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「お人形には魂がございまする」 京都宝鏡寺(ほうきょうじ)の禅尼様はおごそかに話し始められました。 「いかなる粗末なお人形であらしゃっても、人形として世にいでたときより、魂が宿り、いとおしむ人には優しく、にくしみある人には仇なすものでございまする。」 今でこそ子供たちの遊び道具として存在してはいますが、古来人形は「形代(かたしろ)」と呼ばれており、宗教儀式のために存在するものであったようです。 室町時代になると、葬送の「形代」であった「アマガツ」は、生まれて来る子供の厄を負うものと変わってきます。漢字では「天児」と当てられます。この「天児」は災いを背負ってくれる「形代」で、もとは三才まで用いたようです。それがやがて、男の子の場合は元服まで用いて感謝の念を込めた儀式の後、焼いて灰としてから土に帰し、女の子の場合は嫁ぎ先に持参して子供の誕生まで用いたということです。また、「天児」は「這子」とも呼ばれ、「孺形」とも呼ばれると文献に記されています。「天児」はデクに着物を着せた案山子のようなもので、「這子」はぬいぐるみのようなものです。しかし、作りはどうであれ、意味合いは同じでした。ただ、武家には「天児」が、そして庶民には「這子」が定着したのです。 この頃、「人形」という呼び名が登場します。室町時代の人形は、仏師、彫刻師の余技で作られており、専門職ではなかったようです。「人形師」という専門職は江戸時代になって生まれます。 1616年(慶長21年)、ときの幕府は、それまで宮中で行われていた風習の中から五節句を選んで、祝うことを定めました。七草、桃の節句、端午の節句、七夕、重陽(ちょうよう)がそれです。七草を除いた他の節句は縁起が良いと言われる奇数の重日に行われました。 人形やおもちゃを触らず育った人はいないと思います。人形が、人の成長過程に占める役割はとても大きいのです。そして私たち日本人は、無意識の中に特別な感情を人形に持っています。それは、日本の精神文化に大きな関わりがあるのです。それは歴史が教えてくれました。そしてその精神は冒頭の禅尼さまの言葉に象徴されている気がします。 |