まさかと思ったが、2002年のこの夏、『エピソード2』を完全にしのいで、ナンバー1を記録した大成功作である。しのぐどころか歴代第5位。心情的には『SW』の上を行くのはどこか面白くないのだが、何せ『スパイダーマン』を見ている最中の胸のときめきったらなかった。もう唸るほかない大傑作である。
理由は2つ。この映画がヒーローものというより、完全に青春映画のフォーマットで作られていること。そしてもう1つは、ジェームズ・キャメロンがアクション映画から摘み取ったスピードに対する興奮を完全に復活させたことだ。
まず、この映画が青春ものとしできていることは、あちこちで語られたことではある。しかし、監督のサム・ライミはたぶん意識しなかったろうが、この映画の製作はソニー・ピクチャーズであり、その元となったコロンビアは、(映画史的にはまったく顧みられないものの)80年代にステキな青春映画を連発していたことは一言しておきたい。若手俳優を上手に使った会社だった。
何といってもコロンビアは青春映画のバイブル『セントエルモス・ファイアー』(1985)の製作会社だ。(無人島に1本持っていくなら、個人的には迷わずこれだ)全米にカラテ・ブームを巻き起こした秀作『ベスト・キッド』(1984)シリーズも加えたいところ。アンドリュー・マッカーシーとモリー・リングウォルドが共演した『思い出のジュエル』(1989)や、今や懐かしいカーク・キャメロン主演の 『青春! ケンモント大学』(1989)など、小品ながらいい感じの作品が山ほどある。たしか1990年ごろに、銀座シネパトスがコロンビア青春映画特集という企画を組んで、そのどれもに心奪われたものだった。実績的には『プリティ・イン・ピンク』(1986)や、『恋しくて』(1987)など、珠玉の青春ドラマを放ったパラマウントに一歩甘んじるのだが、どれもこれも、もう一度見てみたい作品ばかりだ。
そこで『スパイダーマン』。「これは彼女の物語だ」という、主人公のナレーションとともに、キャメラがそっとアップにするメリー・ジェーン(キルスティン・ダンスト)。このオープニングからして、胸がきゅっとしめつけられる。この物語が彼女を中心に回っていくことの宣言であり、彼女を見つめることがそのままストーリーを牽引する力となるのだ。
「蜘蛛男」としての思わぬスーパー・パワーを身につけたピーター(トビー・マグワイア)と、彼が幼い頃から恋い慕うメリー、そして親友のハリー(ジェームズ・フランコ)の3人の若者を軸に、この「青春映画」は進んでゆく。
高校の同窓でもある3人は、卒業してニューヨークに出るが、就職は思うにまかせず、モラトリアムな日々を送っている。ピーターは生来の不器用さから希望がうまく通らず、女優志願のメリーはオーディションに通るはずもなく失意の日々である。ハリーも富豪の家庭とはいえ、実業家として成功を収めた父(ウィレム・デフォー)に対するコンプレックスから、今一歩が踏み出せない。その父こそが、事業不振のストレスから究極の悪役グリーン・ゴブリンに変貌するという設定も、物語に深みと複雑さを与え、ただただ唸るほかない。人間いくつになっても悩みの連続なのだ。
やがてピーターは自分の恋心をどうしてもメリーに伝えることができず、不覚にも彼女がハリーと付き合い始めるのを許すことになる。わずかにバランスを崩し始める友情関係の妙。そんな繊細な綾を表現するサム・ライミの技は実に際立った冴えを見せる。
まず、全編を貫いて飛びぬけて印象的なのは、トビー・マグワイアの大きくきれいなブルーの瞳だ。その視線はいつでもじっとメリーに注がれている。自室から、遠くの歩道から、人と人の間から、その瞳は常に彼女を探している。実際、ピーターが「蜘蛛男」となるきっかけとなる「奇跡?」が起こるのも、まさにメリーに見とれている最中のことなのだ。
見つめる人であるピーターの趣味がカメラというのは、決して偶然ではないだろう。ハイスクールでは「学校新聞にのせるので」などと、苦しいウソをつきながらメリーにカメラを向けたりもしたのだが、それから後、まさにそのレンズの向こう側に、メリーとハリーが2人でいるのを見つけてしまうのだ。とまどうピーターはそれでもじっと彼らを見つめるが、見られた側はそれを見交わすことができない。視線の遮断であり、唯一ピーターがその視線を拒否される瞬間である。ピーターへのロングの俯瞰と、メリーとハリーに寄り添うクローズのキャメラ。ピーターが実に遠くて哀れに感じる絶妙な距離感だ。
この胸しめつけられるような一連の描写があるからこそ、直後に炸裂する、華麗にして豪快きわまりないタイムズスクエアの超絶バトルの迫力に、エモーショナルな情動が加わるのである。そのため、壮絶なアクションにもかかわらず、なぜか涙がこぼれてくるような、映画史に残すべき究極のバトルシーンとなった。アクションという体には、胸の内というハートが加わってこそ、活きたシーンになるのである。それが「活劇」というものだ。
それにしてもピーターのキャメラを通したメリーの姿も、すばらしく魅力的だ。まるでファインダー越しに、ピーターの興奮とときめきが伝わってくるようなのだ。わずかにカメラが震えていたようにも思うが、それは気のせいか。とはいえ、好きな女性にカメラを向けるとき、男が冷静でいられるはずもなく、そんな心の震えが伝わってくるのは、もちろんマグワイアの演技力の賜物だ。一方のダンストも、実にキュートに嫌味なくアメリカン・ティーンエイジャーを好演している。
このように『スパイダーマン』は、普通ならアクション映画として認識されようが、ティーンエイジ・フィルムとしての香りをたっぷりとまとっている。親をなくしたピーターの育ての親である叔父夫婦との関係も、情感豊かに描かれていて、むしろこちらの描写に涙腺を刺激される観客も多いかもしれない。何せ老夫婦を演じるクリフ・ロバートソンとローズマリー・ハリスがとっても魅力的なのだ! これだけ描き込んでなおかつ122分の上映時間に収めたサム・ライミの手腕はまさに脅威である。
そして、次にアクション映画としても超一級の作品であることの根拠として、この映画におけるスピード感の復権についても語っておきたい。
もともとアクション映画の肝というのは、スピードだったはずなのである。たとえば、「ジェットコースター・ムービー」という呼び名を与えられた最初の作品である『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(1984)あたりまでは、確かに怒涛のようなスピード感があったのだ。ここでのスピード感というのは、切れ味鋭い編集や迅速な画面展開といったことではなく、何かがとんでもないスピードで動いていく快感。文字通りアクションの速さ、動きのスピードのことである。
しかしながら、スーパーアクションを、スローモーションを多用して、ドラマチックに見せることに価値を置くジェームズ・キャメロンの手法が主流になることで、アクション映画からはスピード感が失われた。もちろん、キャメロン自身が香港時代のジョン・ウー作品(『男たちの挽歌』など)に影響を受けた結果、そうした手法を選んだとも推定できるわけだが、ハリウッド全体への影響はやはりキャメロンだ。
キャメロン作品のイメージを形作ったのが、スピードとはおよそ無縁の肉体を持つアーノルド・シュワルツェネッガーだったということもあるが、しかし同じシュワルツェネッガーを素材に、ポール・バーホーベンなどは『トータル・リコール』(1990)において、いくつもの際立った疾走感を演出して見せたものだ。
キャメロンがスピード感を演出しようとした場面は『ターミネーター2』(1991)にいくつかがある。特に液体ロボットT1000のトラックと、シュワルツェネッガーのバイクとのチェイス・シーンがまさにそれだが、あそこで演出されていたのは、あくまでも「質量」であった。いかにも重々しい超大型トラックがふみつぶしかねない勢いで迫ってくる。その重量感こそが主であって、結果として「速さ」は演出上のトップ・プライオリティとはなっていない。その証拠に、トラックの落下やバイクのジャンプは、必ずスローモーションで描かれるのである。こうした手法は次作『トゥルー・ライズ』(1994)になると、さらに徹底されていく。こうしたスタイルの延長線上にウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』(1999)があることは言うまでもない。
他には、目も当てられないほどかったるい『ダイ・ハード』(1988)は論外としても、スピード感を演出しきった監督はほとんどいない。『スピード』(1994)は題材的にいいセンいったが、しかししょせんはバス程度のスピード(たかだか80キロ)だし、映画の興味はどちらかと言うと犯人とヒーローとの知恵比べである。最も迫ったのは『ミッション・インポッシブル』(1996)クライマックスの、ブライアン・デ・パルマだが、大爆走する列車にヘリが伴走しはじめるあたりから、やはり質量感の演出に傾いてしまったのが痛恨だ。
そこでこの『スパイダーマン』であるが、手首から放つ糸につかまってニューヨークのビルの谷間を滑空するスピード感ったらない! この軽やかさ、風を切って飛ぶことの爽快さ、この切れ味にはキャメロン流アクション演出の呪縛など微塵もなく、自由きわまりない演出となっている。特に引力に乗りきった動きのリズムをまったく殺さずに、横の運動と縦の運動を厳密に処理した編集で、先述のタイムズスクエアでのバトルは、見事にスピード感あふれるシーンとなった。
もちろん『スパイダーマン』にも、スローモーションはある。グリーン・ゴブリンが放った無数のカッターを皮一枚で次々とよける場面や、投げ込まれた爆弾が目の前で破裂する瞬間(爆風でゆがむ顔の筋肉の生々しさがすごい!)などである。しかし、これらも疾走する編集における、突然のアクセントとして、強烈なメリハリになっている。
壮絶なアクションの果てに、3人の若者がそれぞれの思いと苦悩を抱えて交差するラストも見事な幕引きだ。戦いの休止であると同時に始まりでもあり、それぞれの悩みは解決されぬままに、明日への一歩を踏み出さねばならない。(しかも続編の展開もちょっぴりほのめかせながら。)つくづく若者のドラマなのだ。
とにかく若々しさに満ちあふれた作品で、ティーンを中心にこの夏最大のヒットになったことも文句なしの大傑作である。なにぶん主演陣にはちきれんばかりの勢いがある。若さとはスピード感である。このパワーが作品全体を躍動させているのだと言い切りたい。
(2002:08.06)