お楽しみは2点。まず、永井愛が樋口一葉を描くとどうなるのか?ということ。井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』との違いが気になるところ。そしてもう1つが、寺島しのぶ。力のある女優だと言うことは知っているが、さて、どういう樋口一葉を作り上げてくれるのか?という楽しみ。
物語としては、うーん、前半がだれる。テンポは悪くないし、随所に散りばめられた笑いが面白くはあるのが、何となくしまりがない。何処に転がしたいのかよく分からない日常が、だらだらと垂れ流されているような印象。
登場人物は明確な性格付けと共に描かれていて、樋口一葉(寺島しのぶ)との対比も面白い。
一葉をライバルと見る同じ門下の女性・田辺龍子(石村実伽)のツンツンした様子、裕福な立場から一葉を気遣うイナツ(粟田麗)の可愛い健気、噂を吹き込むかしまし女野々宮菊子(江口敦子)のおばちゃんっぷり。勿論、妹くに(小山萌子)の献身や、母たき(八木昌子)の武士の意地も見えている。それなのに、なんとなく全体像がぼける。
一葉と半井桃水(筒井道隆)の恋愛模様も、ほのぼのと面白く描かれている。
桃水「帰らないで下さい」
一葉「引き留めて下さいますな」
桃水「あと30分、あと20分、15分でいいから」
一葉「・・・それ、ダメ!」
何度か登場するこのやりとりも、それが後々の一葉の文学の糧となる伏線になっており、面白くも哀しくいとおしい。キャラクターはそれぞれに活きているし、その場その場では笑いも起きていて面白いのに、それなのに、前半はどうにもだるい。何故だ?
強いて言えば、一葉をとりまく女性陣が弱いのか?いや、だが、相手が弱い故に寺島一葉の力が出せていない、という訳ではないし、寺島一葉が圧倒的故に周囲から浮いている、というわけでもない。
寺島は「受け」役を「受け」としてきちんとこなし、空回りすることなく、頭痛・肩こり・近視・戸主の生真面目なせっぱ詰まりっぷりを丁寧に演じている。寺島が1人舞台にいる時はピリッとしているのに、女達や男達が寺島一葉を囲み出すとなんだか舞台にしまりがなくなるのだ。うーむ、困った。
面白くなってくるのは後半、一葉が小説を書くことに専念しだし、一葉を崇拝する文学青年・一高在学中に「文学界」の同人となった平田禿木(中上雅巳)、自由民権運動の第一人者である馬場辰緒の弟・馬場胡蝶(杉山英之)が登場するあたりから。小説家・川上眉山(細貝弘二)と毒舌批評家・斎藤緑雨(向井孝成)が加わって物語は急激に加速する。
但し、明治時代文学史の知識が欠落している私には、観劇中は眉山?胡蝶?禿木?で誰が誰やらさっぱり訳が分からなかったのだ。嗚呼…。
盛り上がりはやはり、批評家・緑雨と小説家・一葉の対決シーンだろう。
緑雨は、一葉が描こうとする世界、見ている世界、描く先を暴こうとする。「女なのに」とか「女だから」という視点からではなく「小説家としてどうなのか」という視点で批評しようとする。緑雨のその意地悪なようでいて実は色眼鏡無しの眼差しが、一葉にとっては「百年来の知己」のようにありがたく、また清々しいのだろう。だからこそ一葉は、緑雨に対しては「何とでも批評すればいい。私は書くだけだ。かかってらっしゃい、受けて立とう」という姿勢を見せ、それまでの受け身から攻めに回るのだ。
もう一度、樋口一葉を読み直してみよう。そして、機会が有れば緑雨の一葉批評も読んでみたいと思う。
終演後、ロビーに掲示されていたBGM曲一覧に目が釘付け。ピアノ協奏曲や弦楽四重奏?などオール・ベートーヴェン・BGMだとは気づいていたが、音源が凄い。ミッシャー・マイスキー(チェロ)、ルーヴィンシュタイン(ピアノ)、アシュケナージ(ピアノ/現・N響音楽監督)といった巨匠クラスの名前がずらずら並ぶ。楽団も著名なものばかりで、近頃クラシック音楽に目覚めた私には軽い目眩と、陶酔感。
おもわず係の人(劇場の係員なのか二兎社の人なのかは不明)に「この一覧表をもらえませんか?」と聞いてみるが、「配布用には作っていないので…。ご自分でメモをとって下さい」とのこと。20曲以上メモなど取れるか!ぐわーっ。携帯電話のカメラ機能だって限度があるよ。
サントラ欲しいです。ベートーヴェン好きなんで。