ここは、やさぐれた男が

日常生活で不要になった思考を

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2000 年12月17日(日) 猿バリバリループの謎

 降りしきる雪のなか、温泉につかっていい気になっている猿どもが重大な理論的矛盾を抱えていることは意外に知られていない。彼らは温泉にやってきて、いい感じでお湯につかるわけだが、タオルを頭に乗せられないために、温泉気分が半減してしまう。この「タオルの欠如」は、このような気分的な問題を超えて、後に重大な問題へと発展する。すなわち、温泉から上がっても、体を拭くことができないのだ。

 想像してみて欲しい。露天風呂にタオルなしで入浴し、湯から出た後、そのままの状態でマイナス10度前後の野外を24時間歩き回ることを。体は氷で被われ、確実に凍死するだろう。当然、これらの問題は猿にも当てはまる。湯から上がって30分程度で、猿の毛皮は氷でバリバリになってしまうはずだ。そして、バリバリになった毛皮を解凍するために、再び温泉に入らねばならない。一旦、誘惑に負けて入浴してしまった猿は、冬が終わるまで30分毎に温泉に出入りしなければならないことになり、そのうちに猿は疲労して温泉の中で水死するか、バリバリになったまま凍死することになる。

 しかし、温泉に猿の水死体が浮かんでいたという話は聞かないし、バリバリになった猿の凍死体も発見されていない。つまり、猿は何らかの方法でこの問題を解決しているのだ。これは、「猿バリバリループの謎」と呼ばれ、巷のニホンザル研究者の間で最大の関心事となっている。現在、最も有力な説は、猿がどこかにタオルを隠し持っているというものである。しかし、この説には重大が疑義がある。もし、猿がタオルを隠し持っているすれば、かなり高い確率で、つい気がゆるんで温泉の中で頭にタオルを乗せてしまう猿が現れるはずだからである。言うまでもなく、このような姿は目撃されていない。猿のタオルは土で汚れて茶色になっており目立ちにくいという説や、気がゆるんでタオルを頭に乗せてしまうような遺伝子を持った猿は、太古の時代に淘汰されてしまったという説もあるが、これらは隠しタオル理論の正当化するためのレトリックに過ぎない。

 私が個人的に注目しているのは、京都府立大学類人猿研究センターの滝沢教授のグループが提唱している、猿毛皮二着説である。この説は、実に驚くべきことであるが、温泉から上がった猿は、「おーさぶさぶ」といいながら家まで走ってかえって、そこでもう一着の毛皮に着替えるというものである。脱いだ毛皮は、真冬でも丸一日干せば、十分に乾くという。着替えの毛皮の数については、3着、あるいは5着という説もあるが、それほど重要な問題ではないだろう。もしこの説が証明されれば、これまで冬毛・夏毛などといわれていた動物の毛皮が、実は冬服・夏服だったという可能性さえも出てくるという動物学の根幹を揺るがす大発見になるだろう。

 ぜひ、協力して欲しい。ハンガーに掛かった猿の毛皮を発見した人は、こちらま で。


2000年12月16日(土) 「御用だ」から逃れる方法

 時代劇などに登場する「御用だ!御用だ!」の人々に囲まれた場合、通常はお手上げである。おとなしくお縄をちょうだいするほかないように思われる。しかし、そんな絶体絶命の状況から逃れる方法を考案した。彼らの弱点は、携帯を義務づけらと思われる御用提灯である。集団で紙につつまれた火の元を携帯しているのだから、危険きわまりない。手順は簡単だ。「御用だ!」に追いつめられたところで、おもむろに油を取り出して散布する。ポリタンクから直接まいてもいいし、噴霧器でもいい。あるいは口から吹いてもいいだろう。これで御用提灯が次々と引火し、彼らは大混乱に陥ることうけあいだ。ただし、この手は御用提灯が点灯している夜間にしか利用できない。

 実際に、この手をためしてみた盗人のかた、こちらまでご一報を。 


2000年12月1日(金) 最後までお願いします

 床屋へ行く夢を見た。床屋といっても設備は裸電球一個、藤村俊二風のおやじがやってきて、小学生の文房具セットに入っているようなオール銀色のハサミで私の頭を刈りはじめた。しかし、私は癖毛で髪質も固いので、ハサミは切れなくなり、40分ぐらい経過した頃、おやじは散髪を放棄した。私の頭は当然ながら虎刈りになった。

 その後、なにを思ったか、おやじは私の頭の髪が残った部分を黄色の蛍光ペンで塗りつぶしはじめたのだ。真意は不明だが、刈らねばならない部分をマーキングしたものと思われる。明日の夢で続きをやってくれるのではないかとの期待が膨らんでいる。


2000 年11月27日(月) ざぶとん3枚下さい

Q.「街のバリアフリー化が進むとなくなる職業は?」

 

 


2000 年11月19日(日) あまり聞かないダジャレ三題

 ゾウを憎悪する。

 サンダー杉山さんだー!。

 一色猛郎さん意識朦朧。

 ところで、私は以前から「比嘉忠(ひが・ただし)さんの通称はピカチュウに違いない」という仮説を持っているのだが、これを支持/棄却する事例を知っているかたはこちらまで。


2000 年11月15日(水) ワンダバダ出社

 朝、会社に行こうと玄関で自転車を持ち上げて方向を180度転換させようとした瞬間、ふいに頭の中にワンダバダが流れた。ワンダバダとはもちろん、ウルトラマン系の地球防衛隊(?)が出撃する時のあの音楽である。ワンダバダを頭の中で鳴り響かせながら自転車をこいでいると無意味に士気が高揚する半面、あのような音楽と共に出撃した彼らが、わずか数分後には全滅する姿に思いをはせるのであった。

 彼らが地球防衛に果たした役割については議論があると思うが、一般的にはお愛想程度の出撃としか思われていない。本来はウルトラマンにすべて任せたいのは山々であるが、それではあからさまなので、一応は出撃せざるを得ないというのが本音だろう。あるいは、予算消化のために燃料費を使わなければならないか、出撃実績がないと次年度の予算を確保できないのか。

 お愛想程度の出席・出社というのは結構あるような気がする。会議においても自分が存在することが絶対に不可欠だという場面は多くない。あるいは上司が休日出社するのに自分は休日という訳にはいかず、とりあえず出社せざるをえなかった人々も歴史的には数多く存在したはずだ。そんな、出社することが目的の出社をここでは仮に「ワンダバダ出社」と呼ぼう。逆に、帰宅したくないが、形式上帰宅せざるを得ない「ワンダバダ帰宅」をしている人もいるのだろう。

 論旨とは関係ないが、文字にするとワンダバダとダバダバダバダバ〜は似ている。ダバダバダバダバ〜とは11PMのオープニング/エンディング・テーマである。本来ならば、地球防衛軍の出撃こそ軽い気持ちなのだから、ダバダバダバダバ〜で十分で、11PMこそ気合いの入るワンダバダで開始されるべきなのだ。そんな人に私はなりたい。 


2000 年11月12日(日) ミカソを守れ

 風邪をひいてしまった(咳)。風邪といえばビタミンCを補給するためにあれを食べるのがよい。ミカソである。ミカソは一見、ミカンと見分けがつかない。実際、農家もそれがミカソであることに気づかずに栽培しているケースが非常に多いという。作っている農家がそんな状況だから、当然出荷の段階でもミカソとミカンとは区別されていない。ただ、出荷数のほとんどがミカンであるために、同じ箱に詰められて、ミカンと書かれることになる。

 ミカソがミカソであることが判明するのは、八百屋の段階である。八百屋では、その道30年以上のベテランのおやじやおばさんが、ミカソとミカンを自信を持って見分けてくれる。それがミカソの場合には、自信にあふれた文字でざるに盛られたミカソにさされた段ボールの端切れに「ミカソ」とマジックで書くのだ。 ちなみに、スーパーでは販売員のキャリアが浅く、ミカソをミカンと区別できないことが多いため、ミカンとして売られていることがほとんどである。

 ただ、最近ではミカソは非常に少なくなっているという。日本の冬の風物詩であるミカソがなくなってしまうとすれば残念でならない。ニホンカワウソが絶滅するずっと前に、ニホンカワウンは絶滅してしまったという。ミカンがあるからといって安心しているうちに、ミカソが絶滅してしまうような気がしてならない。

 ミカソを見かけた、食べてみたという方はこちらまで。


2000 年11月10日(金) おはようございます(塩)

 ウェブやメールに文章を書くとき、よく(笑)を使ってしまう。多用すると見苦しいと思いつつも、ついつい使ってしまう。これは、文字だけでは伝わらないニュアンスとかサブコードを伝えるためである。「あなたはバカです」と「あなたはバカです(笑)」は印象が違うし。 (笑)の他にも、(泣)とか、よく意味は分からないが(爆)とかが使われていたりする。

 その他、同類としては比較的古くから使われている(株)とか(財)とかがある。その他、(有)とか(社)とかいうのもあるらしい。別の系統では(代)とか(呼)とかも使われている。

 冗談はさておき、サブコードを伝えるのであれば、(笑)の他にもいろいろ考えられそうである。「今日はとことんおつきあいしましょう(渋)」とか。(痛)とか(好)とかもありそうである。

 別に明確に意味のあるサブコードでなくてもいいのだ。 「おはようございます(塩)」というのは、なんとなく気が引き締まるニュアンスを伝えていないだろうか。相撲部屋の朝のような。「例のやつは、じゃあそういうことで宜しくお願いします(鯖)」とか、生臭さを伝えたりとか。あるいは、そういうニュアンスの整合性を無視して、「こんばんは(鼻)」とか。そもそもかっこ内が分からない「いつもお世話になっております(魍)」とか。


2000 年11月9日(木) 閉じた空間

 ところで、このページは現時点ではどこからもリンクされていない。しかし、いつかは発見されてしまう運命にあるのだろうか。だれかが誤ってアクセスするとか、ロボットが間違って訪ねてきて、サーチエンジンに登録されるとか。ただし、たとえ登録されても、魅力的なキーワードがないから、誰も検索しないだろう。いや、「秘密の花園」が危ない。

 そう考えると、この世の中にどこからもリンクされていないページはかなり存在するのだろう。さらには、そういうページがいくつか相互にリンクされていて、サーチエンジンによって網羅された表のウェブ世界とは全く違う世界が形成されていたりして。その世界の人々は、毎日サーチエンジンで自分たちのページを検索しては、まだ発見されていないことに安堵しているのだろう。そういう人に私はなりたい。


2000 年11月8日(水) 密かに立ち上がる

 こんにちは。といっても誰もいないか。

 あーーーーーーーーーーーーーとか叫んでみたりして。 


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