劇団名だけは耳に(目に)していたのだが、例によって例のごとく見逃し続けてきた。それが「本多劇場、初進出!」の公演というので、「それだけの動員力があるなら観てみるか」とチケットを確保する。
えーっと。物語が、登場人物たちの役割が、ちーっともわかりませんでした。
主役の漫才コンビ風祭(松重豊)&山際(中村まこと)と、埋め立て事業実施会社の関係がわからん。やくざの親分?と飲む場面などその場のウケを狙っている以外、その場面を描く理由が見えない。
物語の舞台が浦安なので、ゆかりの作家・山本周五郎(村上航)が登場するのは、まぁわかる。でも、なんで山本が登場しなくてはいけないのかが、わからん。
小岩井?の飲み屋のママ・りえ子(千葉雅子)がなんで後半20分位から突然登場して、デモを煽るのかがわからん。
そりゃあね、多少物語り展開についてゆけないくらいはかまわないんですよ。でもね、全面的に何がしたいのかわからないとなると、お手上げです。
チラシには、「プラスとマイナス。上げ潮と引き潮。無情な力が働いて、滑稽なボルテージをあげる人々の世界。それが電界」と書かれていたけれど、私には何故それを「電界」と定義するのかが、わからなかった。
私が小劇場特有の物語展開に慣れておらず、理解力が低いことも一因だろう。でもね、それ以前の問題として、脚本(千葉雅子)が中途半端なのでは? やりたいことが分散しているのか、描きたいことがまとまりきれていないのか、あるいは脚本は良いのだけれど演出(千葉雅子)が悪いのか? うーん。
観ていられない、というわけではなかった。一場面、一場面はそれなりにまとまっていたし、松重豊の演技と、中村まことの声が良かったのでそれなりに観続けることはできた。
でも常に「この舞台は、何をどうしたいのかなー」という思いを抱えながら観ていて、「それで、これは、だからどうなの?」と思考停止してしまっていた。
それじゃあ私は楽しくないのだ。
開演前「携帯電話の電源はOFFにしてください」のアナウンスがあり、「上演中、携帯の着メロ等が鳴らなかった場合は、ささやかながらお礼をします」ともアナウンスしていた。何のことかと思ったら、(今回は上演中の着メロ等が無かったので)カーテンコールの後で「携帯電話ネタ寸劇」があった。
これが、もう、どーしたらいーんでしょーか?!と天を仰いでしまうような寸劇。
観ているのも気恥ずかしく、聞いているのも切ない。全神経をアッチの世界に飛ばし、聴力をシャットダウンし、寸劇が終わるのを待つ。じっと我慢の子。着メロも鳴らず、タイマーも鳴らず、良好な観劇環境を得られたお礼が、この拷問なのか。ああ、私の許容量が小さいためにこの寸劇が楽しめないのか。このノリについてこれない人は猫のホテルを観るな、ということなのか。
いたたまれない思いを抱えたまま、劇場を出る。ま、こういう予想外の展開も、芝居道楽の楽しみではあるのだが。