自称☆芝居道楽委員会

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子供のためのシェイクスピアカンパニー
「夏の夜の夢」

2007年7月17日(東京グローブ座)

つい先月(6月)、新国立劇場でジョン・ケアード演出/村田邦夫×麻実れい『夏の夜の夢』が上演されたばかり。いくらスタンスが違うのだし比べてくれるなと言われても、比べざるをえない近接上演。どちらに軍配が上がったかと言えば、新国立版ですね。

子供のためのシェイクスピアカンパニーの公演自体、私は初めて。
チラシに「1995年から現在まで毎夏上演している。子供から大人までわかりやすいシェイクスピア劇のシリーズ。机と椅子などのシンプルな舞台装置と黒コートの集団。シェイクスピア似の人形や音楽代わりのクラップ(手拍子)は子供達にも大人気」と紹介されている、その黒コート集団を観たくて劇場へ。

『夏の夜の夢』は、2つの枠組みと4つの物語が絡み合って展開する。
枠組みの2つとは、人間世界と妖精世界。
4つの物語は人間世界の3つの物語と、妖精世界の1つの物語からなる。人間世界の1つがシーシュース侯爵とアマゾンの女王ヒポリタの結婚。2つ目が、侯爵の結婚式に芝居『ピラマスとシスビー』を上演しようとする職人達。3つ目に、ハーミア(キム・テイ)やライサンダー(戸谷昌弘)等4人の恋する若者達。そして4つ目は妖精世界で、妖精王オーベロン(福井貴一)と妖精女王ティターニア(山崎清介)。
これら4つが少しずつ重なり合って、妖精の世界と領主や恋人、職人達の人間世界が表裏になって物語が転がる、その展開の面白さこそが、『夏の夜の夢』の味だと思っている。
だが、今回の「子供のための…」では、物語をわかりやすくさせようとするあまり、各々の物語が独立しすぎてしまい、お互いの関係性が希薄になってしまった。
確かに、いたずら妖精パック(大内めぐみ)は妖精王オーベロン、恋人達、職人達の前に登場はする。だが、単なる共通の登場人物に終始してしまっている。バラバラの物語が関連性を持たないまま同時進行しているようにしか見えないため、何故これらが『夏の夜の夢』という1つの物語なのかが見えない。

たぶんこれは、すべての役者が2役をこなすことによる弊害だと思う。
通常の上演であれば、人間世界と妖精世界の表裏を表すのは2人の役者である。つまり、シーシュアス侯爵/妖精王オーベロン(福井貴一)と、アマゾンの女王ヒポリタ/妖精女王ティターニア(山崎清介)。
福井と山崎が人間(シーシュアス、ヒポリタ)の昼の世界と、妖精(オーベロン、ティターニア)の夜の世界の2つを演じ分けることで、世界の2面性が生まれる。そしてmidsummer day(夏至)の夜の森(=妖精の世界)に、恋人達と職人達(=人間)が入り込むことで騒動が起こるのだ。
だが、今回の上演は役者9人による言ってみれば少数精鋭。全員が2役(黒コートの黒衣を含めれば3役)をこなす。勿論、役毎の性格付けがきちんとなされているので、人物の混乱は無い。しかし、物語の枠組みが崩壊しているのではしょうがない。
冒頭、黒コートに黄色い安全帽の作業員達(=職人達)が、劇場の土台(だっけ?)を作る場面があったが、実際の舞台そのものは土台が無いままで上演されているように見えてしまったのは皮肉である。

物語を面白く見せようという工夫はイロイロあった。 ま、あの長身の山崎清介(この人『やってきたゴドー』のゴドーさん!)が、ヒポリタ/ティターニアってだけで笑える面もあるし。
冗漫な台詞は大幅にカットし、(小田島雄志の訳を利用してはいるが)台詞そのものを分かりやすく現在の言葉に近づけている。
職人クインス(佐藤誓)が幕開き直ぐに、本来は終幕でパックが語る「我ら役者は影法師…」を読み上げたり。妖精の女王ティターニアが抱えている子供が「カレーの王子様」だったり。驢馬男ボトム(山口雅義)が『千の風になって』を熱唱(ただし、クチパクらしい)したり。ディミートリアス(土屋良太)に片想いのヘレナ(伊沢麿紀)が、やたらと自己採点厳しく拗ねて僻んで腐った挙げ句タバコ吸ったり。
その場、その場では「こうきたか〜」「こう笑わせるのか〜」と面白がれた。だが、終わって劇場を出てみると、『夏の夜の夢』を観たという充実感が無い。シェイクスピアに馴染むキッカケとしては、これで良いのかもしれないが、それ以上ではないな、と。
上手く演出(山崎清介)の工夫をしていると感じられるだけに、残念だった。

採点:★★★☆☆

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