カルタゴ(Carthage) |
|
|
|
|
| アントニヌス帝の浴場 カルタゴは、今のレバノン付近に住んでいたフェニキア人の植民都市として紀元前9世紀頃に建設された。以後、紀元前2世紀頃まで地中海貿易の拠点として繁栄する。紀元前3世紀から2世紀にかけての3度のローマとのポエニ戦争で、徹底的に滅ぼされ廃墟となるが、その立地条件からやがてローマがここを植民都市として再建する。現在、フェニキア時代のものはほとんど残っておらず、この浴場もローマ時代の遺跡である。カルタゴは、1979年に世界遺産に登録されている。 |
|
![]() |
墓地(Tophet) カルタゴ人の子供を葬ったとされている墓地。現存する数少ないカルタゴ時代遺跡であり、墓碑に彫られた絵から、一説には「カルタゴ人は生け贄にとして子供を捧げた」と言われている。 |
![]() |
カルタゴ時代の港の跡(Punic Ports) 海洋民族だったと言われているフェニキア人の港の跡。軍港と商業港があり、軍港は商業港からは見えない位置関係で造られていた(写真は軍港側)。軍港には、最盛期に220隻の軍艦が係留されていたと言われている。第二次ポエニ戦争の敗北で、ローマにすべての軍艦を燃やされた。 |
![]() |
ブルサの丘(Byrsa
Hill) 高台には、国立博物館と数少ないフェニキア人の都市の跡が残っている。ここは、ローマ人が建物の資材調達場所として破壊せずに残しておいたところらしい。 |
![]() |
ローマの水道橋 紀元後のローマによるカルタゴ再建後、標高1295mのザグアン山の麓からカルタゴまで、延々120Km以上にわたる水道橋が造られた。現在も水道橋跡が各地に残っている。写真はチュニスから南のケルアンへ約20km付近の場所。 |
|
|