自称☆芝居道楽委員会

2007年前半 <<芝居道楽録 <<HOME

木山事務所「やってきたゴドー」

2007年3月28日(俳優座劇場)

サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』と言えば、不条理演劇の代名詞的存在。1953年パリでの初演以来、世界各地で上演されており、多くの演劇関係者に影響を与えている、らしい。
初演から52年。とうとう、ゴドーがやって来た。六本木の俳優座劇場には、初演以来ゴドーを待ち続けていたとおぼしき方々、業界関係者、元演劇青年、単なる野次馬観客を含め、現れるゴドーに興味津々の、若干年齢層高めの面々が集まった。
たぶん、演劇やっている人間の多くが「ゴドーが来るっての、どうよ」とネタを考えたことだろう。でも、いままでゴドーはやってこなかった。それが、別役実の脚本によって、「とうとう」来た、のである。これは事件でしょ。
不思議な緩さと緊張感の中幕が開き、ゴドー(山崎清介)はあっさりやって来た。
「どうも、ゴドーです」

えーっっ。フツーじゃん。
いくら惰性で待っているとはいえ、それだけ待たれる存在なのだから、神々しいとか、勇ましいとか、この世の者ではないとか、何かこぅ…特別っぽいのかと思っていたけれど。とっても普通。ゴッド(神)ではなくて、平凡な一般人のゴドーさん。後藤さんとか、五郎さんとか、牛蒡さん?とか。
「ゴドーです」って言われなかったらゴドーとは分からない(って、や、そりゃあ誰だって名乗ってくれなくては分からないけれども)、ゴドーは彼じゃなくても大丈夫、みたいな。うん、えっと、若干スナフキン?旅人っぽくて、コートを羽織っていて。スーツケースにこうもり傘だけど。

原作に登場する人物は勿論、元気に登場する。
ゴドーを待っているウラジーミル(内田龍磨)とエストラゴン(林次樹)、縄をつけられたラッキー(三谷昇)、主人のポゾー(内田稔)、ゴドーの使いの少年(女部田裕子)。ウラジミールとエストラゴンは相変わらず(というか惰性で)ゴドーを待っているし、ラッキーはやっぱり荷物を持っているし、ポゾーは鶏肉をかじっているし、少年は伝言をする。
特筆すべきは三谷ラッキー。主人であるポゾーが、車いす、果ては点滴をしての登場と老いてゆけば行くほどにラッキーは元気になる。決して主人ポゾーをいたぶるわけでも、あざ笑うわけでもなく、相変わらず主人に忠実に仕えているのだが、主人の支配力が弱まったことで身軽になり口数も多くなる。そしてたぶん登場人物の中で一番自分の頭で考え、フットワーク軽く活動しており、世界ときちんと繋がっているラッキーは、要所要所でしっかりと場をさらい、まとめ上げる。あっぱれ。

原作を知っていれば「あ!あの場面」に出会うし、知らなくても素直に面白いと思う。噛み合っているのかいないのか、すれ違っているのか分かり合っているのか、でもやっぱり全てがなぁなぁでなんとなく成立しているような、ってゆ〜か、成立していないから不条理なんだろ!みたいな。

このほか、今作の新しい登場人物は4人。バスを待ちつつ編み物をする女(楠侑子)、妹の赤ん坊の父親を探す女(千葉綾乃)、派遣の受付女性(橋本千佳子、木村万里)。どうやら、赤ん坊はウラジーミル(の子であり、編み物をする女はエストラゴンの母であるらしい。

原作の5人と、追加の4人と、主役のゴドー。全員が待っていたり、訪ねてきたり、出会ったり、名乗りあったりする。にもかかわらず、何も変化しない。
この、すれ違い。薄ら寒いくらい伝わらない言葉。
「ゴドーを待っている」と言いつつ、そもそも最初から待ってなどいなくて、でも「待つ」という言葉は口癖・惰性になっゆく。でも「誰ものことも待っていない」とか「誰も自分を訪ねてこない」とは今さら言えないし、見得でゴドーを待ち続けるふりをしつつ、既に待つことに意味を見いだしてすらいない。
そこにゴドーが現れても、それを「自分が待っていたゴドー」とは認識しない。「あ、新しい人」くらいののり。「あ、ゴドーさんね。以上」って。ゴドーが来てしまったら困るのだ、だって、明日からゴドーを待つことが出来なくなってしまうから。それに、そもそもゴドーのことは待っていないのだし。
あるいは、存在しない人を待ち続けている自分を知っているから、現れたゴドーは己が待っていたゴドーではない、のだろうか。

極端なまでに他人の言葉を理解できない人達。
自分と同じ言葉で喋ってくれないと、相手の言っていることを理解できない。この場合の「言葉」というのは「日本語」とか「秋田弁」とか、そういうことではなくて、自分と同じ心理レベルで自分と同じ波長で喋るということ。
ある種、世代間格差を観ているような気分。1つの言葉の持つ緩やかさや幅広さが、怖いほどに拡散して転意して相互理解が進まない。
それは、やっと、やっと、やってきたゴドーですら、ごく普通のまっとうな人とおぼしきゴドーですら、ウラジーミル&エストラゴンとは会話が成立しないのだ。

演出(末木利文)が一寸もったりしており、もう少しテンポを挙げた方が展開が気持ちよくドタバタすると思う。が、ジワジワとしたもどかしさを感じるには、あるいはこのベッタリテンポが良いのかもしれない。
電柱と、バス停と、椅子。そしてホリゾントには分かりやすい空。その「いかにも」で「わかりやすい」美術(石井みつる)と照明(森脇清治)だけに、人間が浮き上がる。 これは、もしかしてホラーなのだろうか。

採点:★★★☆☆

2007年前半 <<芝居道楽録 <<HOME