#40『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐
- 「現在」なき時間の脅威 -

(本稿はネタバレを含みます。気にされる方はご注意ください)

 『スター・ウォーズ』ついに完結。周知の通り、この長大な叙事詩は、虐げられた部族の子であるアナキン・スカイウォーカーの立身出世と、その挫折、そして再生の物語である。
 『エピソード2/クローンの攻撃』のとき、わたしはアナキンの人物像を、その数々の描写から、記憶(すなわち過去)に囚われる者としてとらえ、過去への執着とそれ故の魂の崩壊というモチーフを提案した。
 それを受ける『エピソード3/シスの復讐』で、アナキンをとらえて放さぬのは、過去ではなく「未来」への恐れである。その「未来」とは、ずばり自らの子を宿しもした、アミダラの死の予感だ。過去に執着する青年の心は、未来の予感には一層鋭敏であり、それを回避するため「暗黒面」堕ちを選択する。『エピソード2』が「過去」の脅威を描いたのだとすれば、『エピソード3』は「未来」との敗北の物語である。ついでに言うと、それこそ世界が27年間(正確にはベイダーがルークの父であると知る『帝国の逆襲』以後)、「アナキン」が「ダース・ベイダー」になった理由の「謎」だったわけだ。

 「過去」と「未来」への過敏さ。そのことは裏を返すと、「現在」に対するアナキンの鈍感さを示している。とりわけ『エピソード3』のアナキンは、その「現在」をことごとくとりこぼす。すなわち、現在のジェダイ評議会の決定にはいちいち不満であり、そもそも現在の評議会からの待遇が不本意である。だから殺すべきでない相手を殺し、信じるべきでない言葉を信じる。すべて過去の怨念、もしくは未来への手当てのためだ。
 きわめつけは、人生の究極目標であるアミダラを、現に目の前にしてでさえ、彼女の言葉が耳に入らないし、従えない。すべては来るべき未来を恐れてのことだ。ここで彼女に耳を貸しておけば、もしかしたら未来を変え得るかもしれないとは、いささかも考えない。
 結果的に彼女の死の直接の原因は、アナキンが「暗黒面」に堕ちたことを悲観してのことであるという、本末転倒を招いてしまうにもかかわらずだ。
 未来を予知してしまうほどの鋭敏な感覚を持ちながら、それを回避するための材料がいくらも転がっている「現在」に対するこの愚鈍さが、アナキン最大の弱点だということだ。

 アナキンの攻撃が過去に向けられた場合、それは「復讐」と呼ばれ、未来に向けられるならそれは「先制攻撃」だ。いずれも正当なジェダイとして、あるまじき行為である。その過程において、アミダラが嘆いた通り、満場の拍手のもと、自由が死に、浅田彰の言葉を借りると、「民主主義を守ろうとして民主主義が変質し、共和国が帝国に移行」(週間ダイヤモンド「続・憂国呆談」番外編webスペシャル2005年8月号)するということだ。
 こうした構造が、『エピソード3』をときに合衆国現政権批判と語られる理由のひとつである。

 思えばヨーダは徹底して「現在」を生きるジェダイだ。「現在」を宿命として受け入れ、避けえぬ運命として、それに対処する。そもそもアナキンのジェダイ養成について、大きな不安を感じつつ、その「未来」を宿命として受け入れたのが、『エピソード1/ファントム・メナス』でのヨーダの判断ではなかったか。ヨーダは、時の残酷さを静かに待ち受ける術を見につけている。ジェダイ最大の資質とは、そうした技術だったのではないかとさえ思う。
 そして、『エピソード1』でアナキンを見出したクワイ・ガン・ジンのミス。それはアナキンが生来の勝負好きであることを視野に入れなかったことである。もともと、幼い頃からポッド・レースの勝負に魅入られてきたアナキンである。勝ち負けに必要以上にこだわる彼の本質は、負けず嫌いという以上に、勝利の快楽を得たいがために戦いをのぞんできた節がある。空中戦は嫌いだという師匠のオビ・ワンに比べ、アナキンは嬉々として攻撃機を操る。オビ・ワンの、あくまで任務遂行手段としてのライト・セーバーも、アナキンは水を得た魚のように振り回す。力と勝利に対するアナキンの英雄願望を読み取らずにいられない。

 「現在」に対する無感覚と、その危険。『スター・ウォーズ』を貫く、基幹テーマをひとまずこのように定義しておこう。
 するとアメリカ合衆国現代史そのものにも、触れずにはすまないだろう。ベトナム戦争開戦の理論的根拠のひとつである、一国が共産化すると、その周辺の国々もことごとく共産化するという「ドミノ理論」の発想は、未来に対して攻撃せずにはいられなかったアナキンそのものではないだろうか。先述の通り、その行為を先制攻撃という。
 同様に「力」へのアナキンの執着は、自衛を盾に銃所持をやめようとせぬ、アメリカ人の武装権意識にも結びつくように思う。

 『エピソード3』は、過去5作の例に漏れず、冒頭からいきなり無数の宇宙戦闘機による空中戦が展開する。このとき一機撃墜されるが、ルーカスの視線は撃墜に成功した戦闘機には向かわない。かわりにルーカスの演出は、攻撃を受けて宇宙のクズと消えて行こうとする側に目を向ける。カメラをゆっくりと動かす先は、目標撃破に成功して飛び去って行く戦闘機ではなく、粉々になったその残骸なのである。そうしたルーカスの愛惜のまなざしは見落としてならない細部だ。
 『エピソード3』は炎の映画でもある。死んだジェダイは火葬によって葬られることを知るわたしたちは、25年以上も待ち続けた、オビ・ワンとアナキンの決戦が、燃え上がる溶岩を背景となったことに動揺する。すなわち敗れた側は、そのままそこが墓場となるということだ。オレンジと赤が凄絶に明滅する中、二つのライトセーバーがぶつかりあう。敗れた側は炎に包まれる。しかしそれは、決して溶岩の炎が燃え移ったのではなく、憤怒のあまり身体そのものが燃え上がったのだ。そして勝った側も、これ以上はないくらいに熱く燃え上がって後悔と悲しみに引き裂かれる。オビ・ワンとアナキンが剣を交える前に、二人が交わした最後の言葉が互いに最大の敬意をもって口にし合った、「理力と共にあらんことを“May the Force be with you.”」であっただけに、このシーンは限りなく切ない。またその時のオビ・ワンの少しはにかんだような微笑が、深い愛情に満ちていただけに一層(ユアン・マクレガーの優れた技量がきわだつシーンである)。想像を絶する無限の怒りと哀しみを表現した、この炎の演出にジョージ・ルーカスの天才的な技量を見る。

 『エピソード3』は、二つの太陽を遠くに望む惑星タトウィーンの、およそこれ以上は考えられない完璧なショットで『新たなる希望』にリンクする。彼らの「未来」は『エピソード4〜6』に委ねられ、語られた「未来」に対する「過去」は、再び『エピソード1〜3』で振り返る。このように、スカイウォーカー親子2代にわたる物語は、永遠に終わることのない無限の円環が形作られるだろう。
 このように、全部で6つの物語は、そのいずれもが「未来」へ、あるいは「過去」へと向かう、きわめて奇怪な構造を持つことになった。「スター・ウォーズ」のエピソード群からも、こうして「現在」というものがごそっと抜け落ちる。そうすることでシリーズの構成は、それ自体がアナキン・スカイウォーカーという人物像を暗喩する。そして、それはちょうどアメリカ合衆国という国家そのものをも象徴するかのような、二重性をも匂わせている。
 “A long time ago・・・”という、あまりにも有名なフレーズから始まる『スター・ウォーズ』は、すなわち時間との戦いをめぐる悲劇なのだ。
 それは自ずと、転落をあらかじめ宿命づけられた、けれど再生への希望を胸に秘めた、人類そのものの寓話なのだ、と把握することも可能だろうか。そして、それこそがジョージ・ルーカスその人の人間観であると見て差し支えないように思う。その光明は、はるか遡ってルーカスの処女作『THX-1138』で、管理社会を脱出した男女がついに目にする、外界の輝きへと思想的意味がちょうどダブる。
 映像技術の進歩に伴って、各種「特別編」の形でバージョンアップを続ける、『スター・ウォーズ』という映画史上最大の祭典は、アメリカ合衆国とアメリカ映画の存在を引き受けながら、永遠に続く無限の叙事詩なのだ。
 そして、『エピソード4』が最初に公開されてから27年間、リアルタイムでエピソードを重ねていくのを体験できた、自分の出生年の幸運を改めて胸に噛みしめる。
(2005:9.10)


 
*関連リンク:
  ・
Mr.N' CineCritique SpecialEdition 『STAR WARS EPISODE1』全米公開レポート
  ・
Mr.N' CineCritique スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』

  
『スター・ウォーズ』公式サイト:http://www.starwarsjapan.com/

 
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