#39『アビエイター
- 瞳の中の世界 -

 ハワード・ヒューズの生涯を映画化するという企画は、もう何年も前からウォーレン・ビーティが温めていて、名作『レッズ』(1981)を超える畢生の大作にする野望を持ち続けていたことは有名だ。そして、その資金稼ぎのために、さして得意な分野とも思えないコミック・ヒーロー『ディック・トレイシー』(1990)を作ったこと。または、別の企画でヒューズ役をオファーされた盟友ジャック・ニコルソンが、「その役はウォーレンの夢だから」と断ったというゴシップ・ネタも含め、一部の映画ファンは、この企画の実現を20年近くも待っていた。けれど資金繰りの問題と、おそらくは権利関係、そして何より今となっては年齢的な限界から、ビーティの自作自演によるヒューズ伝はついに潰えたといっていいだろう。容貌もどことなく似ているビーティがヒューズを演じ、腹心の会計士ノア・ディートリッヒをジーン・ハックマン、宿敵ブリュースター上院議員をニコルソン、キャサリン・ヘップバーンをダイアン・キートンだなんて映画がもし実現していたら、と思うと胸がふるえる。
 だから、ついにハワード・ヒューズの伝記映画の撮影が始まった、それもマーティン・スコセッシとレオナルド・ディカプリオのコンビだ、と聞いた時、なんとも複雑な心境にさせられた。この2人のプロジェクトに期待はするが、スコセッシに1億ドルの予算を任せて大丈夫なのか。いくらなんでもディカプリオは若すぎないか。何よりウォーレン・ビーティはどんな思いでいるのか・・・など。しかし『アビエイター』という、その完成品を見た今、すべての心配がまったく杞憂だったことはうれしい結末だった。焦点をぶらさず、ヒューズの内面に集中したスコセッシの演出は冴えわたり、ディカプリオ渾身の演技は有無を言わさぬものだった。考えてみたら、最初の監督作品『地獄の天使』(1930)を世に送った時、ヒューズは弱冠25歳。この映画のクライマックスとなる超巨大飛行艇「ハーキュリーズ」の飛行実験の時も42歳にすぎないのだ。ちょうど30歳を迎えたディカプリオがこれを演じるのに、少なくとも年齢的な無理はないわけだ。

 『アビエイター』のテーマは、まるでオースン・ウェルズ『市民ケーン』(1941)の“Rosebud”のようなと梅本洋一が指摘する、“Quarantine”というキーワードである。「隔離」を意味し、映画の冒頭で幼いヒューズが口にするこれは、ちょっと難易度の高すぎる英単語で、“Rosebud”ほどの明晰さを欠いているし、長すぎるのでアルファベットでつぶやかれると、何のことやらわからなくなり、決定的な印象を与えられない。そのへんは、脚本上のミスともいえる。しかし、映画はこの「隔離」という言葉に寄り添うように進行する。
 『アビエイター』において、ハワード・ヒューズにとっての世界とは、ある規定の枠組みの中に、封じ込めるべきものとして描かれる。たとえば映画。映画とはスクリーンという、四方を切り取った枠の中に、世界を内包させたものだ。違う言い方をすれば、スクリーンを越えたその向こうには、限りなく広大な世界が広がっているものだと言えるだろう。
 『地獄の天使』は空の映画であるが、それがどんなに巨大なものかは、劇中のパーティ席上で、ヒューズがMGMの創業者ルイス・B・メイヤーに、カメラが足りないから2台貸してほしいと掛け合うところで示される。「今何台あるんだ?」と訪ねるメイヤーに、「24台」と答えるヒューズ。何も知らない素人のたわごとだとばかりに、彼の願いは一笑のもとに退けられるのだが、少なくともヒューズの目にはスクリーンの奥に、合計26台ものカメラを必要とするほど広大な世界が広がっているわけだ。そして映画撮影とは、ある意味、自分の世界観をスクリーンまたはフィルムの中に「隔離」することではないか。
 飛行機のコックピットという、きわめて狭い空間にわが身を「隔離」するということは、操縦席というこれも仕切られた視界を通して、世界を俯瞰することだ。ヒューズが飛行機にとりつかれた理由というのは、決してスピードに魅せられたわけではなく、それが世界をコックピットに封じ込める乗り物だからではないか。単にスピード狂ならば、これだけ手広く事業を行ってきたヒューズである。自動車にも興味を持ったっていいはずなのだ。

 劇中、そんな「隔離」のイメージは、音楽によっても補強される。世界最高速を記録すべく離陸するヒューズ。その時、背景に高らかに鳴り響くのはバッハ「トッカータとフーガ ニ短調」のフーガだ。こんな音楽を選択したのは、音楽のハワード・ショアなのかスコセッシ自身なのか。フーガとは、1つの主題を複数の声部が、時には追いかけ、時にはからみあい、主題という枠組みの向こうに無限の音宇宙を作り出す形式である。
 ちなみにグレン・グールドはフーガ(もしくは対位法音楽全般)のことを、「各声部が自分の生きたいように生きるという姿勢」の音楽と表現する。なんだか、ハワード・ヒューズその人について語ったかのような定義ではないか。しかも映画で使われたフーガは、ストコフスキー編曲・指揮による弦楽合奏版である。ストコフスキーはグールドが最も敬愛した音楽家だという事実は偶然だろうが、グリア・ガースンと共演した『オーケストラの少女』(1937)や、ミッキー・マウスと握手までしてしまう『ファンタジア』(1940)で分かる通り、当時のハリウッドにとって、クラシックの指揮者といえば、ストコフスキーのことだったことを考えると、この選曲はヒューズの世界観だけでなく、「映画」という枠組みの中で、時代背景をも表現してしまうおそるべきセンスによって為されたものだ。

 潔癖症が嵩じて自分の試写室に閉じこもるヒューズが、自分を「隔離」し、精神をギリギリまで追い込むことで気力を充填して、宿敵ブリュースター上院議員(アラン・アルダ)に相対すべく公聴会に臨むという解釈は、これらの文脈において適正なものだ。というのも、実は伝記的事実として、試写室引きこもり事件は公聴会よりも後のことだからだ。こうした脚色はテーマを明確にする意味で、もちろん映画の名のもとに許される捏造だ。
 この公聴会シーンは、実になんとも手に汗握らされるのだが、そこにクロスカッティングされるのが巨大飛行艇「ハーキュリーズ」の飛行実験のシーンである。公聴会の勝敗と飛行実験の成否が、ちょうどシンクロしながらハワード・ヒューズの人生のクライマックスとして描写される。離陸に向けて「ハーキュリーズ」は海上を滑るように助走する。その時「素晴らしい眺めだ」と、コックピットからの絶景ぶりが繰り返されるが、観客である私たちには、その「素晴らしい眺め」とやらを一向に見せてくれはしない。それを見せるということは、世界の封じ込め(隔離)ではなく、解放になってしまうからだ。かわりに、キャメラは飛行艇の外部から操縦席のヒューズ=ディカプリオの顔に向けて急速ズームを行う。そして、ディカプリオの瞳がスクリーンいっぱいにとらえられる時、すべてに合点がいくのである。なぜなら「素晴らしい眺め」、つまり全世界というのは一切、ヒューズの瞳の中にあるものであり、観客としての我々は、決してそれを見てはいけないのだ。アメリカ合衆国、そして世界というものは、ハワード・ヒューズの眼球という限られたフレーム(枠組み)の中に「隔離」され、その瞳の向こうにのみ、全貌が広がっているのである。そして、それがマーティン・スコセッシの提示した、ハワード・ヒューズの世界像なのだと言えるだろう。

 『タクシー・ドライバー』(1976)から『レイジング・ブル』(1980)を経て、『カジノ』(1995)に至るまで、スコセッシはこれまで転落形の人物を好んで扱ってきた。『アビエイター』も例外ではない。しかしスコセッシ自身は、たとえばフランシス・コッポラのように破滅的な映画作りをするわけでなく、ギリギリのところで転落を避け続けた、いわば理性的な映画作家であり続けている。それはひとえに、スコセッシがレンズを通してのみ映画をとらえるということで、コッポラのようにレンズをはるか踏み越えようとはしないためである。もしかしたらスコセッシは、常にフレームを通して世界像を把握しようとするヒューズ像に、自らを投影したのかもしれない。
 無数の傑作をもつ彼に、また1つ代表作が加わった。そして、主演のディカプリオにとっても、1人の人物像を矛盾なく作り上げたという意味で、見事な演技を見せている。ディカプリオはこの若さで3時間規模の超大作を背負って、今回で既に3本目(『タイタニック』、『ギャング・オブ・ニュヨーク』)。いずれもその大作感を少しも損なっておらず、並大抵のスター性ではない。彼の前にはまだまだ「映画の未来」が開けている。
(2005.04.08)

 
*参考資料及び引用元: nobody issue17号所収 梅本洋一『アビエイター』P.81〜83
            ジョン・キーツ著・小鷹信光訳『ハワード・ヒューズ』(ハヤカワ文庫)
            宮澤淳一著『グレン・グールド論』(春秋社)

 『アビエイター』公式サイト:http://www.aviator-movie.jp/

 <Eriko おせっかいリンク>
Composer Howard Shore Working on Opera:ハワード・ショアが『アビエイター』の音楽について語っている部分があります。ちなみに今年のアカデミー賞にノミネートされなかったのは、既存の曲が多かったからとのことです。(ん〜、そうだったのか)

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