お年玉<年始ご挨拶>
今回のご挨拶は片岡愛之助。
まずは舞台中央の緋毛氈に座って「にぎにぎしくお運び下さり…」と型どおりのご挨拶。その後「ここに座っていると緊張するので…」と立ち上がり、花道の七三あたりに移動して第2部の演目を簡単に紹介。その後さらに「皆様のお近くへ…」と1階席に降りて客席からの質問に答える。
関西在住の歌舞伎役者なので、言葉の端々に関西訛が見え隠れ。さて、この上方役者が『源氏店』でどんな江戸の男になってくれるのか、ちょっと意地悪く楽しみに思う。
<祇園祭礼信仰記/金閣寺>
ぎおんさいれいしんこうき
見終わって、どのへんが面白いのか分からないなぁと思った舞台だった。
一般的な見解としては、前半では此下東吉(勘太郎)の頓知解決、後半は雪姫(亀治郎)が満開の桜の中で木に縛り付けられて足で鼠を描く…ということなのだろう。だが、正直なところ見ていてさほど面白いとは思えなかった。
面白かったのは「布団の上の極楽責め、雪姫歌え、歌え」という松永大膳(獅童)の凄い台詞。でも実際はどういう責めなのだろう?「色よい返事を聞くまでは…」なんだから、致してしまうわけではないんだよね。雪姫を布団の上に乗せて、周りでウフンと囃し立てるのだろうか。うーむ、見てみたい。(文楽ではコノ場面を表現しているらしい。見たいぞ、文楽。)
それと、気になったのは、囲碁の勝負。あれってちゃんとした布石で打っているんだろうか?2階席から見た素人目には、適当に石を置いているようにしか思えなかったが。
…などと、どうでもいいことばかりが気になる。
まず前半、松永大膳と此下東吉が碁を打ちながら駄洒落?のやり取りがあるのだが、これがイカン。
声は客席まできちんと届いているし、言語は明瞭に聞き取れる。が、T下元首相ではないが「言語明瞭、意味不明瞭」。いったい獅童も勘太郎も意味をわかって台詞を口にしているのか、かなり疑問。碁を打ちながら故に「あるとも、あるとも、有馬山」と言って「山」を描くような演技は出来ないしそんな演技ができる場面でもない。だが、そうであればこそ言葉だけで観客に伝えなければならないのだ。やはりこれは現在の役者2人の現時点における技量の限界なのだろう。
なかでも獅童は、全ての場面において言語明瞭意味不明瞭で参った。見た目は立派な敵役(かたきやく/悪役のこと)、しゃくれた顎に映える青隈は堂々たる「国崩し」なのだが、一言台詞を言うとズッコケルほど何を言っているのか意味が聞き取れない。そうか台詞の下手な役者が言えば、これだけ台詞が聞き取れないものなのかとハタと膝を打ってしまった。歌舞伎っぽい芝居を器用にやってのけているだけに、そこここで散見される技量の拙さが足を引っ張っており勿体無い。
そういえば。何かの歴史本で読んだのだが、日本最初の大砲は「国崩し」と名づけられていたのだとか。と、いうことは、敵役(悪役)の中でも国を乗っ取るほどのスケールを持つ「国崩し」という役柄には、「大砲」の裏の意味も含まれているハズ。だから敵役は自慢の大砲で姫を…(以下自粛)。
亀治郎の雪姫は予想通りの出来。さして目新しい発見も無いままに終わってしまったのが残念。やはり「三姫(さんひめ/時代物歌舞伎のお姫様役の中で大役とされる3役)」のひとつだけあって、若手の中では実力派の亀治郎をもってしても、観客を唸らせるにはあと何段か階段を上らねばならないのだろう。
勘太郎の此下東吉は、時代物になっていて良い。
美男子系列の弟・七之助と違って、兄・勘太郎は「お前は昭和30年代に生きているのか?!」と思わせるような白いランニングシャツが似合う、見栄えとしては十人並みの役者。つまり、見た目で勝負できない(失礼!!)からこそ中身で勝負しており、それが確実に実を結んでいる。上手いんだな〜、芝居が。
残念ながら此下東吉ではまだまだ力不足の感が否めないのだが、時代物のいい役者になる可能性を大いに感じさせる舞台ではあった。今後に大いに期待。
そんな中で良い味を出していたのが、軍平実は佐藤正清(男女蔵)。男女蔵には豪快だけれどどこか実直で不器用な雰囲気があって、赤面の敵役(軍平は実は此下東吉の配下だったわけだが)の、ちょっととぼけた三枚目が似合う。もうひとつ化けると、この役者は面白くなると思うのだが。
<与話情浮名横櫛/木更津海岸見染の場、源氏店の場>
よわなさけ・うきなのよこぐし
見終わった第一の感想は、「まるで孝玉のミニチュアみたい!」だった。
与三郎(片岡愛之助)の横顔は仁左衛門(前の名前が孝夫)そっくりだし、声の調子も非常に似ている。対するお富(中村七之助)は、これまた玉三郎を彷彿とさせる場面が何度もあり、しかも声が時折福助(七之助の叔父)になる。昨年の浅草歌舞伎でも随分と「お父さんそっくり!」と感じたものだが、今回はまた新しいタイプのデジャブだ。
愛之助と七之助がミニ孝玉コンビの風情を見せ、観客が猛烈なデジャブーの嵐に襲われる中、蝙蝠安(亀鶴)が美味しいところをさらってゆく。
正直なところ、私はこれまで亀鶴に全く注目していなかった。それは私の不勉強も大いにあるのだが、歌舞伎座では何か人目を引くような大きな役をもらっていないせいもあるだろう。だが、今まで注目していなかった役者がぱっと目を引く芝居をしてくれる嬉しさというのも、また格別。
いやー、それにしてもこんなにイイ役者が何で今まで目に止まらなかったのだろう?
亀鶴の蝙蝠安は台詞が自分のものにしており、一つ一つの動きも段取りではなく芝居になっている。なにしろナンチャッテ孝玉コンビと一緒に芝居をしているのだから、蝙蝠安がちゃんと亀鶴のものになっている様子が際立って見える。
花道に戻って「両手を懐に入れてぐっと考えてみろ」の場面でも、ラブリン与三郎がうっかりすると関西訛になりそうなところを、亀鶴は何の心配もなくさらりと江戸弁。安っぽいチンピラぶりが、実に活き活きしていて見ていて気持ちが良い。一瞬ではあるが、菊五郎の世話狂言を見ているような、そんな気分にさえなった。おそるべし。そんな亀鶴の世話狂言の間合いの上手さは、同世代の中でも突出してるのでは?
亀鶴(昭和47年生)と同世代の役者には愛之助、獅童(共に昭和47年生)、染五郎(昭和48年生)、ちょっとだけ下の世代だと亀治郎、松緑(共に昭和50年生)らがいるが、次に人気が出るの亀鶴ですよ!←急に亀鶴贔屓。
和泉屋多左衛門は男女蔵。昨年の浅草歌舞伎でもそうであったが、この座組みだと男女蔵が「老け役」にまわってしまうのも仕方が無いのかもしれない。父・左団次と同じ路線とは言っても、まだ40歳(昭和42年生)の男女蔵に「老け役」とは、無理があって可愛そう。
多左衛門は他の年配俳優に振って、男女蔵にはもっと歳相応の役をやらせてあげたい。お富さんに白粉を塗ってもらって喜んでいるような番頭・藤八役の方が、実は男女蔵には似合うのでは?
鳶頭金五郎(獅童)は、鳶頭には見えないが元気の良い兄ちゃんにはなっていて辛うじて及第点。
小三山(先代中村勘三郎から中村屋に使える乳母のような役者)が、『見染め』でお富付きの女中だったのが嬉しい。
ああ、それから。木更津海岸の茶屋の女(役者不明)、ダメすぎ。台詞が全く聞えない上に、役者本人があの場にいることを戸惑ってオロオロしているように見え(よって演技になっていない)、茶屋女にしては頭が弱そうな感じなのもいただけない。しっかり!!