狂言<附子> ぶす
私が贔屓にしている狂言師に茂山千作がいる。千作爺は、彼が橋掛に登場しただけで場内が明るくなり、舞台の定位置につこうとする、ただそれだけのことで見所(客席)から「うふふ」と微笑みのさざ波が起きる。いかにも陽性、たぶん何もしゃべらなくても存在だけで狂言になっている、それが千作である。
さて、今回の出演者である山本家の面々は、茂山千作とは全く異なる芸風で狂言の世界を構築している。剛直で大まじめ、笑うことなど微塵も考えていないような、頑固親父風。その親父が、バカバカしい世界を真剣に繰り広げるのである。狂言の筋立ても面白いが、この役者の芸風も面白い。なるほどこれがキャラクターなのだ。
主人(山本則直)は砂糖の入った桶のことを「これは附子(ぶす)と言って、そちらから吹く風に当たっただけでも滅却するような猛毒である」と言い、桶に近づかないよう注意を促して外出する。留守をいいつかった太郎冠者(山本東次郎)と次郎冠者(山本則俊)はしかし、「附子」への好奇心から中身を見てみようとする…。
主人の台詞を信じ「うわーっっ!今、附子の方から風が吹いた!」と慌てて逃げる太郎冠者&次郎冠者。「桶のに風を送れば、附子の猛毒にあたって滅却することもあるまい」とそれぞれの扇子で猛烈にあおぎ、桶に近づこうとする太郎冠者&次郎冠者。
いちいち真面目にバカバカしい。
しかも東次郎と則俊の声が、実に朗々と低く響いて素晴らしいのだ。コーラスでいえばバス・バリトンといったところ。低くて渋い声のオジサンが、附子に向かって決死の覚悟で風を送る様子が、たまらん〜。山本家バリトン・リサイタルとか無いのかしら。←勘違い。
能<安宅> あたか
歌舞伎『勧進帳』は生の舞台とTV放送を含めて何度も見ているが(と言いつつ、レポートがあるのは1999年の浅草歌舞伎の数行のみ…)、その元ネタである能『安宅』を生の舞台で見るのはこれが初めて。
歌舞伎との大きな違いは山伏の人数。歌舞伎の場合弁慶以外の山伏は4人だが、能の場合は9人。それがあの狭い能舞台の上でギュウギュウとひしめき合うのだ。ザッツ漢(おとこ)の世界!ってなもんである。その漢代表・弁慶(梅若六郎)が、これまたがっしり・どっしりした体型&顔で、もの凄い迫力。「最期の勤めを」と弁慶を頂点に三角フォーメーションをとる山伏は、さながら「オッス!応援団」。細身の富樫(宝生閑)は思いっきり押されている。ま、能『安宅』はそういう話なんだが。
「旅の衣はすずかけの」「もとより勧進帳あらばこそ」「いかにこれなる強力とまれとこそとまれとこそ」「いかに弁慶」など聞き覚えのあるフレーズが登場して、そのたびに嬉しくなるのだ。そもそも『安宅』は直面(ひためん/面をつけず素顔で演じる)なので、声が聞き取りやすいのも嬉しい。
シテが面(おもて/お面のこと)をつけて謡うのって本当に聞き取れないんで…。
顔といえば、義経(小田切亮磨)に品があってしかも可愛いんだわ。子方は少年だけが出せるハイキーの一本調子で台詞を言うのだが、時折謡の節がつく箇所もある。が、その高音部で音程が苦しくなったり、台詞の息が持たなくなったりする。その懸命さが、義経のキャラクターとあうんだよねー。
そういえば、2006年ろうそく能『船弁慶』の時も、梅若六郎と小田切亮磨の組み合わせだったな。
強力(山本東次郎)と義経の従者(山本則直)が再び良い声を披露。大鼓(亀井忠雄)がお爺さんとは思えぬ良い声で、気持ちよく鼓を打っていた。
難をつければ、山伏達の顔が武士じゃないということ(今は山伏に身をやつしているが本来は義経の郎党だからね)。それぞれがそれなりに厳しい顔を作ってはいるが、武士には見えない。