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dog biscuit
Mr.N'CineCritique
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#12「オーシャンズ11」

インテリのための娯楽装置

 ジュリア・ロバーツがこちらに向かって歩いてくる。その歩みとともに、カメラが移動し、やがてジョージ・クルーニーとブラッド・ピットも同じ1つのフレームの中に入ってくる。そうそう、これこそオールスターキャストの魅力だよ! と、それだけで幸せになり、つい顔をほころばせてしまいもした。けれども本当は心の中でこう思っていた。どうしてジュリア・ロバーツってこんなに歩き方がヘタなんだ!?
 体は斜めに曲がっているし、少しギクシャクしてさえもいる。この人の歩き方に見苦しさを感じたのは、さりとて今回が初めてではなく、初期の『愛がこわれるとき』(1991)では、もう既にその不器用さは現れていた。ソダーバーグ監督と組んで、オスカーも獲得した『エリン・ブロコビッチ』(2000)でのロバーツがあれほど輝いていたのは、あの品のない、まあよく言えばバンカラな歩き方が、演じるキャラクターにばっちりフィットしていたからだ。そしてこの監督はそのことも見通した上で演出しているんだくらいに思っていた。
ジュリア・ロバーツには、それを補って余りある魅力があるので、さほど気にしてもいなかったが、今回、クルーニーとアンディ・ガルシアというデラックスな2人に愛される、極上のレディを演じてなお、この歩き方をしているのは、さすがにマズイんじゃないか。それに、こんな彼女の歩き方にNGを出さず(出せず)、それに対して適切な演技指導をしない(できない)ソダーバーグは、決して完全主義者ではないなと思わざるを得なかった。
 ジュリアのこの歩行シーン。時間にすればわずかだが、事態は決して小さくなく、ここにソダーバーグの思いがけない弱点が垣間見えたように思う。そしてどんな理由があれ、こんなショットにOKを出してしまう彼は、もしかしたら『トラフィック』(2000)あたりが演出家としてのピークになってしまうのではないか、という不安さえ感じたのである。
 これからの映画界を背負って立ち、そのうち映画史に不朽の名をとどめる大傑作を撮り上げ、『アウト・オブ・サイト』(1998)など、それに至るほんの道しるべにすぎなくなるような、そんな期待をしていた身としては、失望をかくせない一瞬だった。
 実際ソダーバーグはこのオールスターキャストを、動かせているようで、実はそれほど動かせていない。たとえばマット・デイモンのスリの腕前を、なぜもっとプロットに組み込んで、人物紹介以上のものにできなかったのか。(他のキャラもみんなだ)現金強奪計画の全貌を練ったのはクルーニーなのかピットなのか、2人の役割分担はどうなっているのか。ロバーツとピットはどのような感情を抱き合っているのか。
 できのいい娯楽映画は、そうしたシナリオ上の欠陥に、見ている間はまったく気づかせず、あとになって初めて思い当たるものだが、残念ながら『オーシャンズ11』の場合は、そうしたことが見ている間じゅう、逐一気になってしかたがなかった。

 しかし、そうとは言ってもクルーニーとロバーツの口論といい、ガルシアとのさやあてといい、ああ言えばこう言うダイアログは実によく練られている。それに小気味よく展開する画面のテンポのよさも加わって、この映画の持つ圧倒的な魅力には抗いようもない。
 何といっても、この映画が私たちの目に対して働きかける心地よさは格別だ。それはグッドルッキングなスターが大勢出演していることとは別に、画面の彩りそのものに対する趣味のよさである。レストランにせよ、カジノにせよ、金庫室にせよ、各シーンにおいて、実に的確でクールな照明と色調の中に人物が浮かび上がる。
 金庫破りのシーンで、防犯ドアに続く廊下をクルーニーがすべらせる、円形装置のシャープな滑走ぶり1つとっても実に快感だ。廊下と装置の接触面をかなり入念に細工してテストしたのだろうし、演じるクルーニーのモーションの美しさは言うまでもない。
 また、ソダーバーグと組んだ『アウト・オブ・サイト』に続いて、今度もクルーニーは刑務所から出てくるシーンで映画を始めており、前回は見事なアクションで上着を地面に叩きつけたものだが、『オーシャンズ11』では、よれよれの服装で刑務所の門をくぐったかと思うと、次のショットではスーツを華麗に着こなしてラスベガスのホテルに出没するという、そのへんのリズムのよさも実に目を楽しませてくれる。
 かつて、武満徹が『ホーム・アローン2』(1992)の音響や音楽を指して、「非常に耳に悪く、耳に悪いということは目にも悪い」と、講演会で語るのを聞いたことがあるが、それに習って言うと、『オーシャンズ11』は、これだけ目にいいということは耳にもいい。クルーニーの淀みなく深い声は、現在の俳優の中でも屈指だし、デイビッド・ホルムズの、画を邪魔しない音楽も実に快調。見ても聴いてもちっとも飽きないのだ。

 ここで突然宣言するならば、現在ソダーバーグが量産しているのは、インテリにとっての娯楽ではないか。映画というよりはむしろ、オペラやバレエが趣味で、思想書にも目を通すような20歳以上の大人の観客。『エネミー・ライン』(2001)や『スパイ・ゲーム』(2001)に付き合うのはプライドが許さないが、いつまでもウディ・アレンでも芸がない。90年代半ば以後、最も見るべき映画を失ったのは間違いなくそうした層の人々だ。
 知的なイメージの俳優をそろえ、画面や編集に工夫をこらした、ほどよく前衛的な作風はアート心をくすぐりながらも娯楽性たっぷりで、何よりセクシーだ。メジャー映画にもかかわらず、コンサート後のカフェで、仲間うちでたとえば最近見た映画の話題になったとき、そのタイトルを出して決してかっこ悪くない。いかにもニューヨークの知識人といった風情のソダーバーグは、そんなイメージにジャストミートしている。
 
 本文の前半ではいろいろと不満を並べたが、ソダーバーグを今後が最も楽しみな監督とみなす気持ちに何の迷いもない。これからの10年間で、彼がそれまでのキャリアを覆してしまうような、途方もない問題作を世に問うかも、といった期待はややしぼんだが、なまじっか明確なテーマ性(たとえばオリバー・ストーンのように)を持った監督ではないだけに、これからも多彩な映画世界を堪能させてくれるに違いない。いずれにせよ、次回作に対する胸のときめきを押さえられない人である。
 終盤。憤然とした面持ちでカジノを後にするジュリア・ロバーツの歩き方は、その感情を表現して実に的確なものになっている。あれはまさにエリン・ブロコビッチの歩き方だ。そうすると、最初に登場した際の、およそ貴婦人とは言い難い彼女の歩き方というのは、結局のところスリルの側に身を寄せていく彼女の性根の淫らさを、遠まわしにほのめかした計算づくの伏線だったのかもしれない。だからこそ、あんな歩き方にOKを出したのか?まさかそんなことはなかろうが、不意にそんな想像さえも許してしまうほど、今のソダーバーグは冴えわたっている。
 (2002.3.17)

eriko's Notes : あ〜、悔しいことに未だ観ていない私。『ロード・オブ・ザ・リング』とともに、公開が始まったらすぐに観に行こうと思ってたのに…  

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 最近とても気になるソダーバーグ監督作品ですもの、観てきました! で、感想はと言うと…何か物足りない、です。これでもかという男っぷりのジョージ・クルーニー、この役はあなたしかいないでしょうと言いたくなるアンディ・ガルシア他、豪華キャストなんだけれど……俳優を演出しきれていない気がする。登場人物のバックグラウンドが描かれていないぶん、俳優のキャラクターがそのまま登場人物にだぶります。この役はあなたにお任せしたので、私(監督)はこれ以上口出ししません、という感じがします。だから、この豪華キャストが『オーシャンズ11』という映画の力になっているのかもしれません。導入部分のよくあるシーンですが、クルーニーだからこそ、どきどきして何かが起きるのを待っているし、ストーリーを引っぱっていけるのでしょう。加えて、ソダーバーグの持ち味のテンポのよさ、クールで洒落た雰囲気は期待通りで、最後まで退屈させられることはありません。(たとえ、先の読めるストーリー展開でも)やっぱり、気になる監督です。
 でも、どうしても納得できないのが、ジュリア・ロバーツ。(ほぼN氏の意見に同じ+個人的に『エリン・ブロコヴィッチ』の他は魅力を感じないので)そして、ソダーバーグの次回作『Full Frontal』(『セックスと嘘とビデオテープ』の続編)
にもクレジットされています。ブラッド・ピットも。ま、いいか、作品を見てのお楽しみということで……
(2002:4.7)


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