信じられないことに、ストーンズの初来日が決定! しかも東京ドーム9日間(+追加公演1日)! 何がどうなっているのやら……。とにかくチケットを入手しなければ。一路、青山へ!

 1989年、私は現在も勤める会社に入社しました。まあ、世間並みに“社会人”とやらになれたわけです。これまで送ってきた自堕落な生活が響き、毎日同じ時間に起きて会社へ行く生活になれるのに、半年以上かかりました。ラッシュ地獄で有名な小田急線を利用していたこともあり、電車の中でのポジション取りの技術を持たなかった私は、通勤途中で2度も失神する始末でした(1回目はシート脇のポールを支える横ポールに背中を押しつけられての一人カナディアン・バックブリーカー状態で、2回目は呑んだ翌日に駅までの1.2キロを全力疾走したための貧血)
 それでも、仕事そのものは非常におもしろく、当時からかなりやる気が出ており、何とか今日まで会社勤めを続けています。この頃には、「27歳で死ぬだろう」みたいな馬鹿げた思いこみはほとんどなくなっていました。

 この年まで、我らがローリング・ストーンズは解散の危機にありました。2人のリーダー、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの確執が原因です。キースの「俺たちが仲違いしているなんて、とんでもない。俺たちの意見が食い違うのは、音楽のこととバンドのこと、次に何をやるかってことくらいさ」という発言に、当時のストーンズののっぴきならない状況が象徴されています。
 5人のメンバーは世界中に散らばって勝手なことをやり、もはやバンドは実質的に解散状態といってもいいくらいです。その中で、キース・リチャーズ大先生が「Talk Is Cheap」(いいタイトルだ!)というソロアルバムを出したのは、ファンにとっては複雑な気持ちでした。ミックに続いてキースまでソロアルバムを出したら、もうストーンズが復活することはないとしか思えません。アルバムの出来が素晴らしい分、特にそう感じたものです。

 しかし!ストーンズは復活を遂げました。前の項で扱ったセカンド・ギタリスト、ロン・ウッドの努力で再会したメンバーは、過去の確執を水に流し、再び一緒にやることになったのです。ここで、キースはミックに素晴らしい言葉をかけています。
「なあ、バンドは俺やおまえよりも、ずっとでかいんだ」
 キースは世界中に注目されるストーンズというバンドの責任を考えたのです。お互いを罵り合い、バラバラだった5人が集まってまたストーンズを再開すれば、それを見た世界中の人々が、世界が一緒になって何かできるかもしれないと考える、と思ったそうです。

 ミックとキースがバルバドス島のスタジオにこもって、鬼のような勢いで曲を書き始めた、というニュースが伝わり、ファンはひと安心。ニューアルバムの登場を心待ちにしていました。
 そして、89年月、「Steel Wheels」というアルバムが発売され、当然、発売日前日の早売りで入手しました。……ところが……
 このアルバムが全然ダメなのです。ファン全般でいえば、当時も今もこの「Steel Wheels」の評価は高く、名盤の呼び声高いのですが、私にとっては、ストーンズがこんなもののわけがない、という評価しかできませんでした。曲単位では素晴らしい曲もあるのですが、アルバム全体に走る妙な気負いと、変に高い完成度が、私にはとても気に入らなかったのです。
 アルバムの発売に合わせ、ストーンズがワールド・ツアーを始めました。前回のツアーは82年に終わっていますから、実に7年ぶりのツアーとあって、ニュースなどでも取り上げられ、(ミック来日の実績もあって)初来日が取りざたされ始めました。
 来て欲しい、でも、あのアルバムの出来では、大したことがないかもしれない。私はこういう悩んでもどうしようもないことで悩んでいました。どっちみち、来日すれば見に行くんだし、そのステージの出来が良かろうと悪かろうと、私にどうにかできる訳じゃありませんからね。

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日刊スポーツに出た記事。この段階では5月などといういい加減な情報が出ている。

 で、当然のようにチケット獲得作戦が始まりました。
 しかし、今回はスポンサーの決定が遅れていたためか、「2月に東京ドームで9回やるらしい」という以外の情報が集まりません。
 まだ会社に入ったばかりで、チケット獲得に有利な人たちとの付き合いもまだあまりなく、手をこまねいている状態でいるのは、ファンとして精神衛生に実によくない状態でした。2月に来日するのはほぼ決まっているというのに、89年中にはろくな情報が集まらず、取りあえず千葉県にある実家に帰省することにしました。
 ところが、転機は突然やってきました。90年の1月の3日か5日のことです。例によって、友人から「明日、整理券をまくらしい」という電話が入ったのです。
 翌日は会社があるのですが、それどころではありません。ファン人生の一大事を前に、仕事のことはどこぞへ消えていました。とにかく大急ぎで車(親戚のおばちゃんにもらった10年モノのアルト)を出し、一路、都心部へ。
 ミックの時の経験から、まずはウドーの事務所に急ぎました。出発の時間を早めにしたので、今度は9時過ぎに着きました。
 ウドーの前には、我々を入れてもわずか15〜16人しか集まっていません。ハハハハハ! これだけ早く来れば、さぞかし席も良いことだろう!

 おかしい……。10時近くなっても人数が増えない。その15人前後の中に、妙な雰囲気が漂いはじめました。
 聞けば、やはり彼らも整理券配布の情報で取りあえずここに来てみたとのこと。おかしい。ミック1人で来た時よりもずっと人が少ない。かといって、どうしたらいいのかはわからない。
 もう我々は半泣きでした。
 その状態は、そこに走り込んできた、誰かの友人らしい男の一言で破られました。

「違うよ! ここじゃねえよ! 今回は“ぴあ”がチケットを全部扱うんだってよ! 整理券もぴあだよ! もう109の前に行列ができてるよ!」

何てこった! 何人かが一斉に走り出しました。また、何人かがタクシーに走りました。我々も、当然車に飛び乗り、交通法規を無視して、渋谷へと走り出しました。

 駅の脇を抜けて、109へと向かうと、何と、100人以上の行列ができているではありませんか!
 とにかく、友人を車から降ろして列につかせました。
 軽自動車の特長を活かして、パーキングメーターが動かないように車をずらして停めると、列に向かって全力疾走。誰か気の利く奴が、番号札を配っています(オフィシャルなものには見えませんでした)。118番(だったっけ)が、私のもらった札の番号でした。
 とにかく、この番号札のおかげで、行列を離れることができるようになりましたから、みな、食事やら何やらに動き出しました。私も、周囲にいた連中と近くの店にねだって段ボールをたくさん手に入れ、座るスペースを作りました。

 周囲にいた人達と、何となく話をはじめました。
 どうも、ぴあのチラシだか本誌だかの刷り出しが漏れたとのことで、噂が広まったようです。その情報によると、整理券1枚につき1公演かつ4枚のチケットしか購入できないとのこと。私の周辺で行こうとしている人間の数を考えると……足らない。
 周囲の人と交代で場所をキープしつつ、各自友人との連絡を取るため、公衆電話に向かいました。しかし、何て麗しいんだろう。こういう共同体って。
 高校時代の友人、大学時代の友人と電話をかけ、出かけられる奴にはすぐに最寄りのぴあスポットに急がせ、出られない奴には「努力はするけど、取れなかったり日にちが気に入らなかったりしても文句言うなよ」と念を押しました。

 さあ、ここからが正念場です。年の初めの猛烈な冷え込みが我々を襲います。前の方に並んでいる連中はすっかりできあがっており、アコースティック・ギターを持ち出してストーンズ・ナンバーの大合唱。100番目あたりの我々は、「ああいう幻想にどっぷり浸かった奴らってうらやましいよね」などと性格の悪いことを言いつつ寒さをこらえていました。
 前に並んでいた女の子は、「ああ、ダメだ。寒い。ちょっと友達のうちに行って来るから、順番とっといてね。絶対だよ」と虫のいいことを言います。冗談じゃねえ、と思いましたが、「いいよ。とっといてやるよ」と言うと、「絶対だよ」と虫のいい念押しをして代官山方面に歩き去りました。ちなみに、それから彼女にはあっていません。どうも寝坊したらしく、翌朝にここに現れなかったのです。

 何人もの道行くヨッパライ親父が声をかけてきます。
1.「何だぁ?この行列は?」
 「ローリング・ストーンズですよ」
 「誰だ、そりゃ?」
2.「何だぁ?この行列は?」
 「誰だと思う?」
 「ええ? うーんと……」
 「あんたの知らない人だよ」
3.「何だぁ?この行列は?」
 「初場所の入場券」
 「へぇ、渋谷で売ってるんだ!」
 「(バーカ)」

 お姉ちゃん2人組が色仕掛けで列に割り込もうとします。
 「(しばらく話し込んだ後、我々の前を指さして)ねえ、ここ、入ってもいい?」
 「50mも行けば最後尾だよ」
 もの凄い表情で睨み付けた後、数人後ろの男に声をかけ、うまいこと列に割り込んだようです。
 友人と、「いくら苦労して並んでるからって、チャンスを逃すことはなかったんじゃねえか?」と悔しがっても、後の祭り。

 「帰りなさい」という警官に、「じゃあ、替わりに並んでよ」というと、何か起こっても責任取れないよとか言ってチャリンコで去っていきます。冗談じゃねえ。どんな時だって責任なんか取らねえくせに。

 まずい。本格的に冷え込んできた。私はモッズコートにボアの裏地をつけて、セーターの下に長袖Tシャツ2枚重ねの完全防備でしたが、死ぬほど寒い。友人はセーターの上にフライトジャケットを着て、更にモッズコートという超完全装備でしたが、唇が真っ青。
 八甲田山の映画のように、お互いを殴打しつつ寝ないように気をつけました。うかつに寝ると、少しでも前に並びたい後ろの連中が救急車を呼びそうな気がしていたのです。

 ミックの時は、ウドーの人のおかげで早く帰れたのに。やっぱり有名企業って融通が利かねえよな……。もう朝がやって来ました。まさか、このまま10時まで待たせるんじゃねえだろうな! 日が高くなるにつれ、仕事に向かう人、一晩中呑んじゃった人、不倫カップル風の二人連れも通りかかり、みんな物珍しそうに見ていきます。
 8時半を過ぎても、列が動く様子はありません。私は会社に電話を入れ、初めて具合が悪いふりをして休暇を取りました。まあ、実際具合は良くないんだけど。

 しかし、ひでえよな。
 本当に10時まで待たされやんの。ようやく整理券を手に入れたのは10時を大きく回った頃でした。何て融通の利かない奴らなんだろう。
 しかも、電話回線やネットワークの混乱を避けるため、アナログ方式で各スポットに整理券を適当に割り振るようなふざけた仕組みだったようです。実際、地方のスポットには整理券が1枚とか言うケースもあったそうで、深夜に電話した高校時代の友人は、イチかバチかで大学生協内のスポットに朝イチで行ったら、あっけなく整理券がもらえたとのこと。その割り振りもいい加減で、どこそこのダイエーで配られた整理券ではアリーナのチケットが買えたとか、新大久保のクロサワが穴場でみんなアリーナが買えたとか、いろいろな風聞を聞きました。
 しかも、その場でストーンズ来日記念ぴあカードを買った奴は1日早く良い席のチケットが買えるとか言うサービスも反古になりました。
 こんないい加減なことでいいのかよ? 次の来日からセゾンに切り替えられたのは、このへんの不手際が原因なんじゃねえの?

 とにもかくにも、1週間後、4人で16枚のチケットが手に入り、私はうち3枚を自分の分としました。

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▲2月14日(初日)のチケット

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▲2月21日のチケット

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▲2月23日のチケット

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