自称☆芝居道楽委員会

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TPT「スペインの芝居」

2007年10月26日(ベニサン・ピット)

5人の俳優が『スペインの芝居』の稽古をしている、という設定。しかも劇中『スペインの芝居』における姉アウレリア(毬谷友子)と妹ヌレア(月船さらら)は女優。姉は『ブルガリアの芝居』という舞台でピアノ教師の役を演じ、その劇中劇中劇?もある。俳優が俳優役を演じてしかもその中で更に俳優になったり、俳優が俳優役として劇中『スペインの芝居』の演出家と対立する。

そういう入れ子状態になった物語なのだが、脚本(ヤスミナ・レザ)のせいか、演出(天願大介)のせいかは分からないが、入れ子の面白さはイマイチ無かった。
なにしろ劇中劇設定である『スペインの芝居』が「劇中劇」に見えないので、俳優が語る演出家や脚本家や批評家等へのアレコレも、あくまで物語の登場人物たち(例えば妹ヌレア)がふと本音を吐くという状況にしか見えない。
ことに、姉アウレリアの夫である数学教師(村上淳)の呑んだくれっぷりと、その数学教師役の俳優某(村上淳)の演出家への噛み付き具合が完全に被っていて、数学教師と数学教師役の俳優を2役として認識することができなかった。
芝居とは?俳優とは? という問いかけの芝居としては、この程度の入れ子である方が俳優の素を垣間見る感じがして良いのかもしれない。だが、劇中劇という設定を活かすならば、せめてあと1つ入れ子を作って客席を惑わせた方が面白いように思う。

とはいえ、舞台としては面白かった。 とにかく圧倒的なのが毬谷友子。アウレリアの苛立ち、俳優役としてのちょっとしたお澄まし、『ブルガリアの芝居』でのピアノ教師の葛藤とあきらめ、そしてラストのメンデルスゾーンのピアノ曲。なんというか、「毬谷友子」という新しいひとつのジャンルを確立したのではないかと思わせる、そんな存在感のある演技。
毬谷友子のことはこれまで『コーカサスの白墨の輪』『天保十二年のシェイクスピア』等で見ており、その度に何かある女優だなと感じていたが、今回のこの舞台でその印象が決定的になった。

毬谷アウレリアの妹で、やはり女優のヌレアを演じた月船さららは、ちょっとした拾い物。カンヌ映画祭のレッド・カーペットを歩いたこともある、成功した女優で、ルックスもいけてる。…という役どころを、すっきりガツンとやってくれた。
トップスターを目指すこと、そこに至る藪の道、中央でライトを浴びること、女が戦う世界のこわさ、そういうものを上手く匂わせていたのは宝塚歌劇出身だからなのかな。 (でも月船は宝塚ではトップにはなっていないが。)
私にもう少し『ワーニャ伯父さん』の知識があれば、ヌレアを演じる俳優某の台詞の意味が、あと少し深く理解できたはずなのにと、ちょっと心残り。

母ピラール(鰐淵晴子)と、その恋人の不動産管理人(中嶋しゅう)は、あんたらそれが素でしょ!ってほどに自然。母が姉妹の言葉に反応する間(ま)や、恋人が不動産管理人の苦労を語るのを聞く時の相槌の入れ方など、鰐淵ピラールって絶対に今「素」だよ!と思う。対する管理人中嶋も、あきれるほどに自然。あんた今、どさくさにまぎれて素で告白ったでしょ!とツッコミを入れたいくらい。
でも、あるいはこの2人があまりにも自然な演技を繰り広げてしまったために、入れ子が入れ子に見えなくなったのかも。

数学教師・村上は、呑んでない時ですらろれつが回っていないというか舌足らずというか滑舌が悪いというか。俳優某として演劇論に当り散らす場面が何度かあるのだが、その場面がことごとく聞き取れない。
嗚呼、彼の台詞がもう少し聞き取りやすい or 物語の入れ子構造がもう少し明確にしかも混乱していれば、この芝居には「星5つ」あげても良いのだが。惜しいな。

採点:★★★★☆

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