シベリウス『交響曲第1番』
吉松隆『鳥たちの時代』
シベリウス『交響曲第7番』
シベリウスといえば『フィンランディア』。あまりにその刷り込みイメージが大きいため、シベリウスの名前を聞いても他の何かを思い出すことが困難な状態。そういえばピアノ曲を聴いたこともあるけれど、シベリウスの交響曲ってどんなのだっけ?
『交響曲第1番』と最後の交響曲である『第7番』が聴けるとあって、サントリーホールへ。
シベリウス聴きたさに出かけ、聴いている間もシベリウスに注目していたハズなのに、帰宅してみると頭に残っているのは吉松隆『鳥たちの時代』だけだった。あれれ?
大地を踏みしめて立ち上がるようなシベリウス『1番』、単一楽章の中に巨大空間を内包する『7番』。その両曲の間に吉村作曲の、まさに鳥のさえずりと自然の営みを再現させた『鳥たちの時代』が燦然と輝いていた。
『鳥たち…』は「SKY 空が鳥たちに与えるもの」「TREE 樹が鳥たちに語ること」「The SUN 太陽が鳥たちに贈るもの」の3つの楽章から成る。
どの楽章もが自然音をオーケストラで再現したようなふうで、管楽器のピロピロ音や、弦楽器の風が渡るようなうねりが印象的。今風に言えば「癒し」の音楽といったところだろうか。丁寧に再現されたサウンドスケープ(音風景とでも訳すのか?)に身を委ね、ほんわりとした気持ちで大きな世界を感じることのできる音楽。
なんでわざわざ自然音をオーケストラで再現する必要があるのだろう?と、曲が始まった当初は疑問がわき上がった。自然音に耳を傾けたいのなら、音楽ホールなどに籠もるのではなく、野山を歩いたり水に潜ったりして直接我が耳で拾い集めれば良いじゃないか、と。
だが、曲が進むうち、そんなことはどうでもよくなった。作曲家言うところの「アイデンティティの拠り所」だの「自然(調性)回帰」といった言葉も、どうでもいい。そんな言い訳を聞く必要すらない。何故なら、もうこの曲に答えが出ているのだから。
鳥だよ〜。鳥たちの世界なんだよ〜。ただただそれが、それだけのこと(しかしながら大きなこと)が明瞭に曲として表現され、提示される。何と気持ちの良いことだろう。