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- (2)北部諸領地と貴族の紋章
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15世紀後半のフランス
百年戦争終結後の諸領地。ブルターニュ公国は1491年にフランスと結合し、
バール公国は1480年にロートリンゲンと結合してフランスから分離します。
なお、王室領となった諸領地の詳細は省略しています。
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掲載一覧です
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アランソン伯・公
アンジュー伯・公
ベリー公
ブロア伯領
ブルゴーニュ公
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ブフレール公
コンデ侯
コンティ侯
エタンプ伯
エヴルー伯
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ロングヴィル伯・公
オルレアン公
レーテル伯領
ヴァロア伯
ギーズ公
ブルターニュ公国
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Alençon
Anjou
Berry
Blois
Bourgogne
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Bouffler
Conde
Conti
Etampes
Évreux
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Dunois et Longueville
Orléan
Rethel
Valois
Guise
Bretagne
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- 【アランソン伯・公領】 Alençon Comte',
1414 Duche' -pairie
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フランス(古)に銀色の小円のある赤い縁取り。
ノルマン系の領主の下で成立した領地で、11世紀に伯領となりました。13世紀の初頭に国王親族封となり、1292年からはヴァロア=アランソン家が領しました。
伯領は1414年に公領に昇格しました。
この紋章はフィリップ3世の弟ピエール1世が最初に用い、アランソン家(フィリップ3世の王子に始まる家系)に受け継がれました。
しかし、1515年のアランソン家断絶後、後継のアランソン公はこの紋章を用いませんでした。
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- 【アンジュー伯・公領】 Anjou Comte',
1360 Duche'-pairie
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1246-1435
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【第2アンジュー家(カペー第1アンジュー家)】
フランス王の紋章に赤のレイブル。
第2アンジュー家はルイ9世の弟シャルルに始まる家系で、シャルルは1246年にアンジュー伯とメーヌ伯に叙せられました。その後、プロヴァンス女伯ベアトリスと結婚してプロヴァンスをフランスに帰属させ、さらに、シチリアとイェルサレムの王位を手に入れました。
第2アンジュー家からは、ハンガリーとポーランド王家が分かれています。
伯家は1360年に公に昇爵し、1414年に男系が絶えました。跡を継いだジョバンナ2世(ナポリ女王)にも後継者がなく、第2アンジュー家は断絶しました(1435年)。
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1435-1481
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【第3アンジュー家(カペー第2アンジュー家)】
フランス王の紋章に赤い縁取り。
第3アンジュー家はフランス王ジャン2世の息子ルイに始まる家系で、1382年に第2アンジュー家のプロヴァンス女伯ジャンヌ(ナポリ女王ジョバンナ1世)が殺されると、プロヴァンス伯領を継承しました。その後、世継ぎに恵まれなかったナポリ女王ジョバンナ2世から王位継承者に指名されたため、ナポリ王位を請求してシチリアのアラゴン王家と戦いました。
1481年に男系が途絶えました。
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1576-
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【16世紀以降】
フランス=モダーンに赤い縁取り。国王アンリ3世の弟フランソア(アランソン公)が最初に用い、その後のアンジュー公の紋章となりました。
第3アンジュー家が絶えると、領土は王室領に編入され、以後は称号のみの公となります。
1551年即位のアンリ(国王アンリ3世)以降、アンジュー公には王子が叙せられました。スペイン=ブルボン家を興したフェリペ5世もアンジュー公だったので、スペイン王の紋章にもアンジュー公の紋章が取り入れられました。
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- 歴代伯・公 Comtes
et Ducs d'Anjou
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Charles I. (1246-1285)
1247-1258
1246 Comte d'Anjou et de Maine
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【アンジュー伯】シャルル1世(在位1246−85)
フランス王の紋章に、金色の城塞の付いた赤色の縁取り。
ルイ9世の弟で、1246年にアンジュー伯およびメーヌ伯に叙されました。赤い縁取りに加えられた城塞は、彼の母ブランシュ・ド・カスティーユの実家、カスティリア王国の紋章に由来します。
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Charles I. (1246-1285)
1259-1277
1265 Roi de Naples
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【アンジュー伯】シャルル1世(1259年以降)
紋章が変更され、縁取りから赤色のレイブルに変わりました。
1265年、シュタウフェン家の支配を嫌った教皇からシチリア王位を授けられ、翌年のベネベントの戦いの勝利で王国支配を確立しました。しかし、1282年の「シチリア晩鐘事件」で王位を追われ、以後はナポリ王を称しました。このような経緯によって、左の紋章はナポリ王国の紋章になりました。
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Charles I. (1246-1285)
1277 Roi titulaire de Jèrusalem
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【アンジュー伯】シャルル1世(1265年以降)
ナポリ王位を得たシャルル1世は、1277年にイェルサレム王を称したので、イェルサレム王の紋章が組まれました。
この紋章は以後のナポリ王、アンジュー伯およびプロヴァンス伯の紋章として継承されました。
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Marguerite (1273-1299)
Comtesse d'Anjou et de Maine
1297 Duchesse d'Anjou
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【アンジュー女伯】マルグリット(在位1273−1299)
ナポリ王シャルル2世の娘で、生まれるとすぐにアンジュー女伯とメーヌ女伯に叙されました。
1290年にヴァロア伯シャルルと結婚し、夫を共治伯に据えました。
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Charles III. (1290-1325)
1285 Comte de Valois
1297 Duc d'Anjou
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【アンジュー公】シャルル3世(1297年以降)
フランス王の紋章に赤い縁取り。1296年までは赤色のレイブルも加えられていました。
フランス王フィリップ3世の四男で、1285年にヴァロア伯に叙され、ヴァロア家を興しました(ヴァロア伯としてはシャルル1世)。
1290年にナポリ王シャルル2世の娘アンジュー女伯マルグリットと結婚しアンジュー伯位を得、1297年にはアンジュー公に昇爵しました。
彼の息子フィリップは、フランス王に即位してヴァロア朝を開きます。
→ヴァロア Valois
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Louis I. (1356-1384)
1360 Duc d'Anjou
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【アンジュー公】ルイ1世(伯:1356−60、公:1360−84)。
1382年以降の紋章です。
組まれているのは、イェルサレム王、ナポリ王(第2アンジュー家)、アンジュー公。
1382年、ハンガリー=アンジュー家のカーロイ王によってナポリ女王ジョバンナ1世が殺害されると、彼女の遺領プロヴァンス伯領を相続したルイ1世は、ナポリ王位の継承を主張しました。
ルイ1世の後継者達も対立ナポリ王を称し、彼の孫ルイ3世はナポリ女王ジョバンナ2世から正式な後継者に指名されます。
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Rene' I. (1434-1480)
1431-1453 Doc de Lorraine
1435-1442 Roi de Naples
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【アンジュー公】ルネ1世(在位1434−1480)
アンジュー公とナポリ王の紋章の組み合わせ。ナポリ王やロレーヌ公としてのルネ1世は、左とは異なる紋章を使用しました。
ジョバンナ2世から後継者に指名されたルイ3世が没すると、弟のルネ1世が後継者の地位を引き継ぎました。女王の死後、アラゴン=シチリア王アルフォンソと王位を賭けて戦うも敗れ、ナポリを失います。
また彼は1431年にロートリンゲン(ロレーヌ)女公と結婚していたため、ロートリンゲン公にも即位しますが、こちらも継承戦争に敗北し、プロヴァンスに引退しました。
娘のマルグリットは、百年戦争の講和に従ってイングランド王ヘンリー6世と結婚し、後にバラ戦争を起こしました。
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Charles IV. (1480-1481)
Duc d'Anjou et de Maine
1480 Roi titulaire de Naples
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【アンジュー公】シャルル4世(在位1480−1481)
中央にアラゴンの紋章が置かれました。
ルネ1世の息子達が早世したため、甥のメーヌ公シャルルがアンジュー公位と名目上のナポリ王位を継承しました。
アラゴンの紋章は、ルネ1世の息子ジャン(ロレーヌ公ジャン2世)がアラゴン王位を請求して加えたものです。
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Louise de Savoie (1516-1531)
Duchesse d'Anjou et d'Angouléme
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【アンジュー女公】ルイーズ(在位1516−31)
オルレアンとサヴォアの組み合わせ。オルレアンは嫁ぎ先、サヴォアは実家の紋章です。
アングレーム伯シャルルの妃で、息子フランソアがフランス王に即位すると、王母として国政に深く関与するようになります。フランソア1世のイタリア遠征中は摂政を務め、遠征後にアングレームおよびアンジュー女公に叙されました。
1523年に姪のブルボン女公シュザンヌが没すると、その遺産相続を主張して姪の夫ブルボン共治公シャルルを陥れます。
パヴィアの戦いでフランソア1世が捕虜となると、ふたたび摂政に就き、神聖ローマ帝国とイングランドの離間工作を行い、1529年のカンブレーの和約(貴婦人の和約)締結に貢献しました。
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Henri Alexander (1566-1576)
1560 Duc d'Orléan et d'Angouléme
1573 Roi de Pologne
1574 Roi de France (Henri III.)
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【アンジュー公】アンリ(在位1566−76)
フランスに赤いレイブル。アングレーム伯時代からの紋章です。
アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの四男で、アングレーム伯やオルレアン公に叙せられ、その後アンジュー及びブルボン公に叙せられました。
1573年にポーランド王に選出されると、ポーランドの紋章と左の紋章をX字に組んだものが使われました。
翌1574年に兄シャルル9世が没したため、ポーランド王位を放棄してフランス王に即位しました。
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François Hercule
(1576-1584)
1566 Duc d'Alençon
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【アンジュー公】フランソア(在位1576−84)
フランスに赤い縁取り。
アンリ3世の弟で1566年にアランソン公となり、その後、兄からアンジュー公位を受け継ぎました。
1581年には、スペインに対抗するため外国の援助を欲したユトレヒト同盟によってネーデルラントの君主に推戴されました。ところが主権を著しく制限されたため、1583年に権限拡大を図ってクーデターを試みました。このクーデターは失敗に終わり、彼はフランスに帰国。帰国の翌年に没しました。
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【アルトア伯領】 Artois 1237
Comte'
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フランスに金色の城塞を描いた赤のレイブル。初代伯ロベール1世の紋章に由来します。レイブルに描かれた城塞は、彼の母、ブランシュ・ド・カスティーユの実家であるカスティーリャ王国の紋章から採られました。
元はフランドルの一部で、フランドル伯兼エノー伯ボードワン8世(エノー伯として5世)の娘、イザベル・ド・エノーがフランス王フィリップ2世と結婚するに際し、彼女の化粧料としてフランス王家に譲渡されました(1180年)。1237年に伯領に昇格。後にフランドル伯に返還されますが、1659年に正式にフランスに併合されました。
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【ベリー公領】 Berry 1360
Duche'-pairie
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Jean I. (1360-1416)
Duc de Berry et d'Auvergne
1357-60 Comte de Poitiers
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【ベリー公】ジャン1世(在位1360−1416)
フランス王の紋章に細かい内抉りがなされた赤い縁取り。この紋章はベリー公即位前から使用されていました。
フランス王ジャン2世の息子で、1360年にベリー公とオーベルニュ公に叙されました。
ベリー公領はブールージュを中心とする地域で、1416年に彼が死ぬと領土は王室領に吸収されます。時の王太子シャルル(7世)は、ブールージュに王太子政府を構え、イングランドに対抗しました。
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【ブロア領】 Blois Comte'
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赤地に3本のヴェア(毛皮模様)の縦帯と金色のチーフ。
ブロア伯領を治めたシャティヨン家の紋章です。1230年にシャティヨン家のユーグ1世がブロア女伯マリーの共同統治者となり、伯位を得ました。
1391年にシャティヨン家が断絶すると、伯領はオルレアン公ルイ4世が獲得します。彼の孫ルイ5世がルイ12世としてフランス王に即位したため、ブロア伯領は王室領に編入されました。
なお、シャティヨン家にはブルターニュ系もあり、同家の紋章にはチーフの向かって左側に黒い足のない小鳥の図形が加えられています。
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【ブルゴーニュ公領・公国】 Bourgogne Duche'-pairie
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Bourgogne-Ancien
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【ブルゴーニュ公領(古)】カペー=ブルゴーニュ家。
金と青で斜め6分割した盾地に赤い縁取りを加えた図形。
フランシュ・コンテの西側、ソーヌ川の対岸に成立した公領で、フランス王国に属していました。
公領はアパナージュ(国王親族封)で、授封された親王家が断絶すると、国王御料地に戻されるものと決められていました。
この領地を授かったカペー=ブルゴーニュ家は14世紀の半ばに断絶しましたが、紋章は次代ヴァロア=ブルゴーニュ家を通じてハプスブルク家に継承されました。
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Bourgogne-Moderne
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【ブルゴーニュ公領(新)】ヴァロア=ブルゴーニュ家。
フランス王の紋章に赤と銀で分割した縁取り。
本来はトゥーレーヌ公の紋章でした。ブルゴーニュ公位を与えられたフィリップ剛勇公はすでにトゥーレーヌ公だったので、ブルゴーニュ公となった後も、この紋章を引き続き使用しました。
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1364-1384
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【ブルゴーニュ公領】
フィリップ豪勇公の入封後、トゥーレーヌとブルゴーニュの紋章が組み合わせられ、新しいブルゴーニュの紋章が作られました。
この組み合わせは現在もブルゴーニュ・レジオン(地方)の紋章になっています。
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1384-1430
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【ブルゴーニュ公領】1384年以降。
ヴァロア=ブルゴーニュ家初代フィリップ剛胆公とフランドル女伯マルハレータ2世(在位1384−1405)の結婚によって、フランドルとブルゴーニュは合同します。
それによって、中央にフランドルの紋章が組まれました。
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1430-1482
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【ブルゴーニュ公領】1430年以降。
ブラバント公(黒地に金色のライオン)とリンブルク公(銀地に赤色の二本尾のライオン)の紋章が加わりました。
フィリップ剛胆公の妃となったフランドル女伯マルハレータ2世は、ブラバント=リンブルク公国の相続人に指名されていました。しかし、公国相続前に没したため、息子のアントワーヌが両公国を相続します。アントワーヌの家系は1430年に絶えたため、ブルゴーニュ公が相続しました。
この紋章構成は、以後、バロア=ブルゴーニュ家の断絶まで変わりませんでした。
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- 歴代公 Ducs
de Bourgogne
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Philippe II. "le Hardi"
(1364-1404)
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【ブルゴーニュ公】フィリップ豪勇公(在位1364−1404)
トゥーレーヌ公の紋章とブルゴーニュ公の紋章を組み合わせました。
フィリップ豪勇公はフランス王ジャン2世の息子で、ポアティエの戦いでの戦功により、ブルゴーニュを与えられました。
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Jean "sans Peur"
(1404-1419)
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【ブルゴーニュ公】ジャン無懼公(在位1404−19)
中央にフランドル伯の紋章が組まれました。
ヴァロア=ブルゴーニュ家初代フィリップ剛胆公と女伯マルハレータ2世(在位1384−1405)の結婚によって、フランドルとブルゴーニュは合同します。
母の死後フランドル伯に即位し、ブルゴーニュ公国建設の第一歩を踏み出しました。
→フランドル Vlaanderen
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Philippe III. "le Bon"
(1419-1466)
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【ブルゴーニュ公】フィリップ善良公(在位1419−64)
ブラバント(黒地に金色のライオン)とリンブルク(銀地に赤色のライオン)が加わりました。
ジャン無懼公の息子で、父がアルマニャック派によって暗殺されたためイングランドと同盟し、イングランド王ヘンリー5世のフランス王位継承権を認めます(1420年)。1435年にはフランス王シャルル7世と和解していくつかの領土を獲得し、またその一方ではネーデルラントに勢力を拡大していき、領邦国家建設に成功しました。
彼が1429年に創設した金羊毛騎士団は、現在でもスペインおよびハプスブルク家の騎士団として存続しています。
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Charles "le Téméraire"
(1466-1477)
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【ブルゴーニュ公】シャルル剛胆公(在位1466−77)
紋章は父親と同じです。
独立貴族連合「交易同盟」を結成し、フランス王ルイ11世の国内統一に対抗しました。また、自らの王国建設をめざし、ネーデルラントや神聖ローマ帝国内への勢力拡大を図りますが、スイス誓約同盟との戦闘で敗北し陣没しました。
彼の死でブルゴーニュ公国は瓦解しました。
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Marie (1477-1482)
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【ブルゴーニュ女公】マリー(在位1477−82)
父が戦死すると、ネーデルラント諸都市の支持を受けて女公に即位しました。即位後ただちに神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の嫡男マクシミリアン(後の皇帝マクシミリアン1世)と結婚し、国王親族封以外の家領の保持に成功しました。
彼女が保持したネーデルラントとフランシュ・コンテは、息子フィリップ美公がスペイン王に即位した関係で、やがてスペインの領土に組み込まれます。
→スペイン領ネーデルラント Spanische
Niederlanden
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Louis "le Petit Dauphin"
(1682-1712)
1711 Dauphin
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【ブルゴーニュ公】ルイ(在位1682−1712)
フランスとブルゴーニュ(新)、ブルゴーニュ(古)の組み合わせ。
ルイ14世の孫で、父親のルイ王太子(大ドーファン)と区別するため「小ドーファン」と呼ばれます。
生後間もなくブルゴーニュ公に叙され、1711年、父親の死で王太子となりますが、翌年没しました。ルイ15世の父親です。
紋章図では王冠が被せられていますが、王太孫のためと思われます。
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Louis Joseph Xavier
(1751-1761)
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【ブルゴーニュ公】ルイ・ジョセフ(在位1751−61)
フランスとブルゴーニュ(古)の組み合わせ。
ルイ15世の孫で、父は王太子ルイ。生後間もなくブルゴーニュ公に叙されますが、夭逝しました。
兄弟は彼と同じく夭逝した人物が多いですが、3人の弟が成人し、いずれもフランス王となりました。ルイ・オーギュスト(ルイ16世)、ルイ・スタニスラス(ルイ18世)、シャルル10世です。
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【ブフレール公領】 Bouffler 1695
Duche', 1708 pairie
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銀地に9個の赤いクロス・クロスレット(全ての腕の先端が十字になった十字架)と中抜きの3個の赤い星。
ブフレール公は1695年に新設された新しい称号で、1708年にフランス貴族(Pair
de
France)に登録されます。初代公のルイ・フランソアは軍人として活躍し、特に、スペイン継承戦争のリール攻防戦やマルプラケの退却で名声を築きました。
公家は1751年に断絶しました。
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【コンデ侯領】 Conde' 1551
Principaute'
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1589 Premier Prince du Sang
1709 Monsieur le Duc
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フランス王の紋章に赤色のバトン(短い斜め帯)。
コンデ侯家はノルマンディー地方の南東境界付近にあったコンデ領主領を与えられたブルボン=ヴァンドーム家のルイ(フランス王アンリ4世の叔父)に始まります。
同家はフランス王家一門筆頭の地位「Premier Prince du
Sang」を与えられ(1589年)、当主は「コンデ親王」と呼ばれました。
さらに1661年にはブルボン公の称号を与えられ、1740年まではブルボン公をも称しました。
1709年に王家一門筆頭の地位がオルレアン家に移ると、以後は「第二位の公(Monsieur
le Duc)」の称号を名乗りました。
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- 歴代侯 Princes
de Conde'
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Louis Henri (1710-1740)
Duc de Bourbon et Prince de Conde
Grand Maître de France
(1709/10-1740)
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【ブルボン=コンデ公】ルイ・アンリ(在位1710−40)
ブルボン=コンデ公ルイ3世(在位1709−10)の息子で、父の死によって公位を継ぎました。即位と同時、または祖父アンリ3世の没年(1709年)に、祖父が任ぜられていた王室執事に就任しました。
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Louis Joseph (1740-1818)
Grand Maître de France
(1740-1756)
Colonel Général de
l'infanterie (1780-)
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【コンデ侯】ルイ・ジョセフ(在位1740−1818)
第8代侯ルイ・ジョセフは1740年に父ルイ・アンリの跡を継いで王室執事に就任しました(彼は1736年生まれ:在職1740−56)。1780年には歩兵連隊長に就任します。
フランス革命が起こると国外へ亡命し、反革命軍(コンデ軍)を組織して革命軍やナポレオン軍と戦いました。彼は王政復古後の1818年にブルボン宮で没しました。
ルイ・ジョセフの死後、侯位は息子ルイ・アンリ・ジョセフがを継ぎました(在位1818−30)。しかし彼は後継者に恵まれず、コンデ家は断絶しました。
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【コンティ領】 Conti 1646
Principaute'
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コンデ侯の紋章に赤い縁取り。
コンティ侯家は17世紀の半ば、コンデ侯アンリ2世の息子アルマンド1世(大コンデの弟)に始まる、コンデ親王家の分家です。
コンティ侯の称号は、16世紀まで存続したコンティ領主領に由来します。コンティ女領主エレオノールが初代コンデ侯と結婚したため、コンティ領主領はコンデ侯領と結合していました。
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- 歴代侯 Princes
de Conti
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Armand I. (1646?-1666)
Grand Maître de France
(1656-60)
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【コンティ侯】ルイ・アルマンド1世(在位1646?−1666)
コンデ侯アンリ2世の息子で、父の死後コンティ侯家を興しました。大コンデことルイ2世の弟になります。
兄と共にフロンドの乱に参加しました。兄や義兄ロングヴィル公らと共に一時捕らえられますが、解放されるとボルドーに拠ってマザランに抵抗しました。
乱後の1656年に王室執事に就任しました(在職1656−60)。
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【エタンプ伯領】 Etampes 1327
Comte', 1536 Duche'
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Charles I. (1327-1336)
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【エタンプ伯】シャルル1世(在位1327−1336)
フランス王の紋章に、アーミンと赤で等分割された細い斜め帯。
エタンプはパリ南方にある街で、1307年に初代エヴルー伯ルイに与えられました。この領地を相続した彼の次男シャルルが1327年に伯に叙せられて伯領が成立します。その息子ルイは伯領を初代アンジュー公ルイ1世に譲り、以後、伯位は諸家の間を転々とします。
伯領は1536年に公領に昇格。初代エタンプ公の夫人アンヌはフランス王フランソア1世の愛人で、王太子アンリ2世の愛人ディアヌ・ド・ポアティエと社交界の主導権を争いました。アンリ2世が即位するとアンヌは社交界を引退し、そしてエタンプ公位は、競争相手のディアヌに奪われました。
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【エヴルー伯領】 Évreux Comte'
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1307-
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フランス王の紋章に、銀と赤で等分割された細い斜め帯。
エヴルー伯領は10世紀の末にノルマンディー公によって設置され、初代伯には一門のルーアン司教が任ぜられました。第3代エヴルー伯ギヨームはイングランド王となったので(ウィリアム征服王)、伯領は1200年までイングランドに属しました。
下って1307年に、フランス王フィリップ3世の王子ルイがエヴルー伯に叙せられ、アパナージュが成立します。それ以後、左の紋章が用いられました。
エヴルー伯は婚姻を通じてナヴァール王位を獲得しますが、15世紀に男系が途絶。エヴルーは王室領に編入され、ナヴァール王国は女王ブランシェの結婚相手フォア伯が継承しました。
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- 歴代伯 Comtes
de Évreux
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Philippe (1319-1343)
1328 roi de Navarre
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【エヴルー伯】フィリップ(在位1319−43)
ナヴァール王国の紋章との組み合わせ。1329年以降の紋章です。
ルイの息子フィリップは妃ジャンヌがナヴァール女王に即位したため、ナヴァール共治王に即位しました(ナヴァール王1328−43)。
1349年に息子のシャルル1世が母親の跡を継いだため、エヴルーとナヴァールは結合します。しかし、折からの百年戦争により、伯領はイングランドに占領され、その後1453年に至るまで、英仏双方の争奪が繰り返されました。
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【ロングヴィル伯領・公領】 Longueville Comte',
1503 pairie, 1505 Duche'
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オルレアンに銀色のバトン(短い斜め帯)。
ロングヴィル家はオルレアン公の庶子ジャンに始まる家系で、初代のジャン(デュノア伯)は、百年戦争のオルレアン攻防戦で戦功を立てました。
1503年にフランス貴族に登録され、1505年に公に昇爵します。
アンリ2世(在位1595−1663)は大コンデの姉、アンヌ・ジェネヴィエーヴ(ロングビル公夫人)と結婚、義弟と共に反マザラン派としてフロンドの乱に参加しました。
公家は1694年に断絶しました。
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- 歴代伯・公 Comtes
et Ducs de Longueville
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Jean (?-1468)
Comte de Dunois et de Longueville
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【デュノア兼ロングヴィル伯】ジャン(在位?−1468)
オルレアン公の紋章に銀色の細い逆斜め帯。逆斜め帯は庶子を示すためによく使われます。
オルレアン公ルイ1世の庶子で、デュノア伯ジャンとして知られます。百年戦争でシャルル7世のために奮戦し、ことにオルレアン攻防戦では、ジャンヌ・ダルク来援までオルレアンを堅守し、戦局の逆転に大きく貢献しました。
※初期の紋章では逆斜め帯の色は黒色だったそうです。
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Francois I. (1468-1491)
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【ロングヴィル伯】フランソア1世(在位1468−1491)
斜め帯の向きが変更されました。
フランソア1世の父ジャンの百年戦争での戦功によって、斜め帯の向きが直されました。
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Louis II. (1524-1537)
Grand Chambellan (1524-1537)
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【ロングヴィル公】ルイ2世(在位1524−1537)
背後の金色の鍵は、フランス王国の侍従長官職を表します。
第2代公ルイ2世は、即位と同時に侍従長官に就任しました。
ロングヴィル家では、他にアンリ1世が同職に任ぜられました(在職1589−95)。
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【オルレアン公領】 Orléan 1344
Duche'-pairie
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Orléan-Ancien
1392-1574
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【オルレアン公領(古)】
フランス王の紋章に銀色のレイブル。第2代オルレアン公となったルイ1世(在位1392−1407)が用いた紋章で、以後、ヴァロア系オルレアン公家の紋章として使われました。
オルレアンは9世紀以来ロベール家(のちのカペー王家)の所領で、ユーグ・カペーのフランス王即位によって王室領となります。
公領は国王親族封ですが、歴代オルレアン公からは国王に即位した人物が多く、たびたび王室領と結合しました。
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Orléan-Moderne
1626-
1709 Premier Prince du Sang
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【オルレアン公領(新)】1626年以降。
レイブルが百合の花と重ならないように修正されました。アンリ・アレクサンダー(国王アンリ3世)の死で絶えていた公家が復活してからの紋章です。ブルボン=オルレアン家は1709年には王家筆頭親族の地位を与えられます。
オルレアン公ルイ・フィリップ2世は1830年に「フランス人の王」に即位し、彼の子孫は現在も王位請求権を保持しています。
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- 歴代公 Ducs
d'Orléan
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Philippe (1344-1375)
1344 Comte de Valois
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【オルレアン公】フィリップ(在位1344−1375)
フランス王の紋章に脚の部分が銀と赤で分割されたレイブル。
フランス王フィリップ4世の息子で、1344年にヴァロア伯および初代オルレアン公に叙されました。
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Louis I. (1392-1407)
Duc d'Orléan, Comte de Valois et de
Dunois, etc.
1386-92 duc de Touraine
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【オルレアン公】ルイ1世(在位1392−1407)
第2代オルレアン公です。フランス王シャルル5世の息子で、元々はトゥーレーヌ公でした(在位1382−92)。オルレアン公と同時にヴァロア伯(1404年にヴァロア公に昇爵)にも叙され、さらに1402年にはルクセンブルク公国の質権を購入し、同公にも即位しましました(ルクセンブルク公:1402−07)。
いとこのブルゴーニュ公ジャン無懼公と激しい党派抗争を繰り広げた結果、1407年にブルゴーニュ公の配下に暗殺されました。この事件により、アルマニャック(オルレアン派)とブルギョン(ブルゴーニュ派)の抗争は泥沼化します。
→ブルゴーニュ Bourgogne
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Charles I. (1407-1464)
1447 Duc de Milan
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【オルレアン公】シャルル1世(在位1407−64)
1447年以降の紋章です。オルレアンとミラノの組み合わせ。
父の暗殺後、オルレアン公に即位しました。
ミラノ公国を治めていたヴィスコンティ家が断絶すると、母親が同家出身という血縁から公位を主張して、ミラノ公を名乗り、紋章にもミラノを組み入れました(1447年)。
スフォルツァ家の君臨によってミラノの支配はかなわなかったものの、彼の息子ルイ(フランス王ルイ12世)の時代、ミラノは一時的にフランスに帰属します。
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【レーテル伯領・公領】 Rethel Comte',
1405 pairie,1581 Duche'
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赤地に金色のすき櫛。
10世紀後半に成立した伯領で、12世紀以降、婚姻を通じてヌヴェール伯領やフランドル伯領と結合しました。1392年、女伯マルグリット(フランドル女伯マルハレータ)の息子アントワーヌが伯領を相続し、ブルゴーニュ家による支配が始まり、彼の代にレーテルはフランス貴族に登録されます(1405年)。ブルゴーニュ家の支配は、しかし、1491年に男系が途絶して終わり、その後もたびたび女伯が誕生し、家系が安定しませんでした。
レーテルは1581年に公領に昇格しますが、1663年にヌヴェールと共に枢機卿マザランに譲渡され、マザラン公領を構成しました。
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- 歴代伯 Comtes
de Rethel
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Jean II. (1464-1491)
1435-1542 Comte d'Etampes
1464 Comte de Nevers
1472 Comte d'Eu
1456 Chevalier de la Toison d'Or
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【レーテル伯】ジャン2世(在位1464−91)
組まれている紋章は、ブルゴーニュ(新)、レーテル、アルトア、ブラバント。アルトアは彼の母親の実家です。
世継ぎのいなかった兄シャルル1世の後を継いでレーテル伯とヌヴェール伯に即位しました。
彼は母方の伯父シャルルからウー伯を継承(在位1472−91)した他、エタンプ伯(在位1435−42)などを兼ね、1456年にはブルゴーニュ家の金羊毛騎士団第55番目の騎士に迎えられました。
ブルゴーニュ公国崩壊後も自領を保持しますが、後継男子に恵まれず、娘のシャルロッテとその夫ジャン・ダルブレが後を継ぎ、ブルゴーニュ家の支配は終わりました。
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【ヴァロア伯領】 Valois Comte',
1406 Duche'-pairie
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Jean Tristan (1268-1270)
1265 Comte de Nevers
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【ヴァロア伯】ジャン・トリスタン(在位1268−70)
フランス王の紋章に赤い縁取り。後のアンジュー公の紋章と同じです。
フランス王ルイ9世の四男で、1265年、ヌヴェール女伯ヨランド(在位1262−80)と結婚し、ヌヴェール共治伯となりました。1268年にヴァロア伯に叙されましたが、在位2年で早世しました。
ヴァロアは13世紀初頭にカペー王家の領土に組み込まれました。ジャン・トリスタンはカペー家初代のヴァロア伯です。
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Charles I. (1285-1325)
1290 Comte d'Anjoiu (1297 Duc )
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【ヴァロア伯】シャルル1世(在位1285−1325)
赤い縁取りを加えたフランス王の紋章に、更に赤いレイブルを加えたもの。
フランス王フィリップ4世の四男で、先代のジャン・トリスタンの甥にあたります。
1285年にヴァロア伯とアランソン伯に叙され、次いで1290年にはアンジュー伯にも即位しました。
左の紋章はアンジュー伯になってからも用いられましたが、1297年にアンジュー公に昇爵すると、レイブルが取り除かれました。
1328年に、息子フィリップがフランス王位に就き、ヴァロア朝が始まります。
→アンジュー Anjoiu
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Philippe (1326-1328)
1293 Comte d'Alençon
1313 Comte de Maine et de Chartres
1328 Roi de France (Philippe VI.)
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【ヴァロア伯】フィリップ(在位1326−28)
フランス王の紋章に赤い縁取り。父シャルル1世の1297年以降の紋章と同じです。
1293年、誕生と同時にアランソン伯に叙され、1313年からはメーヌ伯とシャルトル伯を兼ねました。その頃の紋章は、赤い縁取りに内繰りが加えられていましたが、ヴァロア伯に即位と同時に、父の紋章を継承しました。
1328年、カペー王家の断絶を受けてフランス王に即位し、ヴァロア朝を興しました。
ヴァロア朝期はオルレアン公がヴァロア伯(1404年以降ヴァロア公)を兼ねたため、たびたび王位と結合しました。
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【ギーズ公領】 Guise 1527
Duche'-pairie
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赤のレイブルがついたロレーヌ(ロートリンゲン)。
ギーズ公家はロレーヌ公家の分家で、ロレーヌ公ルネ2世の息子クロード(在位1528−1550)に始まります。
本家が神聖ローマ帝国の宮内官職を務めていたのに対し、ギーズ家はフランス王に仕え、第2代公フランソワは神聖ローマ皇帝カール5世からメッツを防衛したり、イングランド王国領カレーの奪取を指揮するなど活躍、フランス王国屈指の有力家系へと成長していきます。
ギーズ家が1675年に断絶すると、公位はブルボン公(コンデ親王家)に継承され、現在はブルボン=オルレアン家がギーズ公の称号を保持しています。
→ロートリンゲン Lorraine
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- 歴代公 Ducs
de Guise
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Henri I. (1563-1588)
1550 Prince de Joinville
Grand Maître de France
(1563-1588)
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【ギーズ公】アンリ1世(在位1563−88)
第3代ギーズ公で、ユグノー戦争のさなかに父フランソワが暗殺されたため即位。同時に、父が任ぜられていた王室執事の役職も引き継ぎました(在職1563−
88)。
アンリ1世はサン=バルテルミの虐殺の首謀者の一人とされます。1576年にはカトリック同盟の指導者となり、国王アンリ3世の後継者問題で国王と対立、自らが王位に就こうと「三アンリの戦い」を起こしました。アンリ3世を追放してパリを掌握したものの、王党派によって暗殺されました。
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Charles I. (1588-1640)
Grand Maître de France
(1588-1594)
Amiral du Levant
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【ギーズ公】シャルル1世(在位1588−1640)
第4代ギーズ公で、最初、大叔父シャルル(ロレーヌ枢機卿)の跡を継いでシェヴリューズ公でした。
1588年に父が暗殺されるとギーズ公位を継ぐものの、1591年までは幽閉されました。解放後、カトリック同盟は彼を王位継承者に擁立しようとしますが、彼はアンリ4世に尽くすことを宣言し、以後、王国の重臣として活動します。
1611年にジョワイユーズ女公エンリエッテ・カトリーヌと結婚し、ジョワイユーズ公位をギーズ家にもたらしました。
後年、リシュリューと不和になり、マリー・ド・メディシスと共に国外に脱出。イタリアに赴いて、同地で没しました。
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Henri II. (1640-1664)
Grand Chambellan (1654-1658)
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【ギーズ公】アンリ2世(在位1640−64)
第5代ギーズ公で、最初、叔父ルイ(ギーズ枢機卿)の後任としてReim大司教となりました(在位1629−40)。しかし、1639年に兄が、翌年に父が没したため、還俗してギーズ公を継ぎました。
1654年には、実弟のジョワイユーズ公ルイの後任として侍従長官に就任しました。
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【ブルターニュ公国】 Bretagne 1297
Duche'-pairie
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アーミン模様。
公国は987年に成立しました。公家はイングランドとの結びつきも強く、イングランドにも所領を持っていました。
13世紀初頭に公位はプランタジネット家からドルー家(フランス王家の分家)に移り、1297年にはフランス貴族に登録されました。
しかし、独自の文化を持っていたため独立色が強く、イングランドとも深いつながりを保っていました。その結果、ブルターニュ継承戦争(1341−65)が勃発し、百年戦争を激化させる呼び水となりました。
女公アンヌ(在位1488−1500)の時にフランスに敗北し、アンヌはシャルル8世、次いでルイ12世の妃となり、アンヌの娘クロード(在位1514−24)の死後、ブルターニュはフランス王室領に吸収されました。しかし、フランスとの統合後も課税・司法・軍事権はブルターニュに残され、フランス革命まで自治が行われました。
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- 歴代公 Ducs
de Bretagne
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Pierr I. Mauclerc
(1213-1237)
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【ブルターニュ公】ピエール1世(在位1213−1237/50)
ヴェルマンドア伯の紋章にブルターニュをカントン(四分の一の面積の盾地)として加えました。
ブルターニュは13世紀の初頭にフランスの後見下に置かれました。ピエール1世はフランス王ルイ9世の後押しでブルターニュ公の娘アリックスと結婚し、1213年に公位に就きました。その後妻の共治者としてイングランドのリッチモンド伯にも即位します。
ピエールの実家ドルー家はフランス王ルイ7世の弟ロベールに始まる家系で、1168年に断絶したヴェルマンドア伯(フランス王アンリ1世の三男に始まる家系)を継ぎ、同伯の紋章に赤い縁取りを加えたものを使用していました。ピエールはドルー家の紋章にブルターニュをカントンに加えたバリエーションも用いました。
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Jean I. (1237-1286)
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【ブルターニュ公】ジャン1世(在位1237−86)
ドルー伯の紋章にカントンでブルターニュを加えました。
ピエール1世の息子で、1268年に、一時ペーター・オヴ・サヴォイに与えられていたリッチモンド伯を得ました。以後、ブルターニュ公は14世紀の末までリッチモンド伯位を保持しました。
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Duchesse de Bretagne
Anne (1488-1500)
1491 Reine de France
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【ブルターニュ女公】アンヌ(1491年以降)。
フランス王妃となってからの紋章です。
11歳で即位したアンヌ(在位1488−1500)は、ブルターニュの独立を保持するため、1490年にオーストリア大公マクシミリアン1世と結婚しますが、フランス王シャルル8世に攻められ敗北、マクシミリアンとの結婚を破棄させられて王の妃となりました。
シャルル8世が急死すると、王との結婚時に結ばされた条約により、次のフランス王ルイ12世と結婚させられます。
アンヌとルイ12世の結婚にはローマ教皇の認可が必要でした。結婚を承認する教書を持参した特使は、教皇の私生児チェーザレ・ボルジアでした。
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Claude (1514-1524)
Duchesse de Bretagne et Reine de
France
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【ブルターニュ女公】クロード(在位1514−24)。
アンヌの一人娘で、フランス王女でもあったクロードは、フランス王太子フランソワ(後のフランソワ1世)と結婚しました。
彼女の死から8年後の1532年に、統合協定が批准され公国は消滅、王室領となりますが、その後も自治が行われました。
左の紋章は以後のブルターニュの紋章となり、ルイ16世が配布したメダルにも刻まれました。
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François (1532-1536)
Duc de Bretagne et Dauphine
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【ブルターニュ公】フランソア(在位1532−36)
王太子とブルターニュの紋章の組み合わせ。
1532年、ブルターニュは王室領となり、クロードとフランソア1世の息子・王太子フランソアがブルターニュ公に就きました。
王太子でもあったたので、王太子の紋章とブルターニュの紋章が組み合わせられました。
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Henri (1537/9-1544)
1536 Dauphine
1547 Roi de France (Henri II.)
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【ブルターニュ公】アンリ(在位1537−44)
王太子とブルターニュの紋章の組み合わせ。
兄が早世したため王太子となり、次いでブルターニュ公に叙せられました(ブルターニュ公1537/9−44)。
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François (1544-?)
1547 Dauphine
1558 King of Scotland
1559 Roi de France (François
II.)
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【ブルターニュ公】フランソア(在位1544−60?)
フランスとブルターニュの組み合わせ。
アンリ2世の長男で、誕生の翌年にブルターニュ公に叙せられました。1547年には父の国王即位で王太子となったため、この紋章が使用されたのは短期間でした。
→スコットランド Scotland
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