狂言<空腕> そらうで
「臆病なくせに空腕たて(おおげさな腕自慢)をする太郎冠者(茂山千之丞)。 主人(茂山千五郎)から、夕暮れに郊外への使いを命じられてこわごわ出かけるが、棒や木を人と間違えて平身低頭。」パンフレットより
まずこの、千之丞演じる太郎冠者の一人芝居が良い。
元々狂言は舞台上に道具を設置せず、其処にソレが有るものとして演じることが多く、
また、独り語りの場面が多い芝居でもある。
自分の動作に伴う音を「ばったり」等と口に出してしまうのだしね。
いつもならば「おお、あそこに満開の桜が」と役者が言えば、そこに桜が在ることになるのだが、
今回の太郎冠者の場合は「あ、あそこに盗賊が!」と言っても、
そこにいるのは盗賊ではなく、杭が立ってあっただけだ、というオチがつく。この逆転具合が実に巧く効いている。
太郎冠者の狼狽ぶり、そしておそるおそる屋敷に戻り、主人に首尾を報告する時の
あくまで巧みな演説ぶりと大げさな腕自慢。千之丞の洒脱ぶりが実に気持ちいい。
うまいなぁ、千之丞。
主人千五郎は、太郎冠者が実は夜道で狼狽していたことを知りつつも
わざと太郎冠者の偽報告を感心した風に聞いてみせたうえで、止めをさす。
この巧みな裁きぶりと、千五郎のどちらかというと硬質な芸風が巧くかみ合って
何とも言えないおかしみ、ひねりの利いた面白味になっている。
イカスなぁ千五郎。
狂言<業平餅> なりひらもち
『業平餅』の物語はたぶんTVで観るなりして知っていたが、生の舞台で観るのは初めて。 かの有名な昔男・在原業平(茂山七五三)が主人公、ということに目を奪われており これまで物語そのものにあまり注目していなかったのだが、 実際に観て、これはかなり嫌な話だなと思った。
なんだよ在原業平。日本史上最強のマメ男としてそのマメ威力を遺憾なく発揮するのかと思いきや、
結局のところそのマメ男ぶりを発揮するか否かは、その対象である女の容姿いかんなのかよ。
けっ。
光源氏は末摘花の赤鼻を知って幻滅はしたけれど、でも後には彼女を大切に扱っているぞ。
在原業平たるもの、空腹を救った餅の恩を思えば、おかめに対してマメ男ぶりを発揮するのに、何故躊躇するのだ!
ここでマメ男ぶりを発揮してこそ、天晴れ天下の在原業平だろうに。がっかりだよ、業平。
「おかめ=(嫁にしたくない)ブス」という公式、どうも嫌なんだよね。
この『業平餅』にしても、歌舞伎や文楽にもなっている『釣女』にしても、
「おかめ」が登場すると男は泡を食って逃げ出すのだが、その不快感はどうにも拭えない。
その「おかめ」面が不細工ならば、まぁいたしかたあるまいと男に同情しないわけでもないのだが、
実際のところ「おかめ」は美人ではないにもせよ、かなり愛らしい表情をしているのだ。
そりゃあリアルに面相の崩れた(それこそ薬を飲んだ後のお岩様のような)面をつけたのでは、
あまりに直接的すぎるのだろうけれど、でもねぇ。なんだか、いやなんだよね。
結局、見た目なのよ。そーなのよ。ま、女だって、男を容姿で判断しているだろうし、
女だってモテるために姫カワワンピ(姫っぽい可愛いワンピース?)を着るわけだし。
見た目で損をしてしまったら、どんなに中身が良くても、中身を見てさえもらえないんだしね。
世の中をえぐってるよな、狂言。
まあ、別にこれは狂言にかぎったことではなくて
昔の絵巻物や草子本を見ていても、「おかめ=ブス」という公式で描かれた絵は多く見かける。
その中では、おかめが寂しくいじめられている場面もある。
だが、絵の場合はそこに私が自由に解釈を加えて、想像力たくましくおかめを愛することもでき、そこに救いがある。
ところが芝居(舞台)となると、おかめの扱いに対する想像力の余地がどうしても少なくなり、
そしてどうひねくれて解釈しようとも、おかめは露骨に嫌われているのだ。
嗚呼、おかめ!! 「おかめ=ブス」の公式が崩れないのは仕方が無いとしよう、だが、
それならばそこを逆手に取って、「タデ食う虫も好きずき」おかめ好きな男の話が1つくらいあっても罪にはならないだろうに。
狂言<月見座頭> つきみざとう
「下京の座頭(茂山千作)が野辺で虫の音を楽しんでいると、月見にきた上京の男(茂山千之丞)が声を掛け、 酒を酌み交わして意気投合する。やがて二人は機嫌よく別れるが、上京の男は別人のふりをして引き返し、 座頭に因縁をつけて突き倒す」パンフレットより
なんとも怖い話である。
月見、虫の音を楽しむ場面では、能楽堂内がまさに十五夜の野辺となり、
そこかしこで虫の鳴く声が聞こえるかのごとく。この場面を心底楽しそうに演じてみせるからこそ、
後の変心ぶりが鮮烈なのだ。
上京の男の豹変ぶりを違和感なく見せた千之丞の演技も素晴らしいのだが、
それを引き出した千作演じる下京の座頭の存在もこれまたお見事。
人間の明るい部分を暗い部分を否応なく照らし出し、
ぐさっと見せつけておいて、ストンと終幕になる。
狂言というとめでたく笑い納めて気持ちよく能楽堂をあとにする、というイメージが強いが、
この狂言に関しては、その物語の深さに思わず無言になってしまう。
私は、未見だが歌舞伎『宇都谷峠』の物語を思い出し、「うーん」とうなってしまった。
千作師は明らかに足が弱っているようで、舞台で座る場面でも膝から落ちるようにして座っており、
立ち上がる時には後見が腰を支えて立ち上がらせていた。
また、橋係りに登場した瞬間から放たれる「楽しいー!」オーラも、以前と比べると若干弱り気味のよう。
退場の時にはゼイゼイと荒い息をしているのが、橋掛り横の私の席まで聞こえてきて、なんだか切ない気持ちに。
千作翁で見たい狂言はまだまだたくさんある。公演数は少なくなってもかまわないので、少しでも長く舞台に立っていだたきたい。
千作・千之丞という芸質の異なる兄弟の、だからこそ広がる舞台表現を私は愛しているのだ。