カフカの小説『審判』の舞台化である。
そうと狙ったわけではないが原作小説は今年の8月に読んでおり、物語の流れはまだ頭の中にきっちり残っている。よって「次にどうなる?」のドキドキ感は薄い。「そうそう、こーゆー場面になって、それであーゆー展開になって」と小説を復習しているような感覚。
それだけ舞台が小説に忠実であるということが出来るわけだが、しかし、舞台ならではの何かがあるわけでもない。強いてあげれば井出茂太が振付けた群集のダンスかな。確かにそれは面白い味付けになってはいたのだけれど、全体の演出(物語の解釈)からするとダンスが浮いているというか、ズレているというか。
私が一番気になったのは主人公ヨーゼフ・K(笠木誠)。何故、要所要所で皮肉な微笑を片頬に浮かべているかなぁ?
大銀行の業務主任というそれなりの地位にある男が、理由不明なまま逮捕される。裁判所に呼ばれるも、罪状すらハッキリしない状況で生殺し。裁判所に関係している有象無象に取り入って何とか事態を改善しようとするも、雲をつかむような状態。
不条理、だよね。今まで信じていた世界が通用しない、それどころか自分の世界がボロボロと崩れる。苛立ち・かんしゃくの爆発、自分が堕ちて行くような感覚、もがき・あがき、悲観と楽観の螺旋。それは悲劇であり恐怖なのでは?
その状態で何故、爬虫類的なニヤニヤ粘着ニヒルな微笑みを浮かべていられるのか、私には全く理解できない。追い詰められた状況にあっても「ふふん!この状況からも逆転できるんだゼ、俺は」と無根拠に不敵な笑みをたたえていられる理由が分からない。
解釈の違いと言ってしまえばそれまでだ。だが、ヨーゼフ・Kが皮肉な笑みをたたえている解釈をしたのであれば、その理由・根拠を観客に示してくれなくてはこちらには伝わらない。
ラスト、ヨーゼフ・Kは役人に両腕を取られてどこかへ連れてゆかれ、服を全て脱がされてナイフで刺される。パンツを剥ぎ取られる時も轟然としている(ついでに言えばムスコ♂も元気な)態度は、確かにニヒルな笑みをたたえた男のものではある。だが、でくの坊のように姿勢をあれこれされたうえ、ナイフで刺されて「イヌのようだ!」と声を上げる終幕の姿は、これまでの不敵なヨーゼフ・Kとはあまりに乖離している。この豹変をどう解釈すればよいのか、ちっとも分からない。
つまらなくはなかった。だが、「そうきたか!」「なるほどね!」という新しい発見は全く無く、小説のダイジェストを手軽に味わったというところ。
演出(松本修)は、あとひとひねりして舞台化した意味、付加価値を付けて欲しい。