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dog biscuit
Mr.N'CineCritique
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#07「彼女を見ればわかること」

カリフォルニアの空の下で

 恋愛と人生に悩みを持つ女性たちの5つの物語である。それぞれのエピソードを、グレン・クローズ、ホリー・ハンター、キャリスタ・フロックハート、キャメロン・ディアス、キャシー・ベイカーといった、いずれ劣らぬ演技自慢たちが、それこそ感情の襞の一本一本を分け入るように、緻密な演技で語っていく。綴られる物語は重く、深い。映画という以上に、まるで深遠な文学作品を読んだ後のような後味が残る。完璧に練り上げられたシナリオを、完璧な読解力と表現力を持った女優が演じた、超一級の芸術作品だ。

 5つの物語の舞台はロサンゼルス。どちらかというとアクション映画向きで、人と人との関係性が希薄なこの街を舞台に、こうした心理劇が展開されるのは珍しい。けれど、だからこそ一層、人との絆を求め、関係性をまさぐっている彼女たちの状況が際立ってくる。
 多くのダイアログは、強いカリフォルニアの太陽の下で語られている。特に、セックスと真実の愛についての洞察である、ホリー・ハンター編の哀愁感は、ロスという街の虚構性抜きには演出しきれなかったかもしれない。彼女の目が、強い陽射しでいつもまぶしそうに細められることで、感情表現に独特の効果が加わっている。良識と性欲の間で揺れる心を描いたキャシー・ベイカー編が、反対に、ユーモラスで陽気な気分を漂わせているのも、ロスの光が関係しているのかも。その他のエピソードも、この人工的な大都会の光の下で、全員が「自分にとっての誰か」を懸命に探し、またはつなぎとめようとしている。

 それにしても女優達の表現力がすごい。第1話のグレン・クローズは、誰かからの電話を待っている様子の年配の女医。老母の介護と仕事で忙しいが、まだ「女」を忘れていない。そのことを、母がしているダイヤのピアスをそっと自分でつけてみる、ただそれだけで表現しきってしまう。彼女を訪れた占い師(キャリスタ・フロックハート)が、女医のあれこれを占って、その人格や未来を言い放っていく。(玄関に立つフロックハートは、気だるそうに体をSの字にゆがめているのだが、そのSの形がどうにもいろんな単語を連想させてならない。Sexuality? Solitude? Sin?)この場面は、クローズの超絶技巧演技の炸裂だ。表情を凝視していると、感情の揺れ動きが手にとるようにわかる。その過程で、彼女が誰からの電話を待っているのかすらも、次第に察せられていくのだ。ここでのポイントは「察することができる」ということ。会話の中ではそんなことを一言も述べていないのに、それをわからせてしまう演技の力である。こうした表情の演技は、畑中佳樹が『ソフィーの選択』(1982)でのメリル・ストリープの演技を、「この顔はスクリーンの枠の中にホルマリンづけになった表情の標本だ」(フィルムアート社「2000年のフィルムランナー」)と厳しく批判している。けれど、ここで見るのは生ある者の血の出るような感情のうごめきだ。当然ながら演技術は20年を経て進化しているのである。

 ダイアログと表情の演技のクライマックスは、最終話である。女性警官(エイミー・ブレナマン)は、盲目の妹(キャメロン・ディアス)と2人暮しで、障害を持つ妹のために何かと世話を焼いている。美貌の妹は目こそ不自由だが、ボーイフレンドには困らない。いささか男っ気のない姉は、そんな妹に対してどこか疎ましさを感じないではないが、それを表に出すことはない。妹はそんな姉の心情を知ってか知らずか、どこか酷薄なところがある。それは健常者の姉に対する云われのないねたみ? いずれにせよ、無意識の嫉妬、無意識の残酷さが交錯している。けれども根底に流れるものは、嘘偽りのない姉妹愛。こうした無意識下の複雑な感情を演技で表現する。演技者にとってこんな難事があるだろうか? これらの感情を読み取っていく作業ほど、鑑賞者にとってスリリングな体験もないのではないか。また、妹は目が見えないために、嗅覚によって傷つくことにもなるのだが、そのあたりの運命の残忍さを描き出すシナリオの技にも、ただただうなるしかない。

 それぞれのエピソードは、相互に関連性はないものの、しかし各登場人物はモザイクのようにからみあっている。誰がどの物語の、どこの場面に出ているかという、ちょっとクイズみたいな楽しみ方もできる。ただし、そんなディテールを探しながら気付くことは、人間性の希薄さが唱えられる都市生活者一人ひとりの背景にも、実にふくよかな人生があるのだという普遍的な認識である。それは人間に対する愛情と言えるし、従ってこのパズル的な「しかけ」が可能にするのは、各エピソードが個人のささやかな、つまりミニマリズムの物語であるにもかかわらず、作品全体としては、人間の営みそのものを俯瞰する、究めてマクロな視点を持つという、戦略的な作劇術だ。普遍的なテーマを語ることが困難な、ミニマリズムの限界を打開する唯一の方法が、ここに提示されている。そしてそれを可能にした、作者の広く大らかで、何より強靭な意思と才能の力に強く感動させられる。
 それにしても脚本・監督のロドリゴ・ガルシアの華麗なデビューである。文豪ガルシア=マルケスの実子とのことだが、父親よりよほど大物かもしれない。
(2001:7.22)

eriko's Notes : この作品は、女性心理をたいへんよく表現しています。女性なら「そう、そうなんだよね…」と共感し、また胸をしめつけられる箇所も少なくありません。ごく平凡に見える女性たちは、それぞれに何かの事情を抱えています。そんな彼女たちを鋭くクールに、且つ、センチメンタリズムに溺れない温かい眼差しで、丁寧に描いています。だからこそ、彼女たちの心に寄り添いながら、彼女たちの目を通して、現実を見つめようとしている自分に気がつきます。何かしらの勇気を胸に、映画館を後にできる作品でした。

 出演する女優陣は、みんな素晴らしいのですが、中でも私がはまったのは、ホリー・ハンター。銀行の支店長というポストについて、有能に仕事をこなし、プライベートライフも充実したものにしようとしています。それは、ちょっと頑張り過ぎの感があり、いつプツンと切れてしまうかわからない危うさもあります。小柄なホリーがよく演じていて、ぴりぴり感というものが痛いほど伝わってきました。実に妙を得た配役だったと思います。
 ところで、私、ホリー・ハンター好きなのを最近発見しました。「ホーム・フォー・ザ・ホリディ」(1995)なんか、とっても好きです。


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