#31「スクール・オブ・ロック」
- ロックの神は誰の前に現れるのか -

 『スクール・オブ・ロック』の原点は、スティーブン・フリアーズ監督の傑作*『ハイ・フィデリティ』(2000)にまちがいない。その映画の主人公で、ロック専門の中古レコード店を経営するロブ(ジョン・キューザック)と一緒に働いていた、誰よりも過激でロック魂あふれるロック・オタク、バリーを演じて強烈な印象を残したのが、他ならぬジャック・ブラックだ。
 そんなバリーが、別れた女のことをぼやいてばかりの相棒に見切りをつけ、店を飛び出したのだとしよう。すると、ちょうどそこからが、『スクール・オブ・ロック』のはじまりになるだろう。この映画の主役バリー、いや、ここでの役名デューイは、ロック・バンドを結成しているがうまくいかず仲間割れ。さらに家賃の支払いに困ったあげく、教員免状を持つ友人になりすまし、名門プレップ・スクールの代用教員として潜入する。学問のことなど何も知らないが、ロックのことなら負けやしない。音楽といえばクラシックしか知らない名家の少年少女たちを、ロックの道にひきずりこむ。そして、楽器のできる子供たちを中心にバンドを結成し、ロック・コンテストに挑むのだ。
 そこからさらに想像を広げるなら、その名門校の校長が、こともあろうにロブの姉だったので、デューイもおおいにあわてるという筋立てなのだと決め付けてしまおう。実は、なんともおあつらえ向きなことに、その校長を演じるのはロブを演じたジョン・キューザックの実姉、ジョーン・キューザックなのだ!
 この校長が普段は堅物なくせに、酒に酔うと妙に涙もろく愚痴っぽくなるところも、どこかロブそっくりで、しかもスティービー・ニックスの隠れファンというのだからたまらない。ここまでくれば、『スクール・オブ・ロック』の作者たちは、絶対に『ハイ・フィデリティ』を意識して、遊びまくっているのにちがいない!

 ただし、キューザックに代わって、ジャック・ブラックがフロントをはる以上、『スクール・オブ・ロック』には、『ハイ・フィデリティ』のペシミズムなど微塵もない。とにかくこの作品の成功のもとは、ジャック・ブラックの快演につきる。デブでハンサムとは言い難いが、どこか茶目っ気のある彼の芸風は、故ジョン・ベルーシの路線を継いでいる。しかし待ってほしい。徹底的に破滅型でサディスティックなベルーシにまとわりつく不吉な陰は、ブラックには見られないものだ。どんなにわめきたてて、同じように騒々しくても、ブラックにはベルーシにないお日様の輝きがある。だから初主演作『愛しのローズマリー』(2001)での、グウィネス・パルトロウのようなお嬢さん系の女優とも、違和感なく共演できる。もしもベルーシが教員になりすまして、名門校に入ってこようもんなら、ロックだけでなくドラッグまで子供たちに教え込んでしまうだろう。間違いなく狂人であるベルーシに対して、ブラックは正気の人なのだ。しかし正気のままにキレることのできる俳優。それこそ天性のユーモアでなくてなんだろう。

 「お前たちはレッド・ツェッペリンを知らないのか!?」と、ロックに無知な子供たちに目をむくデューイ。「いったい学校は何を教えてるんだ!」と大騒ぎするが、じゃあ聞きたい。お前はツェッペリンを学校で習ったのかよ! そんなどこかもっともで、しかし無責任な発言のいちいちに大笑いである。
 授業などしようとしないデューイに、クラス委員の少女がクレームをつけると、「じゃあ教えよう! 人生なんて必ず負けるようにできている! なぜならオレたちの前には必ず大物(ザ・マン)がいるからだ! 教師も、親も、上司もザ・マンだ! 大統領も合衆国もみんなザ・マンだ! 奴らには勝てない。絶対に!」とまあ、立て板に水でしゃべり続ける。そして、最後にキラリと光る真実も言うのである。「反抗する手段はたった一つあった。それがロックだ。しかしそのロックもやられちまった。MTVだ!」発言の一つ一つを名言集として残していきたいくらいだ。
 いよいよ子供たちとコンテストに乗り込みをかけるものの、子供たちには他の出演バンドの演奏など聴かせようとしないところにも、デューイの確かな美学を感じさせられる。このへんは、ブラックの熱演をこえて、キャラに命を吹き込むシナリオ(マイク・ホワイト)の冴えだ。デューイは子供たちに「ニセモノの演奏など聴くな!」と言い放つわけだが、凡庸なシナリオなら、初めて生で接するロックのライブに圧倒される子供たちを、必ず描くはずだがそれをしない。ザ・フーやイエス、ピンク・フロイドなど、ロック・レジェンドの演奏ならおおいに聴きもしよう。しかし、無名の素人バンドの演奏など聴いてられっか! (自分だって素人のくせに)それがデューイのスタンスであり、おおいに賛成である。日本では一昔前に、素人バンドのコンテスト番組「イカ天」だか何だかがブームになったが、あんなもんに喜んだり、共感したりしてる奴らの気が知れなかった。

 デューイが子供たちを相手にロック・バンドを作ろうと思い立ったきっかけは、彼らの音楽の授業を盗み見た瞬間から。音楽室の扉越しに、彼らの演奏を聴いて胸打たれるのである。ロック馬鹿であってもデューイのすごいところは、はっきりと「本物」を聴き分ける耳を持っていることなのだ。音楽室扉のガラス越しに子供たちの演奏を見るデューイと、演奏する子供たちとの切り返しは、『小さな恋のメロディ』(1971)で、幼いダニエルがメロディを見初めるシーンにどこかそっくり。気のせいだろうか? いや、デューイはこのとき子供たちの音楽に恋をしたはずなのだ。
 彼の演技が実際の撮影現場でどれだけすさまじかったかは、子供たちの様子を見ていれば想像がつく。生徒役を演じている子役の何人かは、ブラックの勢いに、素で笑い転げているのが画面のあちこちに映っているのだ。現場ですら演技を忘れて笑っているくらいなのだから、観客である我々はたまらない。破壊力満点のジャック・ブラック・パワーに圧倒される110分間なのである。
 「スクール・オブ・ロック」とは、デューイ率いる子供バンドのバンド名である。クライマックスに待っている彼らの演奏は圧巻の一言。本編が終り、劇場が明るくなる最後の瞬間まで彼らの演奏を聴くことができる。もちろんDVD化されたときは必携の一作。映画のどこから見始めたって、その瞬間から笑えるはずだ。つまらない場面なんてただの一秒もないのだから。まったく最高にごキゲンなロック・ムービーなのだ!
(2004:05.22)

『スクール・オブ・ロック』公式サイト
http://www.schoolofrock-movie.jp/
*関連リンク:シネクリティーク#02 ハイ・フィデリティ


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