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dog biscuit
Mr.N'CineCritique
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#04「花様年華」

天上の時間におけるメロドラマ

 『欲望の翼』(1990)といい、『恋する惑星』(1994)といい、これまで王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品の多くは、謎めいた時計の大写しが繰り返し登場してきた。たぶん、王家衛ほど、「時間」を表象するのに熱心な監督はいないかもしれない。

 『花様年華』でも、たびたび時計が意味ありげに映し出されるけれど、それが物語に機能的に働きかけてくるわけではない。ただ、王家衛が時計をアップにするときいつも、否応なく今この瞬間、「時間」というものが流れていることを意識せずにいられない。これまでの王家衛作品における時計では、1997年の香港返還までのカウントダウンを意識させられたし、限られた時間の中で生を燃焼しようとする、若い登場人物たちの暗喩とも受け止めることができた。しかし、大人の男女のメロドラマであり、1960年代という時代設定の『花様年華』は、そのいずれの印象とも違っている。

 同じアパートに、同じ日に引越して来たチャウ(トニー・レオン)とチャン(マギー・チャン)だが、それぞれどこか満たされない夫婦生活を送っている。やがて、互いの妻と夫の浮気を知り、いつしか2人も禁欲的な恋に落ちていく…。
 恋する2人にとって、「時間」は、一秒一秒、正確に時を刻むのでなく、まったく別の速度で流れているかのようだ。むしろ彼らの間では、時など流れていないとさえ言えそうだ。そのことを示すかのように、この映画そのものが、時間の推移を表す映画のセオリーをまったく無視している。
 たとえば、チャウがチャンに本を貸すのだが、次のカットではチャンがチャウの部屋にそれを返しに来ている。そして、あろうことかチャウの妻に「主人は2〜3日帰ってないわ」と告げられるのである。ディゾルブや暗転といった、時間経過を示す常識的なショットをはさむことなく、一瞬にして、数日間が消滅している。
 または、チャウが風邪だと聞かされたチャンは、「ゴマの水飴煮」を用意するのだが、次のショットで晴れ晴れとした顔のチャウが登場し、「ひさしぶり。あのとき水飴煮を食べたかった」などと言い出すのだ。見ている我々も、時間の概念がひっくり返され、当惑させられるシーンが随所におかれている。

 ときおり挿入される伴奏音楽が、梅林茂による『夢二』のテーマであることも注目したい。竹久夢二の半生を描いた、夢か現かわからない、時間消失の世界観を持った、幻想怪奇な鈴木清順の名作『夢二』(1991)のテーマ曲である。
 2人が初めて親密な言葉を交わす喫茶店のシーンで、チャウの吐き出す煙草の煙が、ややコマ落し気味の、見事なカメラスピードで上昇し、恋の芽生えが暗示されるが、そのとき2人の「時」の流れは消失している。そんな中、不意にインサートされる時計は、今このときも、待ったなしで時がうつろっていることを思いださせるために存在しているようだ。

 この映画は、チャウとチャンにとって無用なものを、ことごとく排除している。それが与える印象は、どこか閉塞的なきゅうくつさ、堅苦しさのイメージだ。
 チャウとチャン、それぞれの夫と妻の姿は、声が聞こえるだけで、まったく登場しないことに不自然さを感じないだろうか。(王家衛における、姿を見せない登場人物の逆説的な重要性について語った暉峻創三のレビュー(キネ旬ムック「フィルムメーカーズ[14]ウォン・カーウァイ」)も重要な指摘だが、ここでは割愛する)
 なにより不自然なのは、チャウの部屋にもチャンの部屋にも、まったくカメラが侵入しないことだ。彼らがどんな部屋に住んでいるのか、私たちはほとんど知ることができない。これは『恋する惑星』において、フェイ・ウォンがトニー・レオンの部屋を、まるで解剖でもするかのように分解し、自分の趣味に改装してしまうのと、まるっきり対象的だし、『ブエノスアイレス』(1997)で、トニー・レオンとレスリー・チャンの腐ったような部屋の間取りが、すっかり見て取れるのとは、まるで違う表現だ。『天使の涙』の華麗な室内装飾も同様である。
 これは、チャウとチャンが決して「愛してる」の一言を口に出さないという、ものすごくストイックな、恋の時を過ごしていることの証しではないだろうか。『恋する惑星』、『ブエノスアイレス』、『天使の涙』いずれも、ある種の奔放な生を生きる人物が描かれており、すべてをさらさずにはおかぬ、外側へのエネルギーに満ちていたことを思い出したい。それらより、ずっと内省的な『花様年華』においては、めったなものをカメラに映すわけにはいかないのである。

 第2部。いつまでも続かぬ「恋の時」を表現するかのように、音楽は「夢二」の器楽によるテーマ曲でなく、周旋の「花様的年華」やナット・キング・コールの「キサス・キサス・キサス」など、歌ものの曲に取って代わる。これは否応なしに、時代の空気を伝えてしまう。それに、ここからは彼らにとっての時間も、正確な時を刻みはじめる。それまで2人にとって、消失していた「時間」というものが否応なしに浮上してくる。過去は決して帰ってこないし、どうあがいても、時はどんどん流れていく。アンコールワットの遺跡にたたずむチャウは、無限に過ぎてゆく「時間」に思いを寄せているのだろうか。
 『楽園の瑕』(1994)で、王家衛は、時計のない古い時代を描いたが、この作品では全ての過去を忘れることのできる「酔生夢死」という酒が登場した。けれどもこの酒、飲めども飲めども、恋する女のことは忘れられないのである。恋心をいかに時間とともに折り合いをつけて生きていくか。王家衛はそのことを執拗に問い続けているようである。
(2001:5.12)

eriko's Notes : 「花様年華」とは、満開の綺麗な花のように、成熟した女性が一番輝いている時のこと、をいうのだそうです。まさしくマギー・チャン演じるチャンがそれで、チャイナドレス姿の美しさに魅了されます。彼女の身体にぴったりとフィットした、仕立ての良い艶やかなチャイナドレスは、チャウへのチャンの心の内をそのまま映しているかのようです。その姿は十分すぎるほどに色香を漂わせているのですが、決して着崩されることのない高い襟のドレスは、「一線は引いておきたい」というチャンの意思であるかのようです。
 二人は、痛みと時間を共有するなかで、当然のことながら恋に落ちていきます。やがて「一線」を越えた二人は、現実に向き合うことになるのですが、それぞれの見つめる未来は別のものでした。チャンにとって、チャウと過ごした時間は、夫の裏切りからの逃避で、決して未来につながるものではないのです。彼女は過去と決別し、新しい未来へ歩き始めます。一方、チャウは、チャンとともに生きる未来を望んでいましたが
、それがかなわないと分かった時、二人で過ごした時間は忘れがたい秘めた恋の思い出となります。そして過去を振り返っては、自分に問いかけ続けるのでしょう。「どうすればよかったのか・・・」


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