『村井長庵』と通称される『勧善懲悪覗機関(かんぜんちょうあくのぞきからくり)』は、
河竹黙阿弥の作品である。
河竹黙阿弥といえば、『白浪五人男』や
『天衣粉上野初花<河内山>、<直侍>』など
(白浪(盗賊)モノと七五調の名調子で、今でも人気の狂言をいくつも書いた人物。
と、いうことは、面白くないわけがないのである。
にも関わらず、この『村井長庵』、歌舞伎の舞台にとんとかからない。
私も随分と前から題名だけは知っていたのだが、
どういう話なのかは全く知らないというていたらく。
おいおい、どうして上演してくれないんだよ誰も。
と、思っていたところで糸操り人形の結城座が上演するってんで喜び勇んで三軒茶屋へ。
物語はいかにも黙阿弥で面白かったのだが、 舞台全体としてどうかというと、「歌舞伎で見たいぞ〜!文楽でもいいぞ〜!」という思いが 強烈に募るばかりだった。
人形芝居だと言うので文楽のような気持ちでいたのだが、
結城座の場合は糸操りで、
舞台上に人形遣が姿を見せ(黒衣を着ているが頭巾は被らず顔を出している)、
人形を動かす様子を見せつつ、その人形の台詞も言う。
そして、遣っている人形の背が低く、人間の膝丈くらいしかない。
いや、それは、文楽だって「出遣い」の場合は主遣いは黒の紋付に袴で顔を出しているし、
人形の声は舞台とは別に設置された(舞台上手横の)大夫が語るわけで、
動かす人間が見えていようと、声がどこから聞こえようと、それは邪魔にはならないはず。
だが、しかし。座長の結城孫三郎を除く全員の人形遣が、とにかく邪魔だった。
人形が小さいからこそ、動かしている人間は消えてほしいところなのだが、
すっとんきょうな声を出して人形遣が存在感を残してしまうことが多々。
糸操りの不自由さで歩く人形がペタペタ歩きなのは仕方ないとしても、
あまりに裾を乱した歩きっぷりには猛烈にがっかり。
嗚呼これが文楽だったら、太棹と大夫でガツンとかましてくれる箇所だろうに!とか、
これが歌舞伎だったら四天の立ち回りがあって、バッタリと見えが決まるハズなのに!とか、
とにかくとにかく、いちいち残念で、いちいち他の上演手法と比べてしまう。
唯一の生身の人間俳優として村井長庵に扮した串田和美は、
人形相手によくやっていたと思う。
何役も持ち替えて人形を使い分けた結城孫三郎の芸も天晴だった。
でもねー、歌舞伎『村井長庵』の上演を希望します!!