自称☆芝居道楽委員会

2006年後半 <<芝居道楽録 <<HOME

緒形拳ひとり舞台「白野」

2006年10月16日(シアターコクーン内特設小劇場・theater PUPA)

故・島田正吾の舞台で知られる『白野』は、エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』を、日本を舞台に置き換えた作品である。その作品を、新国劇の島田の弟子である緒方拳が演じる。演出は鈴木勝秀。 私は島田の『白野』は見ていないので、どのように芸が継承されてゆくのかを正確に見極めることは出来ない。だが、古風な作品が演じ次がれてゆく面白さを味わいたくて劇場へ足を運ぶ。

会場は『ゴドーを待ちながら』と同じ、シアターコクーン内特設小劇場「シアター・ピューパ」。劇場にはいつものエントランスではなく、道路に面しているスタッフ用入り口から入る。通常は舞台になっている場所に舞台と客席があって、舞台の広さは十畳程度、客席は舞台を◇に見るようにひな壇が設置される。250席くらいかな。

舞台脇でウォルター・ロバーツがチェロの生演奏をする。幕間にあたる箇所で音楽を奏でる趣向で、このチェロの音がなんとも哀愁たっぷり。
ところが、このチェロが打楽器に変わる箇所がある。チェロの胴(瓢箪形の部分)を手で叩いて太鼓のように音を出すのだ。うはー。そりゃあ、さあ、現の音を響かせるために胴があるわけで、それを叩けばいい音が出るのは知っているし、ジャズでベース(コントラバス)の胴を叩くのは見たことがあるけど。あはは、そう来たか。しかもこのチェロの連打音が緒方シラノとの対話になっていて、ちょと面白い。

ひとり舞台なので、登場する役者は緒方拳1人だけ。茶色系統の着物に袴、腰には杖のような木刀、足には焦げ茶色のブーツ。
その緒方が、基本的には白野弁十郎として芝居をするのだが、場面によっては千種、来須生馬に入れ替わって演じてみせる。極端に声色を使うのではなく、顔を右に向けたら白野、左に向けたら千種というような落語の手法でさらさらと流す。このへんは無理やわざとらしさが無くて良い感じ。

ふわふわとして柔らかい口調。激しく詰問している時も、千種への愛の言葉があふれ出ている時も、どこかにこぼれ落ちるような愛嬌がある。
来須が千種宅の窓の下に立ち、白野に教えられるままに愛の言葉を千種に語りかける(だけどたどたどしい)場面、そこから白野が来須と入れ替わり、来須のふりをして来須のかわりに千種への愛の言葉を紡ぐ場面は絶品。恋に浮かれる青年達の愛らしさ滑稽さ道化っぷりが大爆発。

確かに見た目で云えば、緒方は“青年”白野には見えない。だが、こんなふうに男のロマンを全面に出されては、「やっぱ、男って永遠に少年なのかしらん?」と緒方の術中に填ってしまう。
ラスト、「それがおとこの、こころいきー」と拳を振り上げつつもはにかむように言われては、恐れ入りましたと平伏するしかない。

冷静に見れば、千種は結局のところ、青年がささやく愛の言葉にうっとりしていたのであって、来須青年そのものの有り様を愛していたのではない。白野に対しても「もしかしてあの言葉を語ったのは白野では?」と思いつつも、そして白野を前に話をしていても、その白野の中身を見ていないから彼があの愛の言葉を紡ぎ得るのかどうか分かっていない。
言葉だけを愛した千種も愚かだが、そんな女のために純情を捧げた白野と来須も愚かだ。 でもね、それをアホらしくて見るに値しないなどとは思わない。愚かしさと愛らしさは紙一重だね。

採点:★★★★☆

2006年後半 <<芝居道楽録 <<HOME