#34『ドリーマーズ
』
- 醒める夢・・・映画 -
1
「宮殿に映画館を作るなんてことを
考えるのはフランス人だけだ」。『ドリーマーズ』は、アメリカからの留学生、マシュー(マイケル・ピット)の、そんな独白からはじまる。
この「宮殿の映画館」とは、パリのシャイヨ宮にあるシネマテーク・フランセーズのこと。エッフェル塔が一番美しく見える場所だ。
ここでは一度だけ映画を見たことがある。もう15年も前、トリュフォーのお墓参りをしたくて、初めてパリに行った時のことだ。モンマルトル墓地で献花した後、その足でシネマテークに向かった。入り口がわかりにくく、迷いながらやっと探し当てたところ、ちょうどかかっていたのは、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『にんじん』(1932)だった。
場内はとにかく殺風景で、よけいな装飾は一切なし。塗りっぱなしの白壁に囲まれ、スクリーンは・・・ない! 白い壁面にそのまんま映写するのだ。きっちり垂直の壁じゃないものだから、画面はやや斜めにかしいでいる。劇場としては難点ありである。
けれど、最前列の座席に座った時のときめきは、押さえようもなかった。今、自分が座ったまさにこの席に、きっと、いや間違いなく若き日のトリュフォーや、ゴダール、シャブロルやロメールたち、もちろんベルトルッチも、連日浴びるように映画を見、映画作家としての資質を育んだのだ。硬く座り心地がいいとはいえない座席に腰をかけながら、ここからヌーヴェル・ヴァーグが始まったことに想いを馳せる。
そのシネマテークの創設者であり、館長のアンリ・ラングロワ。彼こそが後のヌーヴェル・ヴァーグの作家たちの研鑽の場を作ったのだ。山田宏一は、ラングロワのこんな言葉を紹介している。「映画の価値を判定するなんて、なんともいやらしい考えではないか。菓子屋に入って、菓子を買って食べもせずに、ただながめて品定めするなんて! 俺はつぎからつぎへと菓子を食べてしまいたい。みんなうまそうにみえるし、事実うまいにきまってるんだ」。いわゆる「名作」といった概念は捨て、映画ならなんでも集めたという。まさに映画の擁護者だった。
1968年、時の文化相アンドレ・マルローにより、ラングロワは解任される。それに抗議し、反対運動を起こしたのがトリュフォー、ゴダールはじめ、ヌーヴェル・ヴァーグの作家たちだった。これが世に言う「シネマテーク事件」である。結果的に闘争は勝利し、ラングロワは77年に死去するまで、館長を務めた。とはいえ、70年代以後は、彼自身の情熱も衰え、作品選定もほとんど関わらなかったというのだが。
2
長い前置きとなったが、『ドリーマーズ』は、そのシネマテーク事件で幕を開ける。シネマテークに通いつめる重度のシネフィル(映画狂人)であるパリのアメリカ人、マシューは、シャイヨ宮の前でトリュフォーらしき人物(何とジャン・ピエール・レオーが演じている)が、激しくアジテートし、それに呼応する学生たちが共闘の叫びをあげるのを、驚いたような目で見つめている。
その混乱の中で出会うのが、イザベル(エヴァ・グリーン)とテオ(ルイ・ガレル)の双子の姉弟だ。彼らもやはり強度のシネフィルで、直ちにマシューと意気投合する。合言葉はニコラス・レイだ。テオが『夜の人々』(1949)と口にすると、すかさず『大砂塵』(1954)に『理由なき反抗』(1955)と応じるマシュー。オレたちは同士だという無言の笑み。
3人は夜更けまで映画のことを語り合いながら、パリをさまよう。マシューが「生まれはどこ?」と訪ねると、イザベルは叫ぶ。「生まれはパリ! 1958年!」。おやっ? この映画の時代は1968年。するとイザベルは10歳? と、一瞬首をかしげると、彼女は続けて「ヘラルドトリビューン!」と大声をあげる。その時、その後この映画を見ながら、何度となく流す羽目になる、最初の涙がこぼれ落ちる。『勝手にしやがれ』(1958)だ!
その日から、この映画狂人3人組の奇妙な同棲生活が開始する。愛する映画たちの数々の場面を模して、互いの映画愛を確認しあう。中でも最高にエキサイティングなのは、ゴダールの『はなればなれに』(1964)の名シーンを真似て、3人がルーブルの長い回廊を突っ走る場面だ。『はなればなれに』とまったく同じように撮られたそのシーンは、ゴダールとベルトルッチ、それぞれのフィルムが交互にモンタージュされる。この時、この2人の映画作家は溶け合わさって1つになる。ゴダールへのベルトルッチの挨拶である。
だがしかし待てよ。この映画の幸福感にしびれそうになりながら、世界の巨匠ベルナルド・ベルトルッチともあろう人物が、こんなナイーブな映画を撮っていいのかよ、と心配になる。これは、映画狂の、そう、たとえばタランティーノみたいな奴が、「若気の至り」でうっかり作っちゃうような作品じゃないのか。
だいたい映画の真似っこなんて、映画に目覚め始めた子供が、迂闊にもしでかすことじゃないのか。私なんかも、中学の時『ディア・ハンター』(1978)のロシアンルーレットをずいぶん真似したものだ。(白目をむいて絶命するニックや、その頭を抱えてオロオロするマイケルを演じるのは、そりゃあ楽しかった。ロシアンルーレットを強要するベトナム兵の役で、アメリカ兵を演じる友人を本気でビンタするのも、最高に痛快だった!)
はっきり言いたいが、こんな映画をベルトルッチほどの大監督が作ってはいけない。退行だし、こんな映画で泣かせようとするのも許せないし、次々と登場する過去の映画へのオマージュに、いちいち泣かされている自分自身も許せない。
けれども、ベルトルッチの伝記的事実を考えるならば、これも必須だったかなと思えないでもない。彼にすれば、絶縁したといわれるゴダールとの関係を、いつかは見つめなおし、こうした裸の作品を作る必要があったのではないだろうか。
3
ベルトルッチは、パゾリーニの助監督から出発し、ゴダールに対する敬意と共に、若干21歳で傑作『殺し』(1962)でデビューした、早熟の天才だった。しかし、彼にとってゴダールの存在はあまりに大きく、映画作家としてより上に行くためには、ゴダールを乗り越えねばならなかった。そこでベルトルッチは、象徴的に父親(ゴダール)殺しを行う。
蓮實重彦によるインタビューでの告白によると『暗殺の森』(1970)の、暗殺される教授の電話番号と住所は、なんとゴダールのものだという。彼はこれを「ヌーヴェル・ヴァーグの父親をイタリアの若い監督が殺す、末弟が殺すといったものです」と述べている。
それをゴダールは気に入らなかった。夜中の12時のサン・ジェルマン・デ・プレのドラッグ・ストアにベルトルッチを呼び出したという。緊張して待っていると、突然ゴダールが現れ、彼に封筒を渡すとそのまま去ってしまう。封筒の中には、毛沢東の肖像画が入っており、赤いサインペンで「帝国主義に対して闘うべし」と書かれていたそうだ。
これが2人の決別である。それに先立つ68年。シネマテーク事件の4ヵ月後。パリでは五月革命がおこる。学生たちを中心とした反戦、高度資本主義や官僚的な大学体制への批判が高まり、ついには労働者も巻き込んだ大規模なゼネストに発展。ド・ゴール大統領を退陣に追い込んだ政治闘争である。これを受け、トリュフォーやゴダールらは、ついに「ブルジョア的な」カンヌ映画祭粉砕に乗り込み、閉鎖においやってしまう。
これが決定的な分岐点となり、70年代ゴダールは商業的な映画の製作をやめ、政治的映画活動にのめりこむ。一方、ベルトルッチはイタリア共産党に入党し、作品としては『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(1972)や、『1900年』(1976)など、「映画」のあり方にこだわりつつ、歴史や人の生き様に目を向けた問題作を世に問うた。また、ヌーヴェル・ヴァーグもう一人の父、トリュフォーは政治を放棄し、これもゴダールと袂を分かつ。
ベルトルッチはイタリア人であり、また若年だったことから、ヌーヴェル・ヴァーグに決定的に入り損ねたというコンプレックスがある。そんな彼が、60を過ぎた映画人生の終盤戦で、もう一度自分の「父」たちへの回帰を求めたことはよくわかるように思う。思うに前2作のベルトルッチ作品『魅せられて』(1996)と『シャンドライの恋』(1998)の情熱的なドラマはどこかトリュフォーの作風を思わせ、ゴダールっぽさはなかった。おそらく、告白したくてもできない思春期の少年のように、様子を伺っていたのかもしれない。そして、ついに意を決してゴダールに手を差し伸べたのが、『ドリーマーズ』ではないかと想像するのだ。その意味でこれはとても私的な作品である。
4
私的、それも超極私的でありながら、ベルトルッチの手腕は、必ず作品に社会性を獲得させる。『ドリーマーズ』の3人は、どんどん倒錯的な性にのめりこみ、彼らだけの生活に淫することになる。映画好きのくせに、彼らが映画館にいる場面はほとんど登場しない。ベルトルッチは映画を夢であるという。けれど、映画館という繭のような空間で光に浸されることは、寝室でひたすらに肉欲にふけることと何ら変わりはなく、社会や世界に対しての働きかけとはなり得ない。映画に埋没するとはそういうことだ。
もちろん、それは『ラスト・タンゴ・イン・パリ』のテーマでもあり、決して目新しくはない。しかし、68年の革命の価値について深い確信を持つ彼としては、あの喧騒の中、室内に閉じこもる彼らを描くことで、単にシネフィルであること、すなわち非政治的であることを厳しく糾弾し、革命行為そのもののあり方を批評する。そこが『ラスト・タンゴ・イン・パリ』では省略されていた部分だ。
全裸の3人が室内に、さらにもう1つテントを張り、つまり繭のそのまた中に繭を作った徹底的な閉鎖空間で永遠の眠りにつこうとするところ、その眠りは窓ガラスを割って飛び込んできた革命デモの投石によって妨げられる。
安全地帯で永遠の眠り(この選択がトリュフォーだ)を選ぼうとした彼らは、街に出るが、テオとイザベルは火炎ビンを手にとり過激な革命を志向する。(これがゴダールの選択だ)しかし、マシューは(彼は異邦人、すなわちベルトルッチの選択だ)それに激しく反対し、そのやり方は体制側と同じであり、我々はもっと頭を使うべきであると主張する。
こうして映画は68年を境にした、決定的な行き違いを象徴的に描き出す。ベルトルッチはこの分岐点を再現することで、映画人としての、そして一人の人間としての自分の人生にいったんケリをつけようとするかに見える。
そしてそれは、私たち年少のシネフィルへの弾劾でもある。誤解のないよう言いたいが、映画の遊戯にふける3人組に対し、ベルトルッチは断じて暖かい目など向けていない。それはだんだん彼らの営みが凄惨さを帯び、楽しさと無縁の描写になっていくことからも明らかだ。だからこそ、この21世紀という時代を見ろ。革命のひとつも起こしてみろ。自分たちは間違いなく闘い何かを獲得した。言いたいことがあるなら闘え、言いたいことがないなら論外だ、と、私はベルトルッチにそう叱咤されているように思えてならなかった。
『ドリーマーズ』は恥ずかしくて見ちゃいられない、と思わされながらも、ベルトルッチの極私的な郷愁と、闘争への熱意が一体となった作品である。むせかえるような性描写に目を奪われつつも(しかしこれは映画に対する規制をとりはらうための、また別の闘争であるのだ)、骨の髄まで気を引き締めさせられる作品である。きわめてウェットだが、しかしこれは鬼の形相をしたベルトルッチ作品なのだ。
(2004:08.18)
:参考文献:
・
ギルバート・アデア「ドリーマーズ」白水社
(2004)
・
山田宏一「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌 増補」平凡社
(2002)
*
ただし筆者の蔵書は「新版 友よ映画よ〈わがヌーヴェル・ヴァーグ誌〉」話の特集(1985)による。
・
蓮實重彦「光をめぐって 映画インタビュー集」筑摩書房
(1991)
・
ベルナルド・ベルトルッチ他「ベルトルッチ、クライマックス・シーン」筑摩書房
(1989)
・
四方田犬彦「映画と表象不可能性」産業図書
(2003)
『ドリーマーズ』公式サイト
:
http://www.herald.co.jp/official/dreamers/
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