自称☆芝居道楽委員会

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花組芝居「怪談牡丹燈籠」

2008年9月4日(あうるすぽっと)

花組芝居の舞台は1997年に初めて観て、その後何度か観にいったのだが、2003年の『百鬼夜行抄』を最後に、 ふっつりと観にいかなくなっていた。 それは花組芝居の目指している方向性と、私が求めているものが食い違ってきたからである。 それを何故今になってまた花組芝居に足を運ぶことにしたかといえば、 あれから年月が流れて花組芝居の方向がまた変わったかもしれないという淡い期待があったからである。
とかなんとか言っちゃって、実は「ジャケ買い」みたいなものなのだ。 だってさ〜、チラシの絵をさ〜、岡田嘉夫が描いていてさ〜「会場で原画が見られるカモ?  岡田嘉夫の画集とか売ってたりして?」などと完全に違う方向で浮かれてしまったからなのだ。 …実際、会場ではチラシの原画を展示していたし、岡田嘉夫の歌舞伎シリーズ本や、 チラシの原画を使った絵葉書(10枚セットで千円)を売っていた。

嗚呼、そりゃあ私はほんの2ヶ月前に、白石加代子百物語シリーズ第24夜で、 現在考えうるほぼ完璧な『怪談牡丹燈籠』の1つを観てしまったと思うよ。 だからそれと比べれば、花組芝居が圧倒的に不利なのは仕方が無いとも思う。
でも、それでも、無残だった。私の望んでいる方向とあまりにもかけ離れた舞台が展開される事態に直面し、 私は客席で何度も天を仰ぎ、目を瞑り、肩を落とし、視線をさまよわせ、休憩時間を心待ちにした。 今年1月のファントマ『えん魔版曽根崎心中』を 思い出さずにはおれないガッカリな状態。
本当に、本当に、休憩時間があって、帰ってしまえて、良かった。ありがとう伎芸天。

私にとって、ダメだったのは、花組芝居の「笑わせてやろう」という 下心が見え見えの安っぽいやりくちである。

湯島天神で飯島平左衛門(水下きよし)に喧嘩をふっかけた男が、どれだけへべれけのゆるゆるでも構わない。 それを見ていた町人の中に学ランの受験生や牛がいても、構わない。
だが、それらは私にとっては笑いの要素ではなく「湯島天神つながりで受験生ね、 分かりやすいネタだな」と0.1秒思って、お終いである。 受験生や牛が登場する必然性(=物語へのからみ)が無く、単に「江戸時代の話なのに学ランの受験生がいる〜」 というだけの底の浅いお笑いネタは、 登場の瞬間に笑いを取れなければその後の商品価値がゼロであることは言うまでもない。

お露(大井靖彦)&お米(磯村智彦)が下駄を「から〜ん、ころ〜ん」と鳴らして歩くのではなく、 自らの口で「からーん」「ころーん」と言いながら歩くのは、構わない。 その声が嗄れて「のどぬーるすぷれー」をしても構わない。
だが、下駄の音を声で表している以上、声と足の動きを完全に一致させて欲しい。 口で勝手に「からんころん」言って、足は勝手にカラコロ歩いているのでは何をやっているのか意味が分からない。 「いやいや、から〜ん♪ころ〜ん♪って言っちゃうのが面白いでしょ。 それだけのことじゃん。笑おうよ」ということかもしれないが、私はそれでは笑えないのだ。

お国(八代進一)&源次郎(各務立基)がラジオ体操をしても、構わない。 でも、ラジオ体操をするなら真剣にやって欲しい。
公開の場であるラジオ体操、その逆手を取って密談をするのであるから、 ラジオ体操には真摯に取り組まなくては密談がバレてしまうではないか。 ラジオ体操をしながら途中で笑いを取る動作や中途半端な動きをするのは、納得いかない。 私はそういう辻褄を求めている。 「お国&源次郎がマジでラジオ体操するんじゃあ面白くないじゃん」ってなら、 ラジオ体操なんぞしなければ良いのだ。

御殿女中の定番は矢絣の着物だが、それをあえて矢絣のワンピース+白いエプロンで日本髪の女中達。 そのかっこうは「そう来たか!」で面白いと思う。
だが、そういうちょっと変わった格好をした女中達が、 現代っぽくフツーに動いてしまうのでは全く面白くない。 物語の時代設定も人物の所作も台詞も完璧に江戸なのに、 何故かワンピースというその1点のズレのほうが私には面白い。 ワンピースなのに着物のように狭い歩幅でちょこちょこ歩くって、面白いじゃん。

ようするに私は、舞台上の人物達はその人物なりに常に真剣であって欲しいのだ。 舞台上の人物が真剣にものごとに取り組んでいるけれど、その方向性がオカシイとか、 真剣な姿がそもそもオカシイとか、そういうのは面白がれる。
だが、わざと変な格好をして形だけで笑いを取るのは、どうもダメだ、愉快じゃない。

もう一つ気になったのは、化粧である。特に白塗りの色。 少し地肌がすけるような薄い白塗りは首と顔で白さが異なりまるで夜鷹のよう。 正直なところ、私の席から見ると不気味すぎて正視できない役者も何人かいた。
あるいはあの化粧は、もう少し後ろの席から見るといい具合なのかもしれない。 あるいはあの化粧は、ウケを狙った不気味メイクなのかもしれない。 だが私には、単なる内輪ウケの勘違いメイクだとしか思えなかった。
変な化粧といえば歌舞伎『阿古屋』の捕り手達がそうである。 彼らはわざと珍妙な、「へのへのもへじ」を地で行くメイクで登場する。 客席は彼らがどれだけ創意工夫あふれるヘンテコ化粧で登場するかをワクワクして待ち、 そのすばらしい落書きメイク「術」に大喜びで拍手をする。 また、へのへのもへじの彼らが猿のようにキーキー飛び跳ねる「芸」によって、客席は沸くのである。 私が求めているワクワクは、そういうものである。

お峰(加納幸和)&伴蔵(小林大介)夫婦がしっかりした芝居で笑いも取っていたのは評価できる。 水下演じる飯島平左衛門が、どんなに周囲がブレようとも自分の軸をはずさず、 筋を通した中で笑いに繋げていたのも、救いであった。
だが、もう私は花組芝居を観にいくことは無いだろう。私が舞台に求めている「物語」を、 花組芝居は見せてくれないのだから。

採点:★☆☆☆☆

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