#36『マイ・ボディガード
』
- 命の価値とは -
絶体絶命の危機の瞬間、恐怖に足はすくみ、体は固まり、身動きできなくなる。身を挺して彼女を救出するには、距離が遠すぎる。「逃げろ!」と叫んだものの、動かぬ足は地面にはりついたままだ。優秀なボディガードはそんな時どうするのか。彼は、守るべき相手の緊張を解き放つため、全力疾走するよう空にむけて拳銃をぶっ放すのだ。炸裂する銃声。それを合図に一気に駆け出す少女。本能を呼び覚まされた彼女の、命ギリギリの猛ダッシュだ。襲撃する誘拐犯たち。敵を撃ち、そして自らも撃たれるボディガード。
おそるべき名シーンだ。奇跡のようにすばらしい。これほど感動的な銃声はまたとなく、映画の躍動感がここに極まっている。銃声、疾走、車、激突、男、女(少女)、悪漢、銃撃戦。映画の要素、すべてではないか。それらのカットを申し分なくモンタージュして、1つの連続した時間枠を形作る。映画のすべてを数分間に凝縮した、贅沢きわまりない演出である。ここで号泣できなければ、ここから先の『マイ・ボディガード』を見続けるのは難しいだろう。
もちろんそれだけならば、単に「よくできたシーン」で終わってしまうのだが、この場面にエモーションが炸裂するのは、それまでの1時間の上映時間を、この誘拐シーンの伏線としてじっくりと準備し、熟成させていたからだ。
その1時間はうっかりすると、ホームドラマすれすれの、ボディガード、クリーシー(デンゼル・ワシントン)と、彼が守る少女ピタ(ダコタ・ファニング)が心を通じ合わせるまでのエピソードの連続である。
金持ちの子弟を狙った誘拐事件が頻発するメキシコシティ。裕福な家では自分の子供たちを守るため(とはいえ、実情は見栄をはるために)ボディガードを雇うのが当たり前になっている。事情は詳述されないものの、今では酒に身をやつした元米軍テロ部隊員クリーシーは、戦友レイバーン(クリストファー・ウォーケン)の口利きで、ボディガードの職を得る。そこで彼が守ることになるのが、9歳の少女ピタだった。
当初はぎこちない2人だけれど、人懐っこいピタにクリーシーの心はやがて溶けはじめ、心を通わせ始める。そのきっかけが、ピタが出場する運動会の水泳のコーチをクリーシーが、意外にも熱心に引き受けるあたりからだ。
ピタは泳ぎそのものは早いものの、スタートが遅く、そのために一着をとれずにいる。クリーシーはそのことを見てとるや、ひたすらにスタートの練習をくりかえす。ここが映画の分岐点だ。スタートの合図とは何によって為されるだろうか。もちろん銃声である。ピタはなぜスタートが遅いのか。それは銃声に足がすくむからだ。そこで、クリーシーはその音に慣れさせようとする。発砲し、彼女の耳元で大きな音をたて、その瞬間プールに飛び込むよう、条件反射を刷り込んでいく。
ふりかえってみると、これはまるで避けられぬ誘拐という悲劇にあらかじめ対処するため、クリーシーが周到に計画したリハーサルであるかのようにも思えてくるのだ。しかし、その場面を見ている間は、そんなことに思いもよらず、孤独なボディガードと、不在がちな両親にさみしさを押し殺している少女が、互いを支えあう、微笑ましい描写にしか見えないのである。これが演出上の仕込みというものだ。
発砲→スタートという練習が、こうした演出によって、たっぷりと情感をまぶされてゆく。だからこそ、後の誘拐シーンでのクリーシーの発砲→ピタの全力疾走の場面に血が通い、感情を激しく揺さぶるものとなる。映画の構成の模範である。特に銃に対する、トニー・スコット監督の鮮やかな感性は、今や世界最高峰だ。
ピタ誘拐からラストまでの1時間半は、完全にキレたクリーシーの地獄めぐりだ。情け容赦のないバイオレンスシーンの連続。それを表象する画面はざらつき、カットは細切れになり、多重露出の連続は見るものを決して落ち着かせることはない。これは狂人の目で見た世界である。『マイ・ボディガード』後半のすばらしさは、命を軽視する者どもに対して、命を軽視している男が、軽視できぬ命のために暴走に暴走を重ねるその姿を描く、そうした驚くべき映像表現にある。
デンゼル・ワシントンのなりふりかまわぬ演技は、オスカーも獲得した『トレーニング・デイ』(2001)の悪役ぶりどころの騒ぎではない。死など1ミリもおそれぬ男はこういうものだという姿を存分に見せてくれる。まばたきなど絶対にしない。笑うことなど決してなく、行動にいささかの逡巡もない。目はいつも完全に開くことはなく据わりっぱなし。この期におよんで全力疾走などせず、重火器の使用は超プロの手際だ。まさに鬼神である。
クリーシーというキャラクターは、トニー・スコットが創造した最も凶暴な人物だ。ロバート・デ・ニーロが演じる執拗なストーカーを描いた『ザ・ファン』(1996)のはるか上をいく。相手を拷問しながら尋問を行うときの、畳み掛けるような、ほとんど音楽的ともいえる英語のリズムがこれまたすごい。きっとプロの捜査官とはこうしたものなのだろう。
メキシコシティを舞台に、元米軍隊員のボディガードによる、アメリカ人とメキシコ人の間のハーフの少女への妄執を描いた『マイ・ボディガード』のハイブリッドな人種構成をはじめとし、『スパイ・ゲーム』(2001)、『エネミー・オブ・アメリカ』(1998)、『ザ・ファン』、『クリムゾン・タイド』(1995)など、トニー・スコットの描くアメリカ合衆国、またはアメリカ人像はとても興味深さを増している。ここは1つじっくりと考察する価値がある。キーワードは「陰謀」、「妄執」、「自警」といったところだろうか。
ところで監督が二転三転して、どうにか決まったような気配のトム・クルーズ『M:I-3』(J・J・エイブラムス)。ここは断固としてトニー・スコットに引き受けてもらいたいのだが、もう本当の本当に決定なのだろうか。トニー・スコットは2本もクルーズを演出している(『トップガン』、『デイズ・オブ・サンダー』)選ばれし監督なのだが。
(2005:01.07)
『マイ・ボディガード』公式サイト:
http://www.mybodyguard.jp/
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