事実を基にしたという映画は数あるが、それはだいたい次のように分類できるのではないだろうか。[1]事実に題材をかりて,ファンタジーに脚色した映画。[2]劇映画としての範囲内で、可能な限り事実を表現しようとした映画。[3]ありもしないことを、あたかも事実であるかのように作りこんだ映画。
すぐに思いつく範囲で、[1]の例が『エリン・ブロコビッチ』(2000)、[2]の例が『遠い夜明け』(1987)、そして[3]の例が『JFK』(1991)といったところか。断っておくと、[1]〜[3]の分類に決して優劣があるわけでなく、映画的評価とはまったく別問題。ここにあげた3本とも大好きな作品である。そこで、この『ブロウ』。[1]から[3]の枠組みでいうと、バッチリ[1]のタイプにあてはまる。1970年代から80年代にかけて、全米のドラッグ市場を一手に握った、麻薬王ジョージ・ユングの半生をドラマチックに綴った物語である。
まず唸らされるのが、2時間3分という決して短くない上映時間のうち、無駄な時間が1分たりともないことだ。最近は実話ものの映画がやけに多いのだが、デンゼル・ワシントンの『ハリケーン』(1999)といい、ラッセル・クロウの『インサイダー』(1999)といい、あと確実に40分は短くできそうな作品にくらべると、ほぼ完璧な構成といえる。
正直で潔癖だが商才には乏しく、家計を支えられぬ父と、それに不満で家出を繰り返す母の間に育ち、それが故に金こそがすべて。金にだけは絶対に困らぬ生活を手に入れるという執念がそこに芽生え、そのことが後の麻薬王としての素地を作る、というロジックが手にとるようにわかる。
中盤のめくるめくような、成功と享楽の日々。そのプロセス。それを伝えるシナリオも実にシャープに練られている。たとえば「1980年前後にコカインを吸ったとしたら、その8割がたはオレたちが商ったものだ」などと聞けば、一瞬にしてその極端な成功っぷりがイメージできる。「金はすべてパナマに預けた。国内で資金洗浄をすると手数料は6割。4割しか残らないなんてバカげてる」と、蓄財への手順もテンポよく飲み込ませてくれるし、これが後の伏線にもなってくる。正確無比な判断でエピソードが選ばれており、場面の構成にもほとんど過不足がない。
おそらくはジョージ・ユングという人物の、人生最良の時ともいえるこの立身出世の時期の描写は、短いカットの積み重ねや、静止画面の早送りなど、目新しくはないが、おおいに凝った編集で、冴え渡った展開を見せる。その一方で、コロンビアの大ボスとの商談をとりつけるシーンなど、ユングの成功のカギともいえるエピソードは、ディテールをじっくりと描き、その緩急自在のドラマ作りはほとんど欠点が見当たらない。
終盤は、裏切りと決別の章となるが、ここから演出は一気にテンポを落とし、メロドラマ調にトーンを変えていく。このパートでは、ユングが自分の娘に寄せる情の深さに焦点をあて、ラストに向けた感動へのエモーションを充分に仕込んでいる。またこの終盤での語り口の変奏ぶりは、ラストへの助走というだけでなく、ユングもやはり自らの父と母の人生に瓜二つであるという宿命を余すところなく伝えてくれるのだ。
全編を通して折に触れて登場し、真っ正直で潔癖そのもの、けれどそのためについに豊かな生活に縁のなかった父親。彼の血を受け継いだのか麻薬王とはいえ、どこまでも仁義に篤く、決して人を裏切らない。そのくせ自分は何度も裏切られ、転落の一途をたどっていく。その不器用さはちょうど彼の父親の姿にだぶる。その一方で、派手好きな母親の血は、どうしようもなくユングを麻薬売買の危険な道へと引き寄せていく。麻薬王としてのしたたかさと、絶望的に処世術に乏しい、複雑な人物像の根源がここにある。
このあたりまで来ると、この作品が、家族のあり方、人間の生き様の根本はその家庭に根ざすことを指摘し、ある種の家族論すらも問いかけてくるように思えてくる。結局のところ、その人間に離れ難くつきまとうのは親の血であり、その末路はそこから導かれる必然的な筋道になっているのではないか。このことに気づくとき、映画は終結に向かいながらも、ぐるりと旋回する形で、ジョージの少年期の境遇を振り返ることになるのである。
やがて来る悲劇の根幹であり、すべての元凶である血筋というもの。ここにドラマは一つの大きな円環を形作り、長い長い年月の重みをどっしりと印象づける。そして、決して取り返しのつかない、過ぎ去ってゆく時間の重みに打ちのめされるのだ。
冷静に考えると『ブロウ』という作品は、いささかジョージ・ユングという人物を美的に描きすぎているきらいがあり、そのことは決してほめられたことではない。けれど、彼の鮮烈な生き様を、そうした形で見せることで、初めて表現できたものがあることも確かで、そのこととの相対で考えると『ブロウ』のアプローチは絶対的に支持したい。
ジョージ・ユングの年代記を、見事な演技力で演じきるのがジョニー・デップ。一年中この人の顔を見ているような気がするが、今回も恐るべき名演を見せてくれる。ジョージの父親役にはレイ・リオッタが扮し、これも滋味あふれる演技で忘れ難い。
監督は『ビューティフル・ガールズ』(1996)で、やや冗長だがデリケートな感覚を見せ、製作者としても、ポーカーの世界を舞台に、マット・デイモン、エドワード・ノートン、ジョン・マルコビッチら、実力者による白熱の演技アンサンブルが冴え渡る『ラウンダーズ』(1998 監督はジョン・ダール)で、新鮮な印象を残したテッド・デミ。次回作が気になる監督がまた一人増えたことを喜びたい。
(2001.10.1)