青空─学生時代


 薄暗い校舎の窓框から晴れやかな青空と揺れる樹々の緑とが覗くと、いてもたってもいられなかった。朝方にはその気で家を出てみても、風や日溜まりに誘われて、教室に行き着けさえしないこともしばしばだった。
 いまこんなふうに大学教員の職に就いていること、そしてときには学生の怠業を戒めもするような立場にあることは、当時の私からすればまったく意想外のことであったろう。何か格別な困難があったのでも、ことさらな登校拒否をしていたわけでもない。けれども私は、学生時代の大半の日々を、授業にろくに出席もせずにすごしたように思う。さほど器用ではなかった分、その報いは当然の仕方で受けざるをえなかったけれども、それは苦にはならなかった。
 いったい何をしていたのだろう。ほとんど何も。サークル活動やアルバイトや遊びその他をしなかったわけではないものの、どれに格別打ち込んでいたのでもない。授業に出なかった時間の大半を、私は文字通り「ぶらぶら」して過ごした。休み時間の賑わいも静まった大学の構内、眠っているような昼下がりの住宅地、奇妙に閑散とした平日の昼間の繁華街、忙しさとは違った用事でしか立ち寄る人もない隙間めいた場所を、ときにはひとりで、とりとめもない思いに沈みながら、ときには友人や好きな人や偶然出会った好きでもない人と一緒に、むら気な言葉を交わしながら、どこへ行くとでもなくぶらぶらと、或いはぐるぐると歩き、足がとまればどこかで休み、お茶を飲んだ。しばしば、歩きながら、知らずしらずどこか別の空間のなかに入っていくかのようだった。そんなふうにしてただ何年かが過ぎた、ように思う。
 たぶん、何か特別に高級なことを考えてでもいるかのように思い込んでもいたのだろう。いい気なものだ。いま中年にさしかかった目で眺め返してみると、ずいぶん無駄に時間を使ったものだと、後悔の念に襲われもする。現在の私の学問の浅さの一因は、しかるべき時期の蓄積の欠如にあるにちがいない。そして、せいぜい無駄遣いの逆説的な有意義性によって救われうるだけのこの過去に見出されるのは、どんな個性的な思想でもなく、或る世代や或る時代や或る階層やに特殊的な、つまり結局は一般的な、或る種の心性に関係した或る種の「症候群」にすぎないのだろう。
 けれども、短い四年間を有効に使えと学生に諭す中年教員の反省が、二十年ほど前のあの場所にそのまま生きているあのときの若者に届くのかはわからない。年齢を重ねると、以前にはどうしても見えなかったものが見えるようにはなるけれども、それはまた、以前には明らかに見えていたものが、それが喪失だと気づかれさえしないままに見えなくなってしまうことでもありうるのだ。
 若者はただ惜しかったのだ。この何でもない、しかし二つとはない輝かしい日を、薄暗い教室で有益な話など拝聴することで、或いはまた価値ある何かに情熱を注ぎ込むことによってでさえ、やりすごし、死なせてしまうことが。汲み尽くしえない深みと無限の広がりを持つこの青空を、ただの一片でも、何らかの意図でもって汚し、何らかの企てのために犠牲にすることが。
 それにしても、あれはいったい何で、何であったのだろう。あの、とりとめもなく気ままな、どうすることもできない、どうする必要もない、ほとんど無駄と等しいほどの豊かさは。
 中年教員はいま思い出す。ぽっかりと開けたあの春の日の、一つの夢のような明るさを。それは、そのときの風のそよぎと陽の眩しさとのままに、あのとき、あの場所に、いまもそのまま留まり続けているように思われる…。
 いまの私の目に映る青空は、あのときの青空と同じものではあるまい。けれども、それはまた、別のものでもないはずだ。私はそれを、少しでも本当に見ることができているだろうか。或いはまた、日々顔をあわせている学生たちの目に映っているはずのもう一つの青空を、その目を通して垣間見ることだけでも、はたしてできているのだろうか。

               (『学生生活』第201号 2003年12月 より)