なんてことだ。
つい1ヶ月ほど前にシェイクスピアの戯曲を読んだとき、
私はこの物語をちっとも良いとは思わなかった。それどころか、
「シチリア王リオンティーズって、妄想炸裂の挙句に自爆してるだけの
単なる大馬鹿じゃん!物語りもシェイクスピアお得意のご都合主義だし。
全体的にありえなさすぎ!」と、激怒した。
それなのに、この舞台を見ていて、
何度も心を大きく揺さぶられ、ほとんど泣きそうになってしまった。
いかに私に戯曲を読む力が無く、
いかに彼らに戯曲を素敵に上演する力があるか、ということを
見せつけられたわけだ。なんて嬉しいことだろう。
とにかく、レオンティーズ(谷田歩)が圧倒的。
妃ハーマイオニ(山賀晴代)とボヘミア王ポリクシニーズ(河内大和)が
不倫関係にあるとの妄想に取り憑かれた時の、
あの暴走する妄想と狂気へのスイッチの入り具合と、
妄想炸裂せずにはおれないほどの妃ハーマイオニへ愛。
周囲の言葉を受け付けず、怒りの焔を背負ったまま般若心経を唱える気迫。
そこから一転して神の裁きが下され、己の妄想が妄想であったことを知った時の、
その失ったものの大きさに呆然天を仰ぎ、魂の抜けた表情。
2幕後半でポリクシニーズと抱擁を交わす場面での、
駆け巡る16年の歳月。
本当に久しぶりに、シェイクスピアの登場人物に納得し、
なるほどこういう人物であるからこうなのだと全面的に受け入れ、
しかもその存在に役者に輝くものを観た。
うん、これは、リオンティーズが降臨していたね、間違いなく。
レオンティーズとハーマイオニの娘であるパーディタ(町屋美咲)を
浜辺で拾い育てた羊飼い(栗田芳宏/アンティゴナスとの2役)の洒脱が良い。
他の登場人物達が怒涛の台詞を繰り出す中で
羊飼いだけは台詞の重みを放れて軽やか。
たぶんそれは、羊飼い=貴族ではない=野卑、の構図から来た
階層による使用言語の違いも含めてのことなのだろう。
重たくなりがちの場面をふわりとさせる道化役も兼ねた
見事な脇役ぶりで、彼の動きから目が離せない。
ハーマイオニの像がすえられている台座が『土蜘蛛』が
住んでいる山のような作り物で、
パーディタの身元を明かす白い箱は「葛桶」。
背景のアルミ箔の一枚板(樹木が浮出たような凹凸がある)は松が描かれた「鏡板」を連想させ、
確かにもともとは「能楽堂シリーズ」であることをほのかに伝えている。
スキンヘッドの二人の王の衣装は僧の袈裟のよう、
女性の衣装は縦襟の貫頭衣で部分的に着物の柄やキリストの絵があしらわれ、
ポリクシニーズの息子フロリゼル(大山真絵子)の衣装は裃のよう、言霊の顔は白塗りに白頭巾。
どの場面をとっても絵になる衣装(時広真吾)であり、照明(大倉勝茂)であり、演出(栗田芳宏)であり、演技。
背景に映し出される英文字幕(シェイクスピアの書いたものの抜粋?)すら
絵になっている。
これまで「りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ」を見逃してきたことを 後悔せずにはおられず、次回公演も必ず観に行こうと決意を固めた。 実に嬉しい出会いだった。