自称☆芝居道楽委員会

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「国盗人」
── W.シェイクスピア『リチャード三世』より ──

2007年6月26日(世田谷パブリックシアター)

野村萬斎演出・主演によりシェイクスピア作品を狂言の手法で描く第3弾は『リチャード3世』。私は江守徹市村正親のリチャード3世を観ているのだが、いったい野村萬斎のリチャードはどんなものなのだろうかと興味が沸く。
しかし、気になるのは萬斎の台詞術。蜷川幸雄演出・麻実れい×野村萬斎の『オイディプス王』では、萬斎の癖のある喋り方がどうも耳について不快だった。あの時の据わりの悪さがどうも引っかかって、なかなかチケットを買う踏ん切りがつかなかい。とはいえ、前回の狂言シェイクスピア『まちがいの狂言』が面白かったことと、野村萬斎・白石加代子・今井朋彦が同じ舞台に立つとどうなるのかが知りたくてチケットを購入した。

舞台は面白く仕上がってはいたが、悪三郎(=リチャード3世/野村萬斎)そのものの人物の軽さが気にかかった。
まず、「こんな体に生まれついたなら、悪に徹して王位簒奪にひた走ろう」と決意する箇所が、薄い。悪三郎はこの台詞を舞台(荒れ果てた能舞台)の階(きざはし)に座って、1階席を見渡すようにして云うのだが…。これね、1階の観客には効果的かもしれないけれど、2階3階の観客には表情がほとんど見えず逆効果。台詞量はあるのだが、言葉が流れてしまっている。
そして最初の決意がサラサラと流れてしまっているので、その後の本音と建て前、表と裏をあくどく使い分けた悪辣な立ち回りも、単なるゲームにしか見えない。狂言風の台詞回し&発声と、現代劇っぽい台詞回し&発声をコロコロと操る巧みさも、かえって仇になっているような。
悪三郎の物語としてはよく整理された内容だと思うが、『国盗人』という舞台全体として観ると物足りなさがある。悪三郎のどのへんが悪者なのか、ちっとも分からないんで。(今までのリチャード3世でも分からなかったけれど。)

ついでに云えば、悪三郎歌謡ショウでは悪三郎とコーラスが壊滅的。
悪三郎は何を歌っているのか歌詞が聞き取れない。「一人殺せば殺人犯だが、十人殺せば英雄で、国を盗めば王様♪」というようなことを歌っていたハズなのだが、聞こえないのではどうしようもない。この悪三郎に合わせるコーラスは、カラオケ発声あり、声楽発声あり、地声あり、芝居発声ありと、めちゃめちゃ。統一感が欠落しているので聞き苦しい。
歌えないなら、聴かせることができないなら、歌わないで欲しい。

今回一番の出来はやはり久秀(=悪三郎の腹心/石田幸雄)だろう。狂言と一般演劇の中間点に立って、しかも中途半端さが全くない芝居を見せる。キャラクターが明快だし、萬斎との息のあった芝居も面白い。さすが、萬斎組、呼吸を掴んでいますな。
演出上気になるのは、「市民が帰ろうとしません」と悪三郎に報告する場面。何度も何度も舞台手前の階(ここから市民=観客に語りかける)と悪三郎の待つ舞台奥を行き来するのが、いい加減しつこい。

同じく萬斎組ながら、どうにもいただけないのが太郎冠者(月崎晴夫)。最後まで悪三郎に付き従う人物なのだが、己を殺しすぎていて人物が全く浮き立たない。あえてそういう演出なのだとしても、その演出意図が不明。
狂言にもなりきれず、さりとてストレートプレイでもなく、狂言のような動きをしているわりには、腰が定まっていないのも気になる。

今井朋彦は、善二郎(=白薔薇家の次男)、右大臣(=白薔薇家の家臣で、理智門の義父)、理智門(=赤薔薇家の血筋)の3役。
3役ともにすらりとした善き人で、ことに善二郎が純粋培養イイ人。これに対して、右大臣と理智門は実にさりげない演技ながら、微笑みの仮面の下に薔薇戦争を生き抜く巧みな嗅覚を持つ人物となっていたのはさすが。悪三郎vs理智門の戦場での鼓舞演説場面は、悪三郎のゴテゲテした台詞に対して、リッチ門の爽やかな台詞が実に心地よい。
今井朋彦の芝居は、2005年『ブラウニング・バージョン』、2006年『カエル』、2007年『コペンハーゲン』と、このところ何作か観てきている。誰と共演してもスタンスを崩さず、しかも上手く噛み合わせる演技が出来る役者だねぇ。

白塗り気味の左大臣(=白薔薇王・一郎の忠臣/大森博史)は、駄洒落愛嬌キャラ。説明事項の多い1幕目をノリとテンポで見せた立役者は左大臣だと思う。2幕目で右大臣からイチゴとイノシシの夢を聞き、それが正夢となる場面の何とも言えない間合いに、白塗りが活きる。

さてまぁ、なんといっても大活躍なのが白石加代子。王妃政子(=故・赤薔薇王の妃)、杏(=赤薔薇王子の王妃→悪三郎の妻)、王妃(=白薔薇王・一郎の妃)、皇太后(=悪三郎らの母)の4役+冒頭と終幕の白いワンピースの女。
白石加代子っていつも怪演なのよね。彼女のそういう演技に支えられている面は大きいわけだけれど、観ている側としてはもっと別の使い方もできるのでは?という期待というか欲もあるわけで。
それに、白石加代子だけで世界が出来てしまうから(例えば『百物語』みたいに)、他の役者と組み合わせると白石が浮くんだな。まぁその異質感が持ち味でもあるわけだけれど。

勿体ないと云えば、「水と油」のじゅんじゅん&すがぽんを起用しているのに、扱いが何となく中途半端なのが気になる。影法師(じゅんじゅん)はそれでもまだ身体能力を活かした配役だが、悪三郎一党のの者(すがぽん)は個性が全く活きていないのが残念でならない。

さて、主要な役者はそんなふうなのだが、その他大勢には目を覆うしかない。
瞬間芸で笑いを取ることはできても、基本的な体の動かし方や台詞の発声ができない。たぶんあの役者達も、一般演劇でその他大勢を演じるなら、これ程の違和感・稚拙さを披露することは無かったのだろう。だが、これは、「狂言風の」シェイクスピア。狂言の素養がない、ぺぇぺぇの役者が、狂言をお家芸とする役者と共演することの限界があからさまになった不幸なパターンと言えるだろう。

コシノジュンコの衣装は、中国・唐代のような、韓国・李朝のような、日本の鎌倉〜室町をのような感じ。アジア無国籍衣装は蜷川演出でもよく見かけるが、それに比べると好印象。
ただし、白石加代子演じる王妃政子の、あの髪飾りだけはいかがなものかと。あの鎖が垂れ下がったような簪が、中国皇帝の簾タイプ王冠を模したものなのはわかる。しかし、垂れ下がりがまばらすぎることでかえって簾が邪魔くさく見える。ことに2階席から見下ろすと、簾が張り出す軒の腕ばかりが見えてしまい、へんてこな触覚のようで全く美しくない。
杏の太巻き鬘や、王妃の黒と銀のリボンは2階から見下ろすとなかなか印象的で良いんだけどね。

田中傳左衛門社中?のお囃子はさすがに迫力あり。傳左衛門の出演は7月5日と8日だけなのかー。ちーっ、知っていればその日に見に行ったのに。むむむ。

採点:★★★☆☆

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