イギリス



まだまだ工事中…

Kingdom of Scotland

【スコットランド王国】

金地に赤色のロイヤル・トレッシャー(百合花をちりばめた盾の外縁に沿った二本の細帯)と、爪と舌が青い赤色のライオン。

Kingdom of Scotland
James V. & Mary of Guise

【スコットランド王国】ジェームズ5世(1513−42)とメアリー・オヴ・ギーズ(摂政1542−60)

スコットランドとギーズ公の紋章の組み合わせ。いわゆる「結婚紋章」です。肖像画に描かれた紋章にはレイブルが描かれていませんが、ギーズ家の紋章はレイブルを描くのが正式です。

フロッドンの戦いで戦死した父王の跡を襲ったジェームズ5世は、極めて親フランス的な政策を採り、王の死後、摂政となった王妃メアリーもその路線を推進したため、イングランドの侵攻を招きます。これに対しメアリーは故国フランスに支援を求めました。
支援の条件にフランスに送られた娘メアリー・スチュアートがフランス王太子と結婚すると、フランスへの併合を危惧した宗教改革者達が中心となって、摂政メアリーに対し蜂起します。この叛乱にイングランドとフランスが介入して争乱は拡大しますが、メアリーの死を契機にエディンバラ条約が締結され、事態は収束に向かいました。

Kingdom of Scotland
Francis

【スコットランド王国】フランシス(在位1558−60)

フランス&ドーファンとスコットランドの組み合わせ。

フランス王太子フランソア(フランソア2世)は1558年に女王メアリー・スチュアート(在位1542−67)と結婚し、スコットランド共治王に即位しました。
フランソアは翌年にフランス王に即位したため、この紋章は短命でした。


 【工事中】まったく収拾がつかない状態です…(汗) 


コモンウェルス&クロムウェル

チャーチル首相

ダイアナ妃

ポートランド公

ポール・マッカートニー

14世紀後半のイングランド貴族達の紋章

Earl of Arundel

【アランデル(アランドル)伯】

第10代伯リチャード・フィッツアラン(在位1376−97)
彼の父第9代伯も同じくリチャードでした(在位1330−76)。1289年にサセックスにあるアランドル城とその周辺の領主に封じられたリチャード・フィッツアランを初代とします。
第10代伯リチャードは国王リチャード2世と対立、議会に告発して王の腹心を死罪に追いやります。その後、王の勢力が盛り返すと、再び陰謀を企てますが、事前に露見し、捕らえられて殺されました。

フィッツアラン家最後の伯ヘンリーは枢密顧問官としてメアリー1世擁立に貢献します。彼の死後、伯位はノーフォーク公妃となった娘メアリーの息子フィリップ・ハワードが継承しました。

Earl of Devon

【デヴォン伯】

エドワード・ド・コーテネイ(在位1377−1419)
コーテネイ家はフランス出身の貴族で、1335年頃にデヴォン伯となりました。エドワードはその3代目にあたります。

なお、コーテネイ領主レジナルド(在位1127?−1190?)の娘エリザベートはフランス王フィリップ6世の息子ピエール1世と結婚し、その家系もコーテネイ家を称しました。ピエール1世の息子ピエールとその子孫はコンスタンチノープル皇帝となります。

Earl of March

【マーチ伯】

ロジャー・モーティマー(在位1381/94-98)
アルスター伯を兼ねました。
モーティマー家は彼の息子の代で断絶、マーチ伯位はヨーク公プランタジネット家が継承しました。

Earl of Northumberland

【ノーサンバーランド伯】

ヘンリー・パーシー(在位1377−1405/1406−1408)
パーシー家初代のノーサンバーランド伯です。
息子の「短気者(Hotspur)」ヘンリーと共に対スコットランド戦で功績を上げ、ヘンリー4世の即位にも尽力しました。しかし、恩賞問題のもつれから、王に対して叛乱を企てるも敗北、息子ヘンリーを失いました(1403年)。
1405年に再度反国王連合を組織しますが、事前に密告されて失敗、スコットランドへと亡命します。
亡命から三年後に帰国したところを捕らえられ、処刑されました。

Henry Percy , Hotspur

【短気者ヘンリー】

ヘンリー・パーシー
ノーサンバーランド伯ヘンリーの息子。父と共に対スコットランド戦で活躍、スコットランド軍の将と一騎打ちを演じたことから「短気者(Hotspur)」の異名を与えられました。

ヘンリー4世の擁立にも尽力したものの、恩賞の少なさから不満を抱き、ついには叛乱の兵を挙げます。
1403年7月、シュルーズベリーでヘンリー4世と対戦して敗死しました。

シェイクスピアの『ヘンリー4世』は、シュルーズベリーの戦いに取材しています。

Earl of Oxford

【オックスフォード伯】

ロバート・ド・ヴェレ(在位1371/1381−88)
第9代オックスフォード伯で、リチャード2世の寵臣だった人物です。アイルランド公(在位1386−88)とダブリン侯(在位1385−88)にも叙せられました。
ロバートは国王支持派の中心人物として活躍しますが、アランデル伯ら「告発貴族」の陰謀に敗れ、大陸に亡命しました(1387年)。
1392年に彼が死去すると、叔父オーブレイが伯位を継承しました。

Earl of Salisbury

【ソールズベリー伯】

ウィリアム・モンタギュー(在位1349−97)
同名の父ウィリアムが断絶していたソールズベリー伯を再興しました。
子がいなかったウィリアムの跡を継いだ一族のジョン(在位1397−1400)は、廃位されたリチャード2世を支持し、ケント伯らと共に新王ヘンリー4世の襲撃を試みて失敗、逆に処刑されました。

Earl of Warwick

【ウォリック伯】

トマス・ビーチャム(在位1315/29−1397)
ビーチャム家第3代の伯で、1388年にアランデル伯らと共に国王リチャード2世の寵臣を弾劾して失脚させました。
そのため、1397年にリチャード2世の復讐を受け、ロンドン塔に幽閉されました(ビーチャム塔はこれに由来します)。

トマスの跡を継いだリチャードは百年戦争で活躍し、その子ヘンリーは侯に昇爵します。しかし、ヘンリーは嗣子を残さずに没したため、妹婿となったネビル家(新ソールズベリー伯家)のリチャードが伯位を継承しました(1449年)。

Earl of Warwick

【ウォリック伯】

「国王製造人」リチャード・ネヴィル(在位1449−1471)
ウォリック伯ヘンリーが嗣子なく没すると、妹婿のリチャード・ネヴィルが伯位を継承しました。
リチャードはバラ戦争で活躍し、「キングメーカー(国王製造人)」と呼ばれました。

リチャード・ネヴィルの紋章は数種あるようです。左の紋章中、向かって左下の赤地に銀色の斜め十字がネヴィル家の紋章で、脚部が青都銀で分割されたレイブルがリチャード個人を表すようです。
向かって左上のビーチャム家の紋章と、金と青のチェックにアーミン(毛皮模様)を描いた山形帯の紋章が、先代までのウォリック伯の紋章です。

Richard Neville ,
Earl of Warwick & Salisbury

【リチャード・ネヴィル(2)】

リチャード・ネヴィルの紋章のヴァリエーション。ウォリック伯即位以前の紋章だと思います。

向かって左上と右下は、ソールズベリー伯の紋章のようです。銀地に3個の赤い縦長の菱は、ソールズベリー伯だったモンタギュー家の紋章です。
リチャードの父リチャード1世はソールズベリー女伯アリス(在位1428−62)と結婚し、共治伯となります(在位1429−60)。その父の死後、リチャードはソールズベリー伯を継ぎ、自身のウォリック伯領とあわせて広大な領土を支配しました。

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