2000年5月20日(土) いよいよ出発。アメリカで降ろしたりする荷物は一つ32kg以内じゃないといけないんだって。腰を傷めたりするからって組合がうるさいんだって。8年も国際線に乗りまくっていてそんなことも知らず成田のカウンターで荷物を詰め直すはめに。こんな本ばっか持って移動する私たちも私たちかしら。でもでも、子ども達の学用品だけでもけっこうな量&質量なのよ〜。よく調整できたものだ。 京王プラザから乗ったリムジンの前の席に座っていたのはインドネシア語(orマレー語)を話す親子だった。小さい子が一生懸命「ラサ・サヤン」を歌っていたんだけど、調子っぱずれで最初何かのお呪いかと思った……。話しかけてみたらよかったなぁ。しばらくインドネシア語話す機会もなくなっちゃうんだし。
飛行機の中ではテトリスに熱中してしまった。GTOの反町君がハマり役だね。藤原紀香がいつナオミに変身するかと(しない)ワクワクしちゃった。ビデオやオーディオは巻き戻しやらできちゃうのね。感動。しかし、いったい何ご飯を食べているのか分からなくなる状況はなんとかしないと……。薬が飲めやしない。ケチだから出されるモノは拒みたくないし……って言ってないで自分でリズムを作るに限るね。学習。
JFKの入国審査で「チリへの乗り継ぎで〜す」と言ったら「スペイン語はできますか?」ってスペイン語で聞かれちゃった。まさかこんなところでスペイン語が出てくるとは思わなかったからびっくり。「うんぽこ」って答えたらぽこぽこ受けてました。陽気やな〜。
NYはちょい小雨っぽくてむちゃ寒い。やられた。冬服はチリに着いたらすぐ出せるようにと思ってそういうパッキングにしてしまった。むぅ〜。RおじちゃまとYおばちゃまに「こだま」でお寿司をご馳走になる。ところでここも待ち合わせの時間より15分ぐらい遅れてしまう「NYタイム」があるらしい。時間に厳格なのって日本ぐらいなのかしらん。
2000年5月19日(金) お茶断ちの件。↓と思ってたけど、案外さっさと慣れちゃったわ。なんだ、つまんない(謎)。胸部X線写真に影を見つけたとかで新幹線で東京につくなりCTを受けることになる。結果的には異常なし。美容院行きたかったのに。
2000年5月18日(木) SGP西日本の集いでは時間が足りなさすぎたのでガメリちゃんちへ。貴重なビデオを見せてもらった。ガメリちゃんのお城も見せてもらった。ガメリちゃんの車にも乗せてもらった(ひょえ〜)。おやかたとYさんwithななちゃんとも一緒。これを機会におやかたもグンデル始めるかな?
2000年5月17日(水) タバコが体に悪いと分かっていても止められない人の気持ちがなんか分かるなぁ。また貧血がひどくなっていると言われてしまったもんで鉄剤を飲み始めたんだけど、早くも食事中のお茶断ちが辛いもん。すんごいストレス溜まる〜。
2000年5月15日(月) 『秘密の隠れ家』(いかにも怪しい〜)の涼と京都で会う。実に2年ぐらい会おう会おう言っていてようやく実現した。涼のクールなとこがいいなぁと思っているんだけど、クールな中にも細やかな気遣いを忘れない大人に久しぶりに会った気がした。
2000年5月14日(日) 神戸での「泊まっていきなよ〜」というお誘いを振り切って帰ってきたのは、今日を逃すと奈央ちゃんに会えなくなっちゃうからです。MJはフリーだけど、奈央ちゃんには学校があるもんね。もう5年生でしょ?そういうあなたは4年生、と確認しながらもじゃれ回るあなたたちは子犬のよう。「幼なじみ」ってこういう感じなんだろうかね? 名残惜しくも私もF家をそうそうに引き上げなければならなかったのは(奈央かあちゃんもお出かけで。つまりFさんの旦那様に子ども達を託してきちゃったの。すみません)、スワ・ギタ・プルティウィ西日本支部の集まりに出るためよっ。道に迷って変なガイジンみたいに扱われ、ようやくたどり着いたスタジオエッグス。ガメリちゃんとYさんが所属しているガムラングループのご厚意で貸してもらっているのだ(ろう)。ここには狭いながらもフルセットのガムランがしっかりあって、まだ数回とはいえ定期的に練習をしているというから大したモノだ。それでも東日本と同じ、みんな弾ける曲がまちまちという問題を抱えてはいるが……。今回はワタクシの(しばらくの間の)ガムラン弾き納めということで、けっこう我が儘やらせてもらいました。遠路はるばる名古屋からさりいちゃんも来ていたわ。太鼓。あんなに一生懸命やったマヌクやらウィレン・プラバワ、やっぱり忘れている。新曲が増えない分、チリでしっかり復習しようと決意(さぁお立ち会い……)。午後からしか出られないというAさんともしっかりお茶してきました。ああ、時間が足りないねぇ。
MJは結局奈央ちゃんちにお泊まり。
2000年5月13日(土) お義母さんのお墓参りのあと神戸へ。お義姉さんとこの新居(建築中だけど)を見せてもらいました。あんまり大きいからMなんか「マンションでしょ?」って譲らない。「家」ってこのぐらいの広さがないとね〜と思ってしまう恐ろしい私。いとこ6人で遊びまくりました。仲が良くって何よりです。
2000年5月10日(水) 廣重……ではもうないのだな。激務の中、時間を割いていただいて海外勤務健康管理センターで氏田先生にお会いする。妊娠されたせいかな(つわりがひどかったせいかな)ジャカルタでお会いした時よりも一回り小さくなって何だか「つるん」とした線になったような。いろいろ楽しくかつ有意義なお話を聞かせていただきました。チリにいらしたらご案内します〜(ってこない?うるる)
2000年5月9日(火) 所在地が定まらないもんでゴールデンウィーク開けてから学校に行っていないMJ。横浜こども科学館に連れて行く。大好きなのよね、私、ここ。平日だから空いているに違いないと思ったんだけど、逆に学校からの団体さんがけっこういた。それでも時間に制限のない私たちは心ゆくまで遊べちゃった。iMAXの映画も見たし、プラネタリウムも見た(ちょっと気持ち悪くなったけど)。や〜、満足満足。
2000年5月7日(日) 明日は誕生日。ということは今日はちれ君の誕生日。久々に兄弟が実家にいるということで大イベント?ってわけではないけれど、みんなで中華を食べてポピー咲き乱れる(?)「花の国」に散歩しに行く。ケーキもあっという間になくなるもんね。なんかパワーの要る誕生祝いだった。
2000年5月1日(月) 研修を終えてから、Kさんの新しいオフィスに遊びに行く。きゃ〜取締役よぉ。といってもCSI時代から相も変わらずだと思うんだけど(私たち……誰だ?……の間では次期社長って言われてたしね)。お忙しかったに違いない。晩ご飯までご馳走になっちゃって申し訳なかった(私的には嬉しかった)。蓮のお茶とかある個性的なお店に連れて行ってもらった。るるん〜。何はともあれお体大切に。
2000年4月29日(土) Fちゃんに会う。私はこんなんだし、彼女もインドネシアでのチャリティーコンサート前で超バタバタしていたんだけど、エイヤ!と勢いで。単に中間地点だというだけで、二人とも全く土地勘のない下北沢で落ち合う。でも上手い具合にエスニック・フードを出すお店に潜り込めてついてた(けっこう美味しかったで。何てお店だっけな……)。対象は違うけれど信じるモノがあるという共通点のあるFちゃんとは使命とかいう話が説明抜きで通じるから有り難い。
2000年4月28日(金) 不思議とこういう時だけコマが開いているんだよね……MJの授業参観でした。牛込仲之小学校は一時期流行った教室に壁がないタイプの校舎。かつてテレビで見たことがあるような気がする。普通の授業ならともかく、活発に発表したりする授業だと隣がうるさくないのかな〜と思ったけれど、そうでもない。生徒数が減っているせいか、真横の教室を空けて使っているということもあるかもしれない。で、「学級崩壊」なんてものがあるのかな〜と半ば怖いモノ見たさのような感じで行ったのだけどそれはないみたい。ただ1年生でも「体育きらい〜」って言って遅刻してきて結局下駄箱で一時間目を過ごしてしまう子とかいるのだ(下駄箱でうだうだしているところで会ったので「授業に行かないの?」と聞いたら「体育嫌いだから行かない」という答えが返ってきたのだった。それ以上どうこうできる権利はないと思ったので私はさっさと授業を見に行ったのだが)。 Jの体育で笑えたのは、プチ・リレー。先生が「グループの中で自由に順番を変えて良いですよ」と言ったらいつのまにかJのグループはJが先頭になっている。なんでだろう?と思ったら、とある子が私の隣に立っていたお母さんに誇らしげに叫んで説明してくれた。「Jちゃんはね、お姉さんがリレーの選手で足が速いんだよ!」……ってそれ、足が速いのは「お姉ちゃん」であって、Jの足が速いという保証はどこにもないんだって……しかもアンカーでなく先頭に持ってくる辺りが一年生の思考というか……。と親(あ、男の人多かったな。平日だったけど)は失笑していたんだけど、みんなの期待に応えてJはちゃんとトップでバトンタッチしていたわ。
国語の時間は図書室で本を読んでいた。なぜかいつも周りに男の子が集ってしまうJ。別に男の子だと思われている風でもないんだけどな(もちろん特別カワイイってわけでもないし)。ちょっと不思議な光景だった。
Mの国語の時間はテストと作文……先生は話す訳じゃなし、子どもも発言するじゃなし、この上なく「いつも通り」って感じだった。はは。あれを一コマしっかり見ていた親っているのだろうか。
2000年4月27日(木) Mが遠足なのだけど。ホテル住まいではお弁当を作るキッチンもないから、早めに出てコンビニでお握りとパンを買う。「なんだろうね〜、この親は」という周りの目は確かに全く痛くないと言えば嘘だけど致し方ない。でもMも、別の日に遠足のあるJも、妙に喜んでいた。そういえば、こないだ公園で桜を見ながらコンビニのお握り食べたのがすごい楽しそうだったっけ。どんなごちそうも独りで食べては美味しくない、の反証でしょうか。
2000年4月26日(水) 任国事情ジャカルタ生活編で自分たちが講師に。ちゃあんとニーズに合っていて、一番ためになったコマだったんじゃない?と自画自賛。いかにその土地に詳しくても「何で今そんなこと話してるんだろ?」と思うようなセンセもいるからなぁ。学校の講義ならともかく、そこで生きていくために出国前の忙しい時間を割いて情報を集めている人にはもうちょっと考慮してあげてほしいと思いますです>派遣元さん。
2000年4月23日(日) お昼は夫の元の会社の先輩のおうちへ。すきやき、美味しかった〜。 夜は「地下室」焼き肉オフで新宿へ。久々に会ったのよ〜、みんな元気そうで(事故った割には元気そうで何よりって人もいたけど)よかった。しのちゃんとゆうちんが「絶対チリへ行く!」と豪語していたから期待して待とうっと。
2000年4月19日(水) スペイン語研修の総仕上げ、スピーチ。まだ覚えて話すまでには至らなかったけれど、取りあえず日本人が話すスペイン語は何となく分かるようになった。大進歩。 研修が終わったら大急ぎで横浜へ。畑先生率いる菊の会の公演。MJにぜひとも日本の踊りを見せたいというmy母上の願い叶って。洋の東西を問わず上手い人の踊りはやっぱり素晴らしいねぇ。ソーラン節なら任せてくれ状態のMは食い入るように見ていたなぁ。Jも「お歌のお姉ちゃんすごかった」と的を射た発言をしていたし。舞台終わって楽屋へご挨拶へ。アメリカ公演ではY叔母がお世話をするらしい。大成功をお祈りしています。
2000年4月18日(火) インドネシアってスペインの圧制に堪えかねて独立したオランダに何百年も植民地支配されていた(と言われる)んだよね。だからインドネシア語にはオランダ語というかスペイン語から入ってきてる言葉が多い。例えばセパトゥ(靴)やらメジャ(机)なんて言葉はルーツがあっちだって前から知っていたんだけど、そんな言葉を見つけるのが楽しくなってきてしまった(新しい単語覚える労力が減るし)。プルミシ(「失礼」)もそうなんだ、ふぅ〜ん、なんて。そしたらスペインはイスラムの国に治められていた時期があるから、コーラン系の言葉が入ってきていると教えてもらった。「アラー」とか。なんか、因果は巡ると思ったし、久々に歴史を勉強したくなってしまった……。
2000年4月17日(月) 下校時刻の違うMJのお迎えを毎日やっていると、私も午後の研修がまるつぶれになってしまうし、帰ってきたところで独りぼっちでホテルに缶詰ではJも可哀想なので、下校時には学童クラブであずかってもらうことにする(新宿区に感謝)。でももう対象学年じゃないし、彼女だけなら友達と下校もできる様子なので、Mは一応研修所に戻ってから遊びに行くことになる。MJともにあっという間に慣れちゃって、一輪車とかいろんなことができるようになる。お友達と遊べるってやっぱりいいです。大切です。そしてここでもまたまた頑張る職員さんに出会えて感動する。守られているなぁ。新宿区には何かの形で恩返しができるといいなと思う。
2000年4月15日(土) 朝から派遣前健康診断。気合いを入れて朝ご飯ぬいて行ったのに、MJは尿検査も血液検査もなかった……いいのか、こんなことで……(奇しくも学校でも今日は尿検査。お休みしたのに尿だけ届けたのだった。よかったよ、やっといて)。 健診があっけなく済んだので、無事お昼からスワ・ギタ・プルティウィ東日本支部の会!ってなんかもうちょっとかっちょええネーミングはないもんだろうか。ジュンバタン・メラにて。久しぶりに赤坂なんか行ってしまった。お食事の後、早速練習。長くガムランに触っていなかった人もいるもんで勘を取り戻せないってこともあるけれど、みんな同じ時期にいたわけではないので「この曲をやろう!」と言っても全員ができないところがつらい。それを考慮して牧ちゃんとなおりんが苦労して楽譜を整えてきてくれた。それでも時間が足りないよね〜。これは合宿でもしないと。
2000年4月9日(日) 15日の件で牧ちゃんになんとなく電話したら、「これからなおりんとインドネシア人学校行くんだよ!バリのイベントだよ!一緒に行こう!」ということになり、いきなり目黒へ。ながさんや(牧ちゃんはながさんから連絡受けて行ったらしいから当然なんだけど……)まみくんやデンパサールムーンさんという「よろず」でお馴染みの方々と会っちゃったりしてびっくり。他にもスカール・ジュプンのTさんやら、BIPAで一緒だったKさんにも会えちゃって。あ〜ら嬉し〜。こんなことならKさんに借りていたハンカチ持って歩いてるんだったなぁって言ったら笑われちゃったけど(渡そうと思って手荷物に入れて帰ってきてたのよ〜)。閑静な住宅街の中で、そこだけ切り取ったように「インドネシア」って雰囲気を発散させているこの空間はすごい。ちょっと感動的だわ。
2000年4月6日(木) Jの入学式。よりもMの始業式の方が早かったのでクバヤを着込んで3人で牛込仲之小へ。200人前後という規模の割には転入生が多いような気がしたんだけど、こんなものだろうか(Mの4年生は3人)。でもM以外は韓国の人。Mも「ジャカルタから来ました」って全校生徒の前で挨拶していたし、日本人学校より「いろいろ」って感じ。この寒いのに校庭にべったり座っちゃうのね。びっくり。 小学生だけの入学式というのは初めて見たので、何だかとってもほんわかした気分だった。道を自分たちで歩いた経験のないMJ。車が路地から飛び出す危険性も実感できていない。迷子になっても右も左も分からない土地。ずっと住むならともかく、「習うより慣れろ」と言い放つには私の神経がもちそうもないので送り迎えをすることにする(でもそうすると午後の研修は送り迎えだけに取られちゃう〜)。
2000年4月3日(月) は、肌が粉ふきいもだわ。常夏仕様のボディには日本の春は寒すぎるわ!「さっぱり系」の化粧品が好きだったけど、生まれて初めて「こってり系」……じゃなくて「しっとり系」の(でもほんとこってりに近いような)基礎化粧品買っちゃったよ。ひゅる〜。ん?単に歳のせいだって?むむっ。 朝から晩まで約一カ月の研修始まる。
2000年3月31日(金) 朝、成田についてその足でMJを学校に入れてもらうために新宿区教育委員会へ。住民票がないのみならず住むところも研修所だったりする私たちの子どもって、「そんな無理して学校行かせなくてもいいんですよ」って存在になっちゃうらしい。実際にいろいろせなならん自治体やら学校の立場からするとしゃあないんやろうけど、基本的に持っているはずの子どもが学ぶ権利はどこ行っちゃうのかな〜という感じ。でも係のお姉さんが頑張ってくれてMJともに晴れて日本の小学生になれそう。 その帰りに黄昏た街をタクシーで流していたらアザーン(イスラムのお祈りの呼びかけ)が。ああ、もう礼拝の時間かぁ……と一瞬思ったけれど、違う。ここはインドネシアじゃないのよ。では、この歌うような唸るような風に乗ってどこからともなく聞こえてくる不思議な音声はなんだろう???としばし考えて。そうか、焼き芋屋さんだ!この自分の感覚のズレがちょっと面白かったっす。