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dog biscuit
Mr.N'CineCritique
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#03「トラフィック」

決して勝ち目のないもう一つの戦争

 15年前にオリバー・ストーンが登場したとき、まったく新しい形のリアリズムを描く監督が生まれたように感じて、おおいにワクワクさせられたのを思い出す。『サルバドル』(1986)、『プラトーン』(1986)、そして『ウォール街』(1987)と続く作品群は、膨大な情報と過剰な言葉、何より監督本人のベトナム従軍経験という裏付けを得て、有無を言わさぬ説得力があった。それでいながらスタイリッシュな映像表現も可能にしているという点で、まさに映画のひとつの達成を感じたものだ。

 そして今、この『トラフィック』によって、映画はさらに新たな次元に突入する。麻薬戦争を扱った題材そのものは、決して目新しいものではない。複数の場面を切れ味鋭くたたみかける編集も、さまざまに変えた画調で複雑なシナリオを区分けする映像処理も確かに刺激的だが、オリバー・ストーンの『JFK』(1991)を既に経験している私たちにとって、それらは決して新鮮なものではない。ではいったい何がちがうのか。それは『トラフィック』が、観客を決して「別の世界」へなど連れては行かないということである。
 オリバー・ストーンのリアリズムは、観客を「その現場」へと連れて行ってしまった。ニュース映像などで、既に知ったような気がしていた戦場、ないしは株式市場の世界に、「お前らは真実を何もわかってない。だからそこに連れて行ってやる!」という姿勢である。ストーンの作品を見たものは誰しも、まさにその現場にいるかのような臨場感を体験できたし、ロサンゼルス・タイムスによる「『プラトーン』は爆心地にいるのだ」という評も、ズバリ的を射ているわけだ。

 一方、スティーブン・ソダーバーグは、その外見の印象からしても、非常にインテリジェントな監督である。汗まみれになって麻薬戦争の最前線に自ら飛び込んでいくようなタイプではない。『トラフィック』は、あくまでも外部からの視点で世界を見ており、どこまでも知的な意匠をまとっている。それは、数多い登場人物の行動を外側から観察するような、三人称での語り口を選択したことに由来する。言ってみれば中心の不在。たとえばチャーリー・シーンの目を通した、一人称の視点で物語を語る『プラトーン』や『ウォール街』のようなロマンチシズムは、排除されているのだ。従ってストーンの作品にどこかつきまとっていたヒロイズムは、当然のことに、ない。彼の作品が、ややもすれば劇場を出ると同時に「やれやれ、ひどい目にあったよね」というジェット・コースター的な印象を残しかねなかったのにくらべると、ソダーバーグのアプローチは、現実世界の絶望感と不毛さが、いつまでも頭につきまとう。これは体感型リアリズムに対するソダーバーグの反論なのだ。もちろん、オリバー・ストーン的な善と悪の対比構造など、ここにはない。

*自らが麻薬常習歴を持つ、スティーブン・ギャガンによる脚本は、ディテールの細かさにおいて際立っている。たとえば、ベニチオ・デル・トロ扮する警察官が、麻薬取引の黒幕を連行するまでのシークエンス。カウンターで酒を飲む黒幕の前に、そっとタバコのケースを置く。ケースにはコンドームが貼り付けられており、それを一目みた黒幕はタバコを求める。トロはタバコを与え、火をつけてやりながら、自分でもタバコをくわえる。「合意」成立である。ホモセクシャル特有の、実に実に意味ありげな視線がねっとりとからみあう。きれいごとではすまない麻薬捜査の生々しい実体に息を飲む。
 次のショットではもう、その黒幕は目隠しをされて、連行されているのだが、その展開も無駄がなく、最高にスピーディだ。『トラフィック』は情報提示と話術の経済性が一体となって、一瞬たりとも緊張感が途切れることはない。

 作品の冒頭で、マイケル・ダグラスが麻薬取締責任者に任命されたとき、一ヶ月後のプレス会見で捜査プランを発表するよう命じられるが、映画はその会見をラストに置いている。つまり、きっかり一ヶ月間に起こったドラマであることがわかるわけで、そのスキのない構成感は、非常に堅牢な脚本上のテクニックを感じさせられる。
 
ラストシーンでベニチオ・デル・トロが見ている風景は現実のものなのかどうか。それが理想化された心象風景でないという確証はどこにもない。映画そのものは、かすかな希望の芽を残して終わるが,よく考えてみると何一つ解決などしておらず、上映後の印象としては、証人として保護された密売人(ミゲル・フェラー)のセリフに尽きる。「あんたらは敗戦を知らずに孤島にいた日本兵と同じだ。政府はとっくに麻薬戦争に負けている」

 スティーブン・ソダーバーグが『セックスと嘘とビデオテープ』(1989)でカンヌを征したとき、ヴィム・ヴェンダースは「映画の未来はソダーバーグとともにある」と断言した。その後長らく、それは間違いだったと誰もが思っていたが、21世紀の今、映画の未来がソダーバーグにある、と断言することにいささかの躊躇もない。
(2001:5.5)

*脚本のスティーブン・ギャガンが「ニューズウィーク日本版」(2001年2月21日号)に寄せた手記は、本人の麻薬体験と犯罪実態を赤裸々に語った迫真のレポートである。ここでは、逮捕されたギャガンの護送車内での体験が語られている。
「『これから問題を出す。もし正解だったら、外の空気を入れて照明を消してやる』。それだけ言うと、警官は小窓を閉めた。(中略)体から湯気が出るほど汗だくの私たちを眺めると、警官は言った。『月とヨーロッパ。近いのはどっちだ?』私はあわてた。これはなぞなぞだろうか。どう答えても、はずれなのではないか。(中略)私はゆっくりと答えた。『……ヨーロッパのほうが近い』。運転席から本気で悔しがる声が聞こえた。『ちきしょう、当てやがった』」
 まるで『トラフィック』に出てきそうなエピソードだ。最後にギャガンは、こう書いている。『この戦争の相手は人間の本質そのものだ。敵は私たち一人ひとり。とうてい勝ち目はない。』

eriko's Notes : これは特別な人の物語ではなく、普通の人々が望むと望まざるとに関わらず、麻薬戦争の渦に巻き込まれて行く物語です。ここに描かれていることが非日常ではない、という現実がアメリカにはあるのです。例えば、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じるごく平凡な実業家の妻は、ある日、夫の逮捕により彼が麻薬王であることを初めて知ります。それからの彼女は、子供と夫を守るために、夫の罪状を証言する証人を抹殺し、麻薬売買の交渉にも自ら乗り出していくのです。
 個々の人間のそれぞれの事情が、事態をどんどん複雑なものにしていき、麻薬撲滅という理想は、どんどん遠いところに行ってしまいそうな現実を突きつけられます。作品を見終わった後に、心にとげの刺さったというか、何かざわざわした気持ちが残ります。これこそ「考え続けろ」という、ソダーバーグ監督のメッセージなのかもしれません。

 マイケル・ダグラスが演じた麻薬取締責任者には、当初ハリソン・フォードがオファーされていたそうです。でも、出演料の折り合いがつかなくて(低予算映画だったので)マイケル・ダグラスに声がかかったそうです。(ダグラスの起用で、予算は組み直されたようですが)私としては、イメージ、声ともに硬質なダグラスが適役だったと思いました。


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