自称☆芝居道楽委員会

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ヴェニスの商人

2007年8月30日(天王洲銀河劇場)

遊蕩で財産を食いつぶした恋する男・バサーニオが、令嬢ポーシャに求婚するための支度金を、友人の商人(船主)・アントーニオに無心。しかしアントーニオがその時現金を持っていなかったため、アントーニオ名義でユダヤ人・シャイロックから金を借りた。…これが事件の始まり。
フツーに考えても、いくら自分の船荷の安全に自身があっても「返せなければ心臓に近い場所の肉1ポンド」なんてアホな契約を、友人(バサーニオ)のために取り交わすアントーニオってお人よし過ぎる。なんでそうまでして友人のために尽くすんだよ?ってことになる。その答えは「バサーニオとアントーニオはゲイカップル」だから。きゃ〜。

それを踏まえると、主要4人、つまり、シャイロック(市村正親)、バサーニオ(藤原竜也)、ポーシャ(寺島しのぶ)、アントーニオ(西岡徳馬)は、なるほどの配役。
無心する藤原バサーニオ(1982年生まれ)と、その力になろうとする西岡アントーニオ(1946年生まれ)の年齢差36歳。手の握り方から抱擁のしかた、交わす眼差し、口に上る言葉と、互いへの並々ならぬ愛情の示し方。ふふふ…この物語は、恋する若者がオホモダチのもとから巣立って、年上の金持ち女をGETする物語なのね。しかも、年長のオホモダチを捨てて女に走ろうとも、財産がゼロどころかマイナスだろうとも、藤原クンだったら全てが許されるという物語でもあるわけですよ。
いやはや、凄いですね。さすが、演出家(グレゴリー・ドーラン)がゲイだけのことはある。

でもね〜、決定的な問題として、日本語を理解しない外国人演出家が演出する場合、台詞の解釈とか、台詞の言い方とか、そ〜ゆ〜基本的なことは、ど〜ゆ〜ふ〜に対応しているんでしょうかね〜。
ええ、例えばグラシアーノ(小林正寛)ですよ。
藤原バサーニオの友人であり、ポーシャの侍女・ネリッサ(佐藤仁美)と結婚する男ね。わぁわぁとがなり散らしていて何を言っているのか9割聞き取れませんでしたが、あれは何なんですかね。裁判の場面でシャイロックを罵倒するのは主に小林グラシアーノなのだが、ここでも何を怒鳴っているのか全く聞き取れなかったのは、困ったことだ。もともとああいう声(発声)なのか、喉をからしたのか、風邪を引いたのか知らないが、誰か何か小林に言ってやって下さい。

ほぼ全員の役者が台詞を噛んだり言い間違えたりする中で、ただ一人よどみなく台詞をこなし、的確・達者に芝居をする市村正親、さすが。

福田恆存(訳)『ヴェニスの商人』新潮文庫 の、解説には「シェイクスピア当時の英国はユダヤ人をひどく排斥した時代であって、彼自身おそらくユダヤ人をろくに見たことがないのではないか(p.152)」「金を貸して利を得ることは、クリスト教の道徳からはもちろん、さらに遡って古代ギリシアの道徳観からも、自然にたいする罪として卑しむべき行為と考えられていた(p.153)」と書かれている。そして、訳者である福田恆存も、解説を書いている英文学者の中村保男も、「シャイロックはあくまで喜劇の中の悪役として演じるべきだ」との論を展開している。
けれども、ユダヤ人の大量虐殺を歴史的に経験してしまった現在においては、『ヴェニスの商人』を単純な勧善懲悪喜劇として観ることは不可能だろう。「そんな歴史的事実はおいといて、これはシェイクスピアの喜劇って枠の中で楽しもう。時代劇でお代官様と越後屋が常に悪役なのと同じで、これは形式、パターンなんだよ」と言われても、残念ながら私にはそうそうお気楽には受け止められない。
確かに私のような日本人には、そもそも近所にユダヤ人がいるわけでもないし、誰かがユダヤ人を迫害している現場とか、迫害されているユダヤ人とか、そういう対立の構図に対する実感は薄い。それでもユダヤ(シャイロック)=悪の構図を受け入れること、この芝居を喜劇と分類することには違和感がある。いや、違和感というよりも、喜劇としてしまってはいけないんじゃないか?という罪悪感に近い感情がある。
あまりに有名な「借金が返済できなければ肉1ポンド」の物語。そこに内包された宗教の違い・人種の違いによる憎悪の構図。私はロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによる来日公演で『ヴェニスの商人』を観たときにも、そのあまりに政治的な内容に脳みそが沸騰した。ドラマチックなどんでん返しと、裁判に負けて法廷を後にするシャイロックの背中のなんと雄弁なことか。

そして、『ヴェニスの商人』が悲劇に思えるからこそ、その後に続く物語が邪魔で仕方が無い。前後に差し挟まれる「箱選び」や「指輪」のエピソードなんか無くたっていいのに!
誰か、脚本をバッサリ切った『ヴェニスの商人』を上演してくれないかな。いっそ題名を『シャイロック』にして。で、徹底的にシャイロックをいじめる物語として、1時間半程度で描く。
ラストの「シャイロックの死後、遺産は娘の全額…」という場面で、シャイロックの娘・ジェシカ(京野ことみ)とロレンゾー(横田栄司)のカップルが狂喜乱舞。でも、ジェシカはそこで元・召使ランスロット(大川浩樹)と手に手を取ってて再び駆け落ち。全員が呆然とするところに、爆撃機の轟音と空襲警報が鳴る、とか。どうよ。
破滅的に救いが無いエンディング、万歳。

いっそ、舞台を近代〜現代の日本にして、シャイロックはコリアン。馬場(バサーニオ)や安藤(アントーニオ)ら日本人は、コリアン・キム(シャイロック)に対して放送禁止用語・差別用語を連発。裁判の場面では馬場や安藤が「儒教を捨てて、天皇万歳と言え!」「民族衣装を脱げ!ハングルを使うな」とコリアン・シャイロックに言う。…怖い。
こんな過激な演出をする勇気ある人はいないだろうし、そもそも上演しようとしてもどこかから圧力がかかってつぶされそうだし、出演する役者も命がけだ。
でも、フツーの演出の『ヴェニスの商人』を見だけでは、観客の気持ちは「ユダヤ人シャイロック可愛そう」で止まってしまう。今、『ヴェニスの商人』を上演する意味を明確にするには、過激に描かないと駄目だと思う。「シャイロック可愛そう、とか言ってるけど、あんた達だってシャイロックをいじめている側でしょ」ってことを見せ付けてやらないと、観客は自分がバサーニオやアントーニオ等のユダヤ人を唾棄する側に回る(回っている)可能性にまで思い至らな(至れない?)のだから。

採点:★★★☆☆

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