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Magyar Kiralysag
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【ハンガリー王国】1190年頃。
ビザンツ帝国起源の二重十字が王国の紋章とされました。
盾の上の王冠は初代の王、イシュトヴァーン聖王(在位907−1038)の冠です。「聖イシュトヴァーンの王冠」はハンガリーのシンボルとして、現在の国章にも描かれています。
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Magyar Kiralysag
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【ハンガリー王国】
14世紀頃に三つの丘が加えられ、最後に王冠が付け足されました。
三つの丘はハンガリー国内の主要な三つの山を意味するそうです。
ハンガリー国旗の赤白緑は、この紋章の地の赤、十字架の銀(白)、丘の緑から採られたものです。
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Magyar Kiralysag
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【ハンガリー王国】
盾を赤と銀に分割した図形。「アールパード・ストライプ」と呼ばれます。分割の組み合わは逆に描かれることもあります。
ハンガリー初代王朝アールパード家の紋章で13世紀に登場しました。
銀地はハンガリー国内を流れる四つの主要河川を表現したものだそうです。
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Magyar Kiralysag
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【ハンガリー王国】
ハプスブルク家の時代になってから左図の組み合わせが王国の紋章と定まりました。
王冠の頂の十字架は元々は直立していましたが、19世紀から傾いて描かれるようです。
十字架が傾いたことについてはさまざまな見解が出されていますが、事故ではなく意図的に傾かせられたものと考えが優勢です。
この紋章は、王冠も含めて現在のハンガリーの国章にもなっています。
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Magyar Kiralysag
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【ハンガリー王国】19世紀。
中紋章です。
中央の小盾はハンガリー。背後の盾は、クロアチア、ダルマチア、スラヴォニア、トランシルヴァニア。
スラヴォニアの紋章の貂の彩色は、「自然色に、適当に」と指定されています。
18世紀末ないし19世紀初頭に制定された紋章で、オーストリア=ハンガリー帝国が成立後も用いられました。
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Magyar Kiralysag
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【ハンガリー王国】
二重帝国時代の中紋章です。
中央の小盾はハンガリー。背後の盾は、ダルマチア、クロアチア、スラヴォニア、トランシルヴァニア、フィウメ。
フィウメの紋章の双頭の鷲とその上の冠は、彩色が「自然色に、適当に」と指定されています。
この紋章が登場するのは1880年代以降のようです。が、公式に制定されたのは1874年とも言われます。
フィウメはクロアチア=スラヴォニア王国内、イストリア半島の付け根にあった都市で、周辺地域とあわせて自由都市とされました。
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Magyar Kiralysag
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【ハンガリー王国】1914年以降。
中紋章です。最下部にボスニアの紋章が加わりました。
トルコ領だったボスニア=ヘルツェゴビナは、ベルリン会議(1878年)によって、オーストリアによる占領が容認されました。18880年にはオーストリア=ハンガリー帝国大蔵省の管轄下に置かれ、1908年のトルコ革命を契機に二重帝国に併合されました。
しかし、オーストリア、ハンガリー双方が属州化を譲らなかったことで、地方議会による自治という形式が採られました。この中途半端な政治組織は、国内外に疑念を抱かせる役割しか持ち得ませんでした。
1913年、皇太子フランツ・フェルディナントの意を汲んだ現地軍総司令官が地方議会を停止させ、陸軍演習を強行します。これがセルビア人社会を刺激し、翌年のフランツ・フェルディナント暗殺事件につながります。
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1308 - 1395
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【ハンガリー王国】アンジュー家。
14世紀に王国に君臨したアンジュー家の紋章です。盾の向かって右半分はフランス王の紋章で、ナポリ=アンジュー家を示します。
アンジュー家はフランス王ルイ9世の弟に始まる家系で、13世紀以来ナポリ王国を治めていました。
1308年にローベルト・カーロイ(シャルル・ロベール)が王位を与えられてから女王マーリアまでの約90年間、アンジュー家はハンガリーに君臨しました。
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Marie d'Anjou
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【ハンガリー王国】女王マーリア(在位1382−95)。
赤地に翼骨のある銀鷲はポーランド王国、青地に正面を向いた三頭の金色のライオンの頭はダルマチア王国の紋章です。
ラヨシュ1世大王(在位1342−82)はポーランド王の叔父カジミエシ大王から同国を相続し(ポーランド王としてルドヴィーク1世、在位1370−82)、さらに1381年にはダルマチアを確保してハンガリー王国の最盛期を築きました。
王の死後、ポーランド王国は次女ヤドヴィガが継承して分離しますが、ハンガリーを継承した長女マーリアは父の紋章を使用しました。
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Sigmond
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【ハンガリー王国】ジグモント(1)。
銀地に翼骨のある赤鷲はブランデンブルク辺境伯領の紋章。
マーリアと結婚して共治王となったルクセンブルク家のジグモント(ジギスムント)は、すでにブランデンブルク辺境伯兼選帝侯だったため、ブランデンブルクの紋章が組み合わせられました。一時、一族のルプレヒトに辺境伯と選帝侯位を譲りますが、ルプレヒトが没した1411年に復位します。
しかし、辺境伯の地位はただちにニュルンベルク城伯に譲渡し、選帝侯位も1415年にはニュルンベルク城伯に譲りました。
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Sigmond (variation)
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【ハンガリー王国】ジグモント(2)。
1419年に異母兄ヴェンツェルが没すると、ジグモントは兄の跡を継いでボヘミア王に即位しました。そこで、ボヘミア王国の紋章が加わりました。
ジグモントはまた、ボヘミア王と同時に神聖ローマ皇帝にも即位しました(皇帝としてジギスムント、在位1411−37)。ジギスムントは神聖ローマ帝国の紋章を「双頭の鷲」に変えます。
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Sigmond (variation)
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【ハンガリー王国】ジグモント(3)。
ジグモントの紋章のヴァリエーションです。ハンガリーとボヘミアの紋章をクォータリングしました。
こちらの紋章配置は後代の国王達にも引き継がれました。
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Lazlo V.
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【ハンガリー王国】ラースロー5世(在位1452−57)。
ハンガリー、ボヘミア両王国と、モラヴィア辺境伯領、オーストリアの紋章が組まれています。
ハンガリー王の他にボヘミア王(ラディスラフ1世:在位1453−57)などを兼ねました。ハンガリー女王エルジェーベト(ジギスムントの娘)とハプスブルク家のアルブレヒト(神聖ローマ王、ハンガリー共治王)の息子として生まれました。父の死後に誕生したことから「死後児」とあだ名されます。
誕生後すぐにハンガリーとボヘミアの王位を相次いで継承しました。しかし、オーストリアは従兄フリードリヒ5世(皇帝フリードリヒ3世)に、ハンガリーはポーランド王ウワディスワフ3世やフニャディ・ヤーノシュ、ボヘミアはイジー(次代ボヘミア王)に実権を握られ、王位は名目的なものに過ぎませんでした。
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Matyas I. Hunyadi
Corvinus
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【ハンガリー王国】マーチャーシュ1世コルヴィヌス(在位1458−90)。
向かって左下はコルヴィヌス(カラス)。学者としての名コルヴィヌスにちなんだ紋章です。コルヴィヌスは彼の実家の姓フニャディのラテン語名です。
向かって右上のハンガリーの紋章は、三丘が描かれず十字架のみのバリエーションもあります。
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Matyas I. Hunyadi
Corvinus (variation)
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【ハンガリー王国】マーチャーシュ1世コルヴィヌス(2)。
中央にコルヴィヌスの紋章が組まれたバリエーションです。
フニャディ・ヤーノシュの次男で、軍事・外交・学芸の各方面で傑出した才能を発揮しました。王家とは全くつながりのない一貴族ながら国王に推戴されるや、司法行財政改革を断行し、学芸を振興し、首都ブダを欧州有数の文化都市とし、東欧ルネサンスを呼び込みました。
対外政策にも積極的で、1463年にオスマン=トルコからセルビアとボスニアを奪還、次いでボヘミア王位を争いました(1469−73)。1485年にはウィーンを制圧し、自らの帝国建設の野望の実現へ突き進みますが、夢半ばにして急逝しました。
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Lajos II.
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【ハンガリー王国】ラヨシュ2世(在位1515−26)。
ボヘミア王国とポーランド王国の紋章を組んでいます。中央の小盾がポーランドの紋章。
ラヨシュ2世の出身家ヤギェロ王家はポーランド女王ヤドヴィガとリトワ大公ヤギェロの結婚によって誕生しました。同王家はポーランド、ハンガリー、ボヘミアの各王国に君臨し、ラヨシュ2世もボヘミア王を兼ねていました。しかし王はモハーチでトルコに敗れて戦死。ヤギェロ王家は断絶しました。
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Lajos II. (variation)
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【ハンガリー王国】ラヨシュ2世(2)。
ラヨシュ2世の紋章のバリエーションです。中央にポーランドの小盾を組み、背後はハンガリー(古)、ハンガリー(新)、ダルマチア、ボヘミア。
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Ferdinand I.
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【ハンガリー王国】フェルディナント1世(1526−63)。
ラヨシュ2世の妹と結婚していたことから、王の死後、ハンガリーとボヘミア王に即位しました。兄の神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世からオーストリアのハプスブルク家領を譲られ、オーストリア=ハプスブルク家を興しました。その後、神聖ローマ皇帝にも即位(1558年)。フェルディナントの子孫が以後、神聖ローマ皇帝・ボヘミア王・ハンガリー王を継承していきました。
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Maximilian II.
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【ハンガリー王国】マクシミリアン2世(1563−76)。
この頃からハンガリーの三丘に冠が加えられるようです。
フェルディナント1世の息子で、宗教問題の調停失敗や対トルコ戦敗北、ポーランド王位獲得失敗など、政治・外交面では不成功が目立つものの、学芸の保護・振興に関しては多大な功績を残しました。
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Rudorf II.
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【ハンガリー王国】ルドルフ2世(1576−1608)。
中央の小盾がオーストリア&ブルゴーニュに変わりました。
マクシミリアン2世の息子で、父帝と同じく学術愛好者として知られます。錬金術や天文学にも興味を抱き、ケプラーらを保護しました。
頑迷なカトリック主義者だったため帝国の統治に手を焼き、これに、不満持った人々が実弟マティアスを擁立して、いわゆる「ハプスブルク家の兄弟げんか」に発展します。その結果、マティアスにハンガリー王位を奪われました。
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Matthias II.
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【ハンガリー王国】マティアス(1608−18)。
中央の小盾はオーストリア、ブルゴーニュ、背後の盾は、ハンガリー(古&新)、ボヘミア、ダルマチア、モラヴィア。
マクシミリアン2世の息子で、頑迷なカトリック主義者だった兄・ルドルフ2世と対立しました。1606年にトルコ・ハンガリーとの講和権を獲得し、さらに1608年にはハンガリー王、モラヴィア辺境伯、オーストリア大公の地位を兄から奪いました。
ハンガリー王即位前に、二度に渡って対トルコ戦で活躍し、その後半世紀に渡る平和の基礎を築きました。
兄の死後、神聖ローマ皇帝に即位します。
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Leopord II. und Joseph I.
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【ハンガリー王国】レオポルト2世とヨーゼフ1世(18世紀初)。
ハプスブルク家の王達は家領の紋章をさまざまに組み込んだ紋章を使用しましたが、レオポルト2世の治世の終わり頃からシンプルな構成の紋章が使用されました。
この紋章は前代のフェルディナント3世(在位1625−56:皇帝1637−57)も用いました。
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Karl VI.
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【ハンガリー王国】カール6世(在位1711−40)。
ハンガリーの紋章を中央の小盾におさめ、背後の盾にはカスティリア(=スペイン)、ボヘミア、オーストリア、ブルゴーニュを組んでいます。
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