奇跡! ミック・ジャガーの来日実現! フツーの人はインターネットなんか知らない時代の、力技によるチケット獲得作戦。そして、東京ドームにミック・ジャガーが現れた!

 その“噂”の前兆は「ミック・テイラー」の来日でした。テイラーは、69年から74年にかけてのストーンズのギタリストで、彼が在籍した頃のストーンズは、たぶんバンドとして最高の時期だったと(私個人は)思っています。テイラーの情感たっぷりのリードギターにメロディ的な要素をすっかり譲ったキースが、バンド全体を引っ張って行く「スーパー・リズム・ギタリスト」となり、天才的なリフをバシバシ作っていた時期で、鬼のような名曲がものすごいペースで量産されていました。
 さて、その立て役者の一人であるミック・テイラー、1987年の4月にいきなり来日したのです。しかも、場所は渋谷のライブイン……50万人を前に演奏したことのあるギタリストが、ライブハウスで……これ、「ドサまわり」って言うんじゃないの?

?~?b?N?E?e?C???[???`?P?b?g
これがミック・テイラー公演のチケットだ!
値引かれているのがもの悲しい!

 でもまあ、とにかくストーンズのメンバー(正確には元メンバー)が来日するのは初めてだし、行きました。4月10日に。
 我々はストーンズオタクとはいえ、ストーンズをやめてからのテイラーの活動についてはほとんど知らず、どんな音楽をやっているのかも知りませんでした。
 だから、薄暗いライブインにテイラーが姿を現した時、正直言ってかなり驚いたものです。

 「老けたなあ……」それもそのはずで、テイラーはストーンズ脱退の時点で26歳くらい。我々はそのころの写真しか見ていないんですから、いきなり40歳で現れたテイラーが変わってなきゃおかしいってもんです。
 ライブが始まります。
 テイラーのギターから流れ出したのは、ストーンズ時代とは似ても似つかない、フュージョン風のソロでした。ギターのテクニックはストーンズ時代よりも遙かに上達しており、時々うなるようなメロディが出てくるのですが、印象としては「フュージョン風のクラプトン」でした。ストーンズ・ナンバーはアンコールの「Can't You Hear Me Knocking?」のみ。過去の栄光に頼らずやっていこうとするテイラーにとっては、そこが一番盛り上がったのは皮肉であり、これからも抱え続けるジレンマとなることでしょう。

 さあ、それから1年後、ついにストーンズの現役メンバーが来日する日がやって来ました。その人の名はロナルド・デイヴィッド・ウッド、芸名ロン・ウッド、通称ロニー・ウッド、あだ名がウッディ(しつこいな!)。
 ミック・テイラーの後がまとして、ロッド・スチュアート&ザ・フェイセズを抜けて1975年、ストーンズに加わったファンキー・ギタリストです。1986年に至っても、「お前はまだ10年しか経ってないからな」と他のメンバーから“新入り”扱いされていたとのこと(笑)。今でも「まだ23年しか経ってないくせに」とか言われているんでしょうか?
 画家としても活動をしており、プレスなんかに掲載される写真をデッサンして油彩やリトグラフに仕上げてという驚異的な方法論を採っています。ちょっとデッサンが狂っているのはご愛敬、結構味わい深い絵を描くのですが、値段が高いのが玉にきず。

 それはおいといて、ロニーは何とボ・ディドリーとのコンビで来日したのです。ボといえば、チャック・ベリー、リトル・リチャードと並ぶロックンロールの生き神様。自分で作ったという長方形のバカデカイギターをジャングル・ビートでかき鳴らす、クレイジーでファンキーなじいさんです。(97年にも来日を果たし、クラブチッタ川崎でもの凄くシブくてカッコいいライブをやりました。凄かったよ! 03年追記:02年にはブルーノート東京でもやりました。ギターシンセまで手を染めてました。大したジジイです)
 ストーンズも影響をかなり受けており、主にライブでかなりの曲をカバーしていたようです(Road RunnerとかDiddley Daddyとか)。言ってみれば、ビートたけしと水道橋博士が組んで漫才をやる……ちょっと(いや、かなり)違うか。

?????E?E?b?h???{?E?f?B?h???[???`?P?b?g
チケットです。
当時は消費税がありません。

 こんなライブを黙って見過ごせるでしょうか? 当然、私も行きましたよ。時は88年3月8日(10年前!)、所は芝の郵便貯金ホールです。まあ、凄いショウでした。ボ・ディドリー・ナンバーをはじめ、ストーンズ・ナンバー、ロニーのソロの歌、挙げ句の果てにはかつて在籍していたフェイセズのナンバーもバシバシ演る演る。曲の間にボとロニーのギター漫談(ギター弾きながらしゃべるんじゃないよ。ギターがしゃべるんだよ!)も楽しく、バックをつとめた若いバンド(ジム・サテン・バンド)もいい感じでした。

 何しろロニーは師匠格のボ・ディドリー大先生に対して、まったく気後れもせず、必要以上に立てたりもせず、かと言って「対等扱いしている」という印象もなく、ただ一緒に演るだけという、かなり不思議な状態でした。
 席はA席(っつったって一番グレードが低い席なんだよね)でしたが、何やらとても贅沢な時間を過ごした記憶があります。

 さて、私はこのコンサートにおいては、あまり感傷的になったり必要以上に固くなったりすることはなく、純粋に楽しむことができました。というのも、私もストーンズのメンバー同様、ロニーを“新入り”扱いしていたからです。もっとも、ロニーがストーンズに加入したのは私が小学3年生の時の話なのですが(笑)。
 実は、この後どころか同じ月に、そうも言ってられない人が来日してしまうのでした。私にとってほとんど“老師”とも言うべき人です。
 まあ、このページのタイトルに書いてあるんだから、もったいぶったところで意味はないんですけど、そう、ミック・ジャガーが来日するのです!

 時はちょっとさかのぼって、前年(87年)の終わり頃だったでしょうか。またしてもストーンズ・ファン(少数派だった……)の横のつながりが生きてきます。
 「ミックがソロで来日して、東京ドームで演るらしいよ」という噂が耳に入るようになりました。
 この頃、ミックは既に「She's The Boss」「Primitive Cool」という2枚のソロアルバムを出しており、賛否両論はあったものの、私としては結構気に入っていたのです。ミックのボーカルは当然としても、アルバムのメイン・ギタリストであるジェフ・ベックが、自分のアルバムよりも素晴らしいギターを弾きまくっており、かなりテンションの高いアルバムでした。しかも、恐らくミックもその時が初のソロ公演。最初は「ストーンズじゃないしなぁ……」などと言っていたものの、やはり老師の来日に手をこまねいているわけにもいかず、確実に行くための作戦を友人たちと立て始めました。

 正確な日付は忘れましたが、年が明けた頃でしたか。作戦を一緒に立てていた友人から夜の9時ごろに電話が入りました。「明日チケットが発売になるらしいぞ!」というのです。私はすぐさま他の友人に声をかけ、車を借りました。そして9時半には、当時住んでいた川崎市内から、私を含む並び要員3名が都内に向けて出発しました。
 車中での最初の話題は、「で、どこ行くの?」でした(笑)。世田谷通りをひた走るシビックの中で、出た結論は、「ウドーの事務所に行けば何とかなるだろう」でした。知っている方も多いとは思いますが、ウドーとは洋楽アーチストの“呼び屋”としては国内ナンバー1の「ウドー音楽事務所」のことで、その根拠は当時からさかのぼって2年前に行われた「ローリング・ストーンズ来日決起集会」(実は、これも行きました)の主催がウドーだった、ということです。
 青山通り(だったっけ?)沿いにあるウドーの事務所に着いたのは11時ごろだったと思います。既に何十人もの先客がいました。主にヘビメタ系の外タレのポスターがベタベタに貼ってある事務所のまわりで、先客たちと情報交換をしたところ、どうも翌日にはチケット発売ではなく、整理券の配布があるようだということでした。

?~?b?N?E?W???K?[????????
これがその整理券だ! 同行した2人の分だけで十分なチケットが買えたので、私の整理券は手元にあるのだ!

 ここでの会話は、ストーンズおたくならではの噂の宝庫でした。「前の方は芸能関係者がとっくに押さえてあるらしい」「海部首相(当時……だったかな?)が選挙での人気取りのために入国を許可したらしい」「サッチャー首相が親書を送って許可を求めたって聞いたんだけど」……などなど。
 私もとっておきの情報のつもりで「ギターはジョー・サトリアーニ、ドラムスはサイモン・フィリップス(2人とも、当時新進気鋭の凄腕セッション・ミュージシャン)らしいよ」と言ったのですが、半分以上の人達はすでに知っていたようです。
 さて、交代で路上駐車中の車を移動したり、コーヒーを買ってきたりしつつ、朝を待ちました。
 何時ごろかは覚えていないのですが、まだ暗いうちにウドーの社員らしきスーツ姿の人が何人かやって来ました。
 その辺に散らばっていた連中は、目の色を変えてその人に殺到します。 

 ここで後れを取っては一大事! 私ものろい脚で走りました。走りながらも、周囲の声が耳に入ります。どうやら、やはり整理券の配布のようです。
 幸いにも、各人1枚ずつの整理券を入手できました。長年あきらめることに慣れてきた我々ストーンズファンは、疑いにさいなまれ、学生の分際で社会人にタメ口をききつつウドーの人にたずねました。「あんた、本当にウドーの人?」「この整理券がないとチケット買えないの?」「チケットをヒトに売ると違法だとか、頼まれないでくれとか書いてあるけど、じゃあ何でコレ1枚でチケット10枚買えるの?」……今の私が聞いたら張り倒したくなるような質問です。
 今なら彼の気持ちもわかるのですが、「大丈夫ですから」と薄笑いしつつ相手にしてくれない彼に、我々は「本当だな。もしチケット買えなかったら、草の根分けても探し出してボコボコだからな」(笑)などと因縁をつけ、青山のロイホに飯を食いに行きました。関係ないけど、都心のファミレスって、何で駐車場が有料なんだろう?
 とにもかくにも部屋に帰り着き、既に届いていた新聞を見ると、終面近くのスペース(確か2段の半分程度)に、「本日、ミック・ジャガー来日公演の整理券を配布」の広告がありました。どうやら現実の話のようです。

 整理券の記述どおり、2月28日に新宿の野村ビルにでかけました。これまで読んでくれた方ならおわかりいただけるでしょうが、私にとって、ミック・ジャガーが来日するということは、“現実”として処理可能なことではありません。小田急線の中で、友人と「これ、本物かな? また直前に入国できないとかいうんじゃないだろうな?」というような話ばかりしていました。
 野村ビルの広場には、もうかなりの人間が来ていました。整理券の配布の時に話した奴とあいさつしたり、高校生の時の友人と再会し、ボーっとした奴だった彼が金髪・革ジャン・リーゼントになっているのを見て笑ったりという状況の中、やはり現実感はどうしても湧きません。

?~?b?N?E?W???K?[???`?P?b?g
現実なのが信じられなかったチケット。市内局番が3ケタなのが時代を感じさせ、泣かせる。

 そうこうしているうちに、順番がやってきて、チケットを手にしてみても、現実の確かな感触はやって来ませんでした。そんな状態のままロニーとボ・ディドリーの公演に行ったものの、その公演のすばらしさとミックの来日を実感することは別だったようで、すばらしい公演が終わっても、ミック来日とは真っ正面から見据えるにはあまりにも大きい出来事でした(ミックの飛び入りを期待してはいたのですが)。

 取れた席は、“SS”と言っても、2階席のようでした。まだ東京ドームができたばかりの頃ですから、私は行ったことがありません。が、外観から想像するにエライ遠くから見る羽目になりそうです。
 とにかく、有り金はたいて“ドーム用”双眼鏡を入手しました。ズーム付で月のクレーターまで見える奴です。実際、今日に至るまで20回くらい、ドームでお世話になりました。もっともドームの“本業”である野球では一度も行ってませんけど。

 来日まで、噂やら新聞報道やらで情報をチェックします。やはりギターはジョー・サトリアーニとのこと。ジェフ・ベックはあまりにもギャラが安いのに怒って、オファーを断ったという話も、読むか聞くかしました。
 数日前に来日しての記者会見なども報道されますが、前前日だったか、恐ろしいニュースが流れました。ミックが風邪をひいたというのです。何ということでしょう。何年も待った挙げ句、ようやく来てくれたというのに、風邪。ああ、ミックはドームのステージに立ってくれるのでしょうか。初日、3月22日はもうすぐです。
 で、ついに迎えた運命の3月23日、新聞にはミックのステージは予定どおり行われたが、やはり風邪のために声は出ず、出来としてはさんざんだったと書かれています。
 もうこうなったら腹をくくるしかありません。とにかく、来てくれるだけで十分なんだから、四の五の言わずに顔を拝みに行こう。そう決心して、少し早めに部屋を出て、水道橋へと向かいました。

 初めてドームの回転扉をくぐった時は、さすがに気圧の変化を感じたものです。それに加え、今、この会場にミック・ジャガーが来ているという事実は、だんだんと実感となって襲ってきました。とにかく、万全の準備をしなくちゃ。私は過敏性大腸炎のケがあるので、まずはウンコをしにいきました。真っ最中にクソがしたくなったんじゃ、泣くに泣けません。ドームの便所の個室は、ドアの下の隙間が大きく、落ち着いてできませんでした。
 とにかく、これで真っ最中の便意の確率はだいぶ減ったと落ち着いてきたので、喫煙所に向かいます。いやはや、色んな連中がいます。バリバリのロッケンローラー、キースのまねをしたくても似合っていない奴、私のようにベロマークのTシャツを来た奴、そして、オジサンやオバサンでした。今では私がそう思われているのでしょうが、オジサンとオバサンがかなりいたのには驚きました。
 私も6年くらいのファン歴がありましたが、きっと、この人たちも長年待ちに待ったのでしょう。どこか、“しみじみと喜んでいる様子”が伝わり、感動的でした。72年の来日中止の頃に若者だった人達が決着をつけに来ている、という感じです。

 席に着き、ステージを見ます。
 「……遠い」いや、本当に遠かった。友人たちを後目に、私はおもむろに双眼鏡を取り出しました。羨望の視線にほくそ笑みつつ、ステージにピントを合わせ、ズームを最大にすると、おお、見える見える。ステージ上のローディーがよーく見える。ステージの上の方にオーロラビジョンがあって、そこに画像が映るのはわかっていましたが、せっかくやって来たミックを目の前に、現物を見ないなんて意味がありません。フィルムコンサートだったら、もう行ったし。

 それにしても、待てど暮らせど始まりません。まさか、風邪で中止? そんな馬鹿な。もしそうなったら、プロレス会場で覚えた暴動を起こしちゃうよ。
 結局、7時開演のはずが、7:45ごろに客電が落ちました。は、始まる……。弾かれたように、席から立ち上がりました。

 1曲目は「Honky Tonk Women」。当たり前の話ですが、キースとは音が随分と違います。うまいだけならキースよりもうまいけど。それにしてもサイモン・フィリップスのドラムスは凄いな。あれだけパワフルに叩きつつ、同時に軽ーい感じでカウベルまで叩いてる。それにしてもイントロ長えな。……結構余裕たっぷりに構えていたところに、何やら叫びながらミックが突然出てきました。何やら軽薄な感じで踊っています。
 う、うわぁ、ミックだ! 本物のミック・ジャガーだ!
 突然、双眼鏡が見えなくなりました。何だよ! この大事な時に! 目から双眼鏡を外して見ると、何のことはない。双眼鏡と目の間にたまっていた涙が流れ出ました。興奮のあまり、自分が泣いていることにも気づかないという有様です。
 ミックの声も、一晩でずいぶん回復したようで、「まあ、ライブだしね」で済む程度の落ち具合といったところです。
 曲目は、ソロとストーンズ・ナンバーの折衷という感じでした。何しろ、ストーンズが来たことのない国ですから、ここ数年のツアーではやっていなかったような曲まで演ってくれました。最近では珍しくもありませんが、「Gimme Shelter」をやった時には狂喜乱舞! もっとも、うっかり間奏の間に客席に飛び込んだミックがもみくちゃにされ、間奏が5分くらい続くというハプニングもありましたが。

 唯一、不満だったのが音響でした。ドームでのコンサート自体が初めての試みだったので、やむを得ない面があるのですが、双眼鏡やスクリーンに映るミックの口が、聞こえてくる歌詞の少し先の歌詞を歌っているのです。エンディングでバンドがブレイクした様子が目に入った後、一瞬遅れて音が届くのです。
 まあ、音速と光速の違いで仕方がないのですが、時々、妙な現実感に襲われて、興奮が冷めるのを感じました。
 余談ですが、この翌年に新日本プロレスが初のドーム大会を開くのですが、第1試合からいきなりこのタイムラグに悩まされました。ボディスラムで投げつけてから、一瞬間をおいて「ドーン」という音が聞こえ、さらにしばらくしてから天井からの反響が「ドーン」。「1、2、3」のカウントも、試合終了のゴングも、一瞬遅れ。「ドームでプロレスなんか、やっぱり無理だったんだよ」と誰もが思いました。もっとも、第3試合あたりでリング下にマイクを入れるようになり、元々あちこちにスピーカーが設置してあったこともあり、違和感がなくなり、メインエベントで猪木が惨敗した頃には、タイムラグのことは誰もが忘れていました。
 余談その2。ミックの公演を故・美空ひばりさんが見に来ていて、自分のドーム公演ではこの音声タイムラグを見事に解消したという話を聞きました。合掌。

 さて、時間はアッという間に過ぎ去り、「バイバイ」とか何とか言ってミックが去っていった後、放心状態で座り込んでいました。あまりの素晴らしい出来事に、その後何かするような気力を失っていました。スクリーンには「ミック・ジャガー」と彫られたミックの印鑑が映っており、それを呆然と見つめていました。
曲目リストはこちら

 この時、それまでやっていたバンドは遊びでやっていこう、と決めました。仕事としてやるんなら、このミック・ジャガーを越えるつもりでなければ意味がありません。それだけの意識がなければ、自分がミックよりも遙かに下の存在であることを意識しながらやらなければなりません。ミック・ジャガーの破格のステージを見てしまった今。どの道、ミックとは別の分野の音楽なんか、できません。でも、同じ分野の音楽と言うことは、ミックやストーンズは競争相手ではありませんか。
 「十両になれたらいいなあ……」なんて意識で相撲に入った奴に、面白みがありますか? 私はそんな人間にはなりたくありませんでした。音楽をやる以上、一番になりたいと漠然と思っていました。「一番うまい」のはムリなので、「一番凄い」バンドになりたい、と思っていました。要するにオコチャマだったわけですが。
 まあ、潮時だったのでしょうか。とにかく、仕事をしないといけなくなります。その年の4月、スーツを買い、いわゆる就職活動を始めました。必要以上にストーンズばかり聴くのをやめ、色々なアーチストに触れました。完全に聞く側に回ることにしたのです。
 そして、翌年の春、ザ・フーの「Tommy」を扱った拙い卒論を置き土産に、大学を卒業、というわけです。

戻る 次へ

PowerBook日記どこでもドア奇譚