さて今回の舞台は、夜の開演が19時で終演が23時。私が自宅まで無事帰り着くには、与野本町23:26に乗らないとダメ、しかも劇場から駅まで競歩で10分、という過酷なタイムテーブル。それでもカーテンコールまでちゃんと見ようという気になれたのは、エレンディラ(美波)&エレンディラのおばあちゃん(瑳川哲朗)が素晴らしかったから。
舞台上に固定された大道具を置かず、大きく奥まで開け広げた舞台。その遥か後方からダスダスと歩いてくる群衆。砂漠の向こうから砂塵を上げた隊列が来て、そこに風が吹き抜けてゆく、その情景を一気に描き出す演出も、ほほぅ!蜷川幸雄、やるねぇ。
意識が朦朧として立ったまま寝ながらも、おばあちゃんの世話をするエレンディラ。おばあちゃんから背負わされた過酷な債務を引き受け、連日体を売るエレンディラ。おばあちゃんを担いだ輿に傘をさしかけながら、砂漠の道をダスダス歩くエレンディラ。娼婦達に袋叩きにされ、全裸で雑踏に放置されるエレンディラ。「私はおばあちゃんと一緒に行くしかない」と淡々と現実を受け入れるエレンディラ。おばあちゃんを熱湯で殺そうとしても、最後のところで踏みとどまってしまうエレンディラ。「あんたはまともに人一人殺せないのね」と冷たく低くつぶやくエレンディラ。金の延べ棒のついたドレスを抱えてひたすら走るエレンディラ。
心が抜け落ち、体が抜け殻になったような様子。正面を見据えた瞳はかすかな希望も見逃すまいとするが、体が眠りに落ちるとその瞳にも影が落ちる。
どの場面をとっても、エレンディラとはこうなのだろうと思わせ、エレンディラがここにいると思わせるだけの芝居だった。演技を超えて、美波という存在がエレンディラなのだと感じさせる。これは、凄いことだ。
正直言って、「芝居が上手い!!」とは思えない。でも、芸達者ではないからこその味わいがあり、役柄的にもその懸命さ・ひたむきさが活きていた。
観客は時折、「エレンディエラはなんでそんな過酷な状況を受け入れてるんだ?」と疑問が浮かぶ。だが、次の瞬間「でも、エレンディラにはそれしかないんだな」と、明確な理由はいえないにもかかわらず、その状況を納得してしまう。「だって、そうなんだもん」と。思考することを奪うほどに、そこには動かしようの無い現実がある。
砂漠があって、徒歩で町を移動して、ダチョウが歩いて、テントで体を売って、火がついて、連日男の列ができて、おばあちゃんは夢の中で物語を語り、毒薬は効かない。
それだけの説得力がエレンディラとおばあちゃんにはあった。何と見事なペア。
エレンディラを支配するおばあちゃんは、強烈なボンバー・ボディー(肉襦袢)の強烈キャラクター。高く結い上げたシルバーの髪、胸も二の腕もお腹もお尻太股もドーン!バーン!な見た目。そのインパクトに全く負けない、どころか逆に、この個性的な人物にはこの肉体美?しかありえないだろうとまで思わせるだけの豪快なおばあちゃん。
男性俳優が女性役を演じる不自然さ・特異性など全く感じさせない。何故なら、そこには、どうしようもなく女でしかないおばあちゃんが存在したから。
態度がデカく強引で我侭、でもそれは陰湿なものを全く含まない天性の女王気質。なんと気持ちが良いんだろう!
美波エレンディラと瑳川おばあちゃんの奮闘・好演の結果として、この舞台は成功している。
ま、不満もイロイロあるけどね。
語り男(品川徹)は舞台中央にいるときは台詞が通のに、下手の紙芝居横に行くと全く声が埋もれる。語り女(山本道子)は常に何を言っているのかまるで聞き取れない。群衆の中にはやたらと台詞が下手な役者が何人もいる。
繰り返されるメロディーが印象的なテーマ曲は、良いと思う。だが、ウリセスの歌はあまりに日本語の歌詞が乗りにくく、しかも歌いにくそうな曲の為、聴いていて疲れる。そもそも、マイケル・ナイマンの現代音楽系の曲で歌おうってのが間違っているのでは?
「エレンディラの物語は実は…」という種明かしのくだりは、逆に物語を分かりにくくしている。作家(國村隼)が岬の商館に行く場面は全面カットすべき。脚本家(坂手洋二)としては自分の解釈を見せたかったところなのだろうけれど、あれは明らかに蛇足。
ああ、それから。4時間座っているには会場の冷房が効きすぎで寒い。(私だけか?)
ウリセス(中川晃教)は、歌は上手いね。ミュージカルで人気が出たシンガーソングライターってだけのことはあり、伸びやかな歌声を聴かせてくれた。ただし、歌いだすと必ず顔がクシャッとなるのは、いかがなものかと。
芝居は・・・、う〜ん。
ぶっちゃけ、背が低いし、美男子とも思えないし、華は無いし、ロン毛の茶髪は熱いし、何故かいつもうつむきがちだし。ルックスで観客を引き込める役者ではない。それが、髪を掻き揚げたり車に飛び乗ったり、どことなくキザな仕草だけは妙に板についているんだから参っちゃう。でも、ま、「え〜」ではあっても、その「え〜」さ加減が、他の登場人物たちとの違いを際立たせる効果なのだとすれば、そういう演出(?)もありなのだろう…きっと、たぶん。(ファンの皆さん、すいません。)
蜷川幸雄演出は当たり外れが激しいけれど(そもそも年間10作近く演出しているワーカホリックぶりも凄いが)、今回は「当たり」の部類だと思う。私はちょっと『タンゴ・冬の終わりに』を思い出した。クジャク繋がりで。
ちなみに、今回のお気に入りはダチョウです。