ある日のガメラン部 その1
BGMにSekar Sandatを聴く
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この文章はジャカルタ・ジャパンクラブの会報誌「ジャカルタ 1994年12月号」に掲載されたものに加筆・訂正したものです

まだジャカルタに来るなどとは夢にも思っていなかった(バリ島すら知らなかった)頃。ラジオからとても素敵な音色が流れていたので思わず録音した。それはたくさんの小さな鐘を持った人が踊っているようでもあり、空からメタリックな雪が舞い降りているような感じでもあった。番組ではその曲に関して何も言ってくれなかったので、それが金属の打楽器を使ったどこかの民族音楽なのだろうということしか私にはわからなかった。

月日は流れ、ジャカルタについて早々、とある掲示板に
「ガムランやりませんか」
という貼り紙を見つけた。私はそれを見た瞬間、何の根拠もなしに
「いつぞやのラジオの音楽だ!」 と決めつけてしまった。

元来、鉄琴やスチールドラムやウィンドチャイム、オルゴール、(打楽器じゃないけど)時計塔の鐘の音まで金属製の打楽器にはなぜか目がない私なのである。滅多におねだりしなかった子供の頃に鉄琴なんか買ってもらいたがったことがあり、親も珍しがって楽器屋さんに問い合わせてくれたが、当時は
「家庭用の鉄琴というのは扱っていません」
なんて言われ、悲しい思いをしたものだ(買ったところで置き場をどうする!)。

そういう過去(?)もあって、
「ガムランはインドネシア流金属製打楽器のオーケストラで……」
なんて書いてあるポスターに吸い込まれるように近づき、それこそチョバ(お試し)期間もなくガメラン部に入ってしまった。(テープがなくなってしまった今となってはあのラジオの音楽がガムランかどうかは定かでない……/98年注:ところがぎっちょん、これを書いた後に、あの運命の曲に巡り会えました。ほんのさわりしか聞いていないはずなのに、出だしの音を聞いた瞬間「あ!あの時の!」と鳥肌が立つような感動。不思議なもんです。まだタイトルは確かめていないんだけど、Gong Kebyarの曲ではなかった)

ここでうるさい人はGamelanはガムランと発音すべきだ、と言う。おっしゃるとおり!しかし、伝統的にジャカルタ・ジャパン・クラブ・ガラン部のことはガムラン部とは言わない。何故だかわからないが、とにかくガメラン部なのだ。あしからず。(98年注:現在これを見直そうという動きは出ている→99年「バリガムラン部」に変更)

私たちの習っているバリガムラン・Gong Kebyarの主体をなす楽器はこれで、1オクターブは5音から成り1台2オクターブ=10枚の鍵盤が並んでいる。ギイン>プマデ>カンティルという同型の楽器があり、前者ほど大きい。どれも木槌みたいなもので金属の鍵盤を叩く。

今でもそうだけれど、ガメラン部に行ったら楽器の前に座らされて
さぁ叩いてみよう
と言われる。

まず戸惑うのは、ホワイトボードに楽譜がこんな風に書いてあることだ。“”読めない。読めないけれど、それと同じ印が楽器の鍵盤にそれぞれ貼ってあるので問題ない。先生がを指せば私は自分の楽器のを1回叩く。これが「1回打ち」。めいめいの音符に対して1回ずつうまく叩けるようになると、1つの音符に対して叩く回数を2、4と増やす。

次はいよいよ「8回打ち」だ。先生がを指すと、私はと1つ上の音を交互に叩く。こんな感じだ。

どれも大して難しいことではないが、1つの音は次の音が鳴るまでに消さなければならないという大前提がある。つまり、右手で新しい音を叩いている時に左手は前叩いた鍵盤を摘んで音を消している。これが面倒くさい。先生は飛び飛びに音符を指していくので前にどの音を叩いたのかすぐわからなくなる。

それでも何とかついていけるようになると、先生は
これであなたは演奏できるようになった
と言う。ほんまかいな、と思ったけれど本当だった。曲に入るきっかけを教えてもらっただけで、8回打ちのお約束を守っているうちにみんなと合奏できてしまったのだ。初めて木槌を手にしてから実に10分ぐらいのことで自分でもびっくりしてしまった。

こうして私はずんずんガムランにはまっていってしまったのだが、初心者には敷居が低いのに本腰を入れると奥が深く様々な事が起こる。

先生がいるときはいいけれど、何しろ音符があれだから、自分たちで疑問点を解決しようという時はまだるっこしい。
「だからYみたいなやつ()を4回叩いて、バナナ()は普通に8回打ちだってば」
「バナナってどれ?涙みたいなやつのこと?」
ってな感じで音符それぞれの「愛称」で会話しなければならない。

どれが何に見えるかというのは本当に人それぞれだが、ガメラン部で一般的な呼び方をご紹介すると、=オメガ、=へ(そのままやないか)、=涙orバナナ、=Yみたいなのor耳、=Cの逆、等である。 演奏中、今どこをやっているのか分からなくなった人に隣の人が大声で
「涙!」
とかいきなり叫ぶ姿は事情を知らない人にはさぞ奇妙に見えるだろう。

もちろんこの音符にも本来はちゃんと名前がある。ulu・cecek・suku・taleng・tedongというのがそれで(98年注:いや!この真偽はいまひとつ不明確である)、バリの人はding・dang・dung・deng・dongと言う。これは間違ってもディン・ダン・ドゥン・デン・ドンと読んではいけない。ニン・ナン・ヌン・ネン・ノンと言わないとバリ人には笑われてしまう。(先生が曲を思い出す時に「♪ニンニン、ナンネン」とか言っているのは別に忍法ではないのだ)。

聞こえるとおりに上からド・ラ♭・ソ・ミ♭・レ♭と呼ぶ人もいる(98年注:今はそうする人も多い)。でもこれは結構無理矢理当てはめたもので、音も楽器1台1台で微妙に違う。練習用に使っているガムランと、発表会用のガムランではキーが違ったりもする

「私は音楽的素養がないから」
とガムランを敬遠する人がいるが、ずっと音楽をやっていたのにガムランはどうしても合わないという人もいる。西洋音楽をきっちり仕込まれた人ほど、音程もリズムも割り切れないガムランには戸惑いを感じて当然だと思う。大御所のOさんなんかは音楽の先生だったしピアノも教えているけれど、その辺はふっ切れちゃっている人で、曲がまとまると5線譜に書き直したりしている。難しいところも一人で弾けばできるという人もいるし、合奏しないとできないという人もいる。ここでは悩みも多様性(注:「多様性の中の統一」とはインドネシアのモットー)をおびてくるのだ。

ちなみに太鼓の音色(あるいは叩き方)にも名前が付いていて、その中にkaとpakというのがある。これは叩くと本当にそう聞こえるんだけど、先生は私たちが叩いている時に一生懸命ka、pak、ka、pakとリズムを取ってくれる。これがあんまり続くと馬が歩いているところを想像してしまったり、河童が頭の中で笑ってくれたりして調子が狂う。

ガムランの性質からいって、発表会でもバリダンスの伴奏として演奏することがある。そんな時、先生はよく
楽譜を見ないで踊りを見ながら演奏しなさい」
と言う。もちろん私達だってそうできればもっと楽しいのだが、何しろあの楽譜にあの音なのである。もし自分がどこをやっているか分からなくなったらどうするの!?復活するのは至難の業だ。暗譜していたとしても、今度は手元を見ていないと不安である。バリダンス部との発表会の合同練習をタマン・イスマイル・マルズキ(注:ジャカルタにある施設)でやった時、停電したことがある。私達が一斉に譜面台に向かって前傾姿勢になったことはいうまでもない。

発表会といえば、ガムラン奏者が観客に対して横を向いたままなのが宜しくないという意見が出ている。客席から見て一番奥のポジションになった人は、せっかくの晴れ舞台なのにちっとも顔が見えなくて可哀想だったりもするのだ。そこで、私達も正面を向いて演奏してはどうかと先生に提案してみた。

「それじゃ踊りが見えないよ」
と先生。どっちみち見てないもんなぁと思う私。師曰く、
「トカンは踊りを見ないと演奏できない」

私達だけでは頭数が足りない場合、例年プロのガムラン奏者の方に入っていただいている。彼らは楽譜を読まない、というより読めない。耳と体で覚えた音楽を踊りと合わせながら再現する。まぁそれがガムラン奏者本来の姿であるけれど……。
「トカンが身を乗り出して真横を向かなくちゃいけなくなるよ」

ニョニャ(≒奥様)は楽譜を睨みつけ、トカン(≒○○屋。ここではプロのガムラン奏者のこと)は真横を向いている……それはさぞかし変な舞台になるだろうなぁ。この問題は現在進行形で検討中である。はたして本番はどうなる?

この原稿を書いている時点で、発表会当日まであと1カ月余りなのだが、私達は今Cecandetanという技法をマスターするのに必死である。ものすごく単純な例を挙げれば、12345678と聞こえる音を打つのに、Aさんは12−(休)−56−−と叩き、Bさんは−−34−−78と叩くというやり方である。これが綺麗にはまればカッコいいのだが、実際の複雑なリズムではなかなか難しい。

今年バリダンス部の踊りと合わせて演奏するブリビスという曲は、このCecandetanが頻繁に出てくる上に、担当の楽器によって演奏方法が随分違う。先生も苦労して楽譜を書いて下さったのはいいが、メロディー譜に対して自分のパート譜を切り貼りすることになった結果、楽譜か飛び出す絵本かといった体裁になってしまった。

何だか取り留めもない話を書いているうちに♪ちょうど時間となりました。もっと違う内容を書く予定でいたのにな?これをみなさんに読んでいただくのが発表会前で、もし、ガムランに興味を持っていただけたら、ぜひ発表会にいらして下さい(1995年2月11日土曜日プレジデントホテル3時開演)。入部も大歓迎です。では会場で(あるいは練習場所で)お会いしましょう!


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