のポップス、ぼんやり聞いているとインドネシア語に聞こえる。ホント、そっくり。
2000年6月11日(日) ここってさぁ、メーターのあるタクシーより、メーターのないタクシーの方が安かったりするのよね。私の認識では普通は逆のような気がするんだけど、違うのかなぁ(後日分かったことですが、やっぱりこれはただ単に善良な運転手さんにばかり当たっていたせいみたい。ビギナーズラックみたいなやつかな?)。
2000年6月10日(土) バレエ教室探していたらフラメンコ教室をみつけてしまった。練習している子ども達が可愛い〜。惚れ惚れしちゃった。MJにやってみる?と聞いたら即座に「うん!」って返事が返ってきたんだけど純和風のあの子たちに似合うだろうか???
2000年6月7日(水) くぅ。いくら近いと言ってもSanta Isabelに歩いて買い物に行って帰ってきたらそれだけで1時間かかっちゃったよ。ってそれは日本では普通のこと?大人の足なら片道10分もかからないんだろうけど……
2000年6月5日(月) 車の運転は荒いわな。というか、みんなビュンビュン飛ばしているんだわ。ポリシティドゥール(speed bump)がないせいだろうな。ジャカルタだったらこの手の住宅街には公道でもPTがそこいらにあるもんなぁ。だけど、道を横切ろうと思って待っていると、かなりのスピードで飛ばしてきている上に後続車もあるのに止まってくれる車ってのがたくさんあるんだよね(これも話に聞くと私が例外的みたい)。有り難いやらよけい危ないやら……。でもただのルールというよりは運転している人の優しさを感じました。 近所にバレエ教室見つけちゃった(っていうかイエローページで近いとこ探して確かめてきちゃった)。悪くない感じなんだけど、やっぱり他を見てから決めないとね?子どもの部の見学をさせてもらおうと思ったらJが頭痛がすると言うので延期する。
2000年6月4日(日) チリSGIで初めての広布勤行会。言葉もままならぬまま自己紹介へ(結局通訳してもらったけど)。言葉はまだできませんって言っているのに会合が終わると「Bienvenido a Chile!」の嵐の後にぶわぁ〜っと「私はどこそこの誰それで何をしていて……」に始まる話をする人が波のように続いちゃう。分からないと分かっていても歓迎の気持ちを表現したいんだろうねぇ。嬉しいっす。まだ宇宙語に聞こえるんだってばぁ〜と嘆きながらもこの2週間でまただいぶ聞く力がついてきたことを実感。何て答えていいのかは分からないけど、相手のいわんとすることは分かるもんね。はぁ〜。でもその程度じゃ何の役にも立たないぞ。もっと頑張らないと。 そうそう、ここにも我が母校の交換留学生が。すごいね〜。
2000年6月3日(土) そういえば。ここしばらく朝起きると手の指の関節がむくんでいる感じで痛くて動かせなかったんだけど、いつの間にか治ったね。なんだったんだろう?飛行機に長時間乗るとそうなるとか?熱帯仕様の人が急に寒いところに行くとそうなるとか?
2000年6月2日(金) Edithさんは新しいメイドさんですが。お昼になったら「何か食べますか?」って。「いや〜何も食べ物ないっしょ」と答えたんだけど、あり合わせのものでサンドイッチ作ってくれました。美味しかったし。インドネシアでもコキ(cooky)さんがいるところでは当たり前のことなんだろうけど……(Sutiさんは私に遠慮していたのかしらん。Jのご飯は作ってくれてたもんな……いや昼食時は私が家にいなかったのか、単に)。一人でいたら絶対この状況では食べなかっただろうし(私には「食べ物がある」とは思えない冷蔵庫の中身だった)。有り難い。
2000年6月1日(木) ふむ。急すぎて大家さんが準備をするのが無理かもと思っていたけれど、ちゃんと引越できたじゃん。こういうきちんとした決まり事はラテンタイムなしなのね。
2000年5月29日(月) チリSGIへ。日本にいる間に紹介状をもらえなかったんだよな〜と思ったらこっちにFAXがきていたらしい。直接送ってどないすんねん……私たちに連絡先を教えてくらさい。SPIでは拠点に行くだけで車で1時間かかったり、その辺が立入禁止区域にされちゃったり、いろんなことがあったもんで、今回はぜひとも会館の近くに住みたかったんだよね。だから先に住所を知りたかったんだけど(地図だけじゃ道がみつけられなかったし)……ふたを開けてみたらドンピシャって感じ。願っていただけに嬉しいかも。ちなみに会館はヨーロッパの研修所のような一軒家タイプ。やっぱりSPIで神奈川からの交流団員が「こんなところで」って泣いちゃった気持ちが今となっては分かるなぁ。あの時は自分が渦中にいたから「どこが変?」って不思議だったけれど……最初にびっくりしたことは都合良く忘れちゃってね。
2000年5月28日(日) なんだかしょぼいのは朝。7時じゃまだ真っ暗。7時半でなんとなく薄暗くなって、8時ぐらいになってようやく日が差してきたなって感じ。日本人学校のバスが遅いのも納得できる。6時台に出発じゃ気分的に真夜中に出る感じになっちゃうよな〜(学校まで近い=平均30分ぐらいかな?=からそんなに急ぐ必要もないし)。で、やっぱり寒い。手袋買っちゃった。お昼近くなると暖かくなるんだけどね〜。部屋の中では私ですら半袖でいられる。夜は6時だと明るいけど7時になると暗くなる。冬モードなんだろうなぁ。朝暗いのは寂しいなぁ。起きるのつらくなっちゃうなぁ。
2000年5月27日(土) 日本人学校小学部1年生の懇親会。学校で焼き肉大会。準備段階で積み上げられた食料の多さに圧倒されちゃって始まる前から食欲をなくしていたワタシ。肉も酒も苦手な人にはちょっと苦しい慣習かも。一番嬉しかったのは白いごは〜ん♪(MJのことを笑えない)。それにしても日差しがつよ〜い!こんな時期(秋)なのにサングラス必要!(日焼け止めもね♪) 不思議なことに私たちとちょうど同じ2000年3月までインドネシアのバンドゥンにいたというHさん一家も同じクラスなのよね(1年生4年生ともに)。ご主人とは研修も一緒だったもんな。奥さんのZさんはタンザニア出身なのだけど、他民族でいろいろあっても、話し合いで解決してきた国であることをとても誇りに思っている。誇って当然。インドネシアもそうなるといいね〜、そうじゃなきゃもったいないよね〜って話で盛り上がってしまった。こういう話ができるって嬉しいなぁ。インドネシアの話題に限ったことじゃないんだけど。
2000年5月26日(金) あんまり暇だったから商工会議所まで歩いて行ってみる。私の持っている地図ではかなり見当違いのところに導かれたのだけど、おかげでのんびり散歩ができた。で、たどり着いたのはいいのだけれど、どうやって入り口の鍵を開けてもらうのか分からない。インタフォンはついているのだけれど、なんて言っていいのか分からない。取りあえず押してみたら無言のうちに開けてくれた。あ〜ドキドキした(そういう言葉を押さえてから出かけろって)。
2000年5月25日(木) 新しく入る家候補のベランダにはラベンダーが。一本取られたって感じ(誰もそんなこと考えてないっちゅ〜の)。 家探しはとっても勉強になった。いろんな人に会った。いろんな生き方を見た。やっぱり家って生き方が出る。特に家具付きの家は大家さんの生き方に共感して決めるって感じにならない?(ならないか。普通の人はもっと現実的な面から決めていくんだろうな)私はこの家の大家さんには惚れたぜよ。お洒落だ。粋だ。こういう大人になれたらな〜(もう大人だったっけ)。
2000年5月24日(水) なにはともあれ日本人学校へ。連れてってくれた秘書のTさんに「ここです」と言われて「どこだ?」と思うぐらい小さいのね。まさに分校というのがちょうどいい感じ(間口の広さはジャカルタでいうところのローカル幼稚園ぐらい。校舎に奥行きがあるし、グラウンドもあるから敷地はもうちょっと広いけど)。でも雪山も見えるし、校舎も洒落ているしスイスあたりの私立の語学学校という感じがしたわ。あくまでもイメージだけど。 お友達が増えるのが心底嬉しいのね、子ども達がとっても人なつっこい。ただの挨拶にきたつもりだったんだけど、別れ際に「また明日ね〜」って言われちゃって、MJもその気になっているし、バスの都合もついちゃったりするようなので(出発がジャカルタより1時間以上ゆっくりだよ〜ラッキー♪)明日から学校に通うことに。ほよ〜。いいんだけどさ、5月分残りたった数日でもしっかり4万円払うのね。二人で9万円近く?うぇ〜ん。
2000年5月23日(火) 朝、夫のオフィスに挨拶に行って、帰りにバスで探検。するつもりじゃなかったんだけど、結果的にMAIPU(ボゴールのようなものか?)まで行ってしまってタクシーで帰るはめに。ふふふ。言葉ができないってのはまったく。 ってこんなの(シンガポール以外に)なんか覚えがあるなぁと思っていたらジャカルタについたばっかりの頃もコスモにタクシーで行ったりきたりして「まっすぐ」って言葉すら言えなくて愕然としたことがあったのを思い出した。でもあの時は「黄色い三角の屋根」なんてことは言えたから今より偉かったかなぁ?ジャカルタの運転手さんはもう少し英語が通じたし。いずれにせよ全く話せないくせに単語帳の一つも持たずに外に出るのは大した度胸だ。って言っている場合ではなく次からは何か持って出ることにしよっと。
帰りに見てきた中心街の町並みはヨーロッパっぽかった。ジャカルタ・コタの建物が綺麗でもっと大きく趣深いって感じかな。大昔の銀座とか?ちょっと懐かしく思えた。そいで日本人が多く住んでいるラスコンデスあたりってのは割かし近代的なビルが建ち並んでいるのね。
夕方はAlto Las CondesのJUMBOに行ってようやく安心した。こういうスーパーがあるならね。今いるホテルの側のお店はいわば雑貨を扱わないゴールデントゥルーリー。あるようでない品揃え。で、そのモールにアジアン雑貨があってなんか安心した。お線香もばら売りしていたりして。あ〜良かった。
時差ぼけがまだ取れてなくって。お買い物途中でとうとう歩けなくなってベンチで寝ちゃった。はは。外に出る元気があるだけ前よりましだと思っていたけれどやっぱキツイものはキツイのです。
マクドナルドを買って帰ろうと思ったら「take out」すら通じなくて固まっちゃった。紙袋を指さして理解してもらいました。情けな〜。
2000年5月22日(月) チリ着。サンティアゴはいきなりスモッグ。周りに見えるのがアルプスのように美しい山々なもんだから朝霧のように視覚的には見えるんだけど、実際はスモッグなんだそうな。これは強敵。日本の11月ぐらい、と思ってきたけれどそれほど寒くない感じ。助かった。 ホテルの近くのカフェでお昼を食べた。ウエイトレスさんが陽気で素敵。でも言葉があぁ。すんげぇ速くて宇宙語に聞こえる。それでもしっかり美味しいモノを食べさせていただきました。
こっちがまだ余裕がないせいかもしれないけど、道行く人があんまりにっこりしないかも。子どもからはにっこりが返ってくるけれど。インドネシアはどこ行ってもみんなにこやかだったよなぁ。悪人でも……。
2000年5月21日(日) 午前中はセントラルパークなんかを散歩。歩けるっていいなぁ。きょうびNYは夜中のバスまで乗れちゃうのね〜。治安に関して市長が頑張ったって話は本当だった。15年も経ってるし(悪化の一途を辿る町は心して改善しないと)。 前にも思ったんだけどマンハッタンって甘い匂いがする。クリスマスシーズンのお菓子の匂いかと思っていたけど、こんな季節にも同じ匂いがするのね〜。なんだろう。ジャカルタはガラムの匂い?って言ったらありきたりだね。どっちかっていうと作り物の匂いではなく、大地やら生い茂る木やら舞い上がる埃やら全てひっくるめた「生命力」の匂いがした。日本は無機質な匂い。人間に体臭が少ないせいかしら。リンスやらコロンや柔軟剤なんかは清潔感を最重視したような、ちょっと薄っぺらな匂い。ジャカルタのは甘すぎてえげつない(結局好きになれなくて使えなかった)。ビッグアップルのは一歩間違うとご馳走様的になってしまいそうなゴージャスとお上品ギリギリの線。面白い。
バレエのレッスンを受けさせてもらう。おじちゃまの生ピアノ。親娘でおばちゃまのレッスンを受けられるなんて夢みたい。二ヶ月以上ブランクがあったし、講師のクラスに(MJまで)入れてもらっちゃったもんで大変。でもすごく楽しかった。チリでも早くバレエがしたいなぁ。
ホテルまで歩いて帰ったんだけど、途中でJが電池切れになって歩きながら寝てた。かくいう私も空港のラウンジで爆睡してしまったんだけど。
マイアミでお乗り換えなんだけど、出国手続きしなくていいのね?ユナイテッドは180度に近くリクライニングできるので楽といえば楽だった。