自称☆芝居道楽委員会

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「アンデルセン・プロジェクト」
ルパージュ版

2006年6月29日(世田谷パブリックシアター)

外国人俳優による一人芝居ということで、見る前はちょっと構えてしまったのだが、字幕というハンデをものともしない舞台だった。

カナダでポップ音楽の歌詞を書いていたが、「アンデルセン・プロジェクト」のためにパリ・オペラ座に呼ばれた作詞家フレデリック。パリ・オペラ座のディレクター・アルノー。フレデリックの住むアパートの1階の風俗店で掃除係りをしているモロッコからの移民青年・ラシド。この3人をロベール・ルパージュ(作・演出・出演)が一人で演じ分ける。
落語のように、役者が右を向いたら熊さん役、左を向いたら八っつあん役、というやり方ではない。ルパージュは、その場面での役を髪型や服装によって固定している。そして作詞家フレデリックならフレデリックという役のまま、相手がいるとして会話を進行させるのだ。そこにいちぶの隙もない。

フレデリックは英語&フランス語圏らしく、わりと平易で分かりやすい英語を話す。字幕の補助があって、台詞の冒頭部分及びその後の展開さえ外さなければ、私(学生時代の英語の成績は常に「普通からちょっと下」レベル)ですら、3割は聞き取れる。おお!

オペラ座ディレクターアルノーはフランス人だから、フランス人らしくフランス訛りがきつい英語を喋る。子どもにアンデルセンの童話を読んで聞かせる場面など、聞き流しているとフランス語にしか聞こえなかったが、どうも超フランス訛り英語だったような気がする(嘘かも)。
子どもに話して聞かせる場面の、影の使い方も上手いなぁ。終演後のポスト・トークによると、あの場面は上演を重ねる中で生み出された場面&演出らしい。

言語使い分けの面白さや、アメリカ・カナダ・フランス・その他欧州各国のバランスゲームの面白さは、ルパージュ版の醍醐味。ルパージュ版の後、白井晃版(白井が一人芝居に挑戦。演出はルパージュ)が上演されるが、日本語上演でこのへんのニュアンスがどうなるのか、気になるところ。
この『アンデルセン・プジェクト』は、2005年3月にケベックで初演(ルパージュの出身地であり、この物語の主人公である作詞家フレデリックの出身地でもある)の後、世界各地で上演し、上演回数も150回を数えるらしい。そのなかでルパージュは常に物語の展開順やら挿話やらを含めた演出を変えてきている。
結局、私は白井版を観なかったのだけれど、ルパージュ版からどう変化したのだろう?うわー、今さら気になってきた。観ておけばよかった、白井版。うー、むむむ。

ポスト・トークで白井が「今日見たルパージュさんの舞台で、これで上演の形が確定しましたね」というようなコトを言ったら、すかずルパージュが「(明日のルパージュ版千秋楽では)change everything」と返したのには、大笑い。いやー、ルパージュならやりかねない。これまた観れば良かったか?千秋楽。

さて、気を取り直して。

さすがに「映像の魔術師」と称されているルパージュの作品。映像の使い方が鮮やか。
固定された背景としての見事な映像、登場人物とともに動く映像のきめ細かさ、そして何より映像にある重厚感と品の良さ。
これまで映像を利用した舞台はいくつか見ており、そのうちのいくつかはお粗末な映像に苦笑が漏れたものだ。最近の良かった映像といえば、ナイロン100℃の『カラフルメリィでオハヨ』のオープニング・クレジットであるが、ルパージュの映像を見てしまうと、ナイロン100℃のそれとて映像が流れているだけに思えてしまう。

例えば。背景の単なるタイトル・クレジット映像だと思っていたら、その映し出されているスクリーンにルパージュが貼り付き(実際にはスクリーンの下方に傾斜がついていてスクリーンに乗れるのだと思う)、スプレーで絵を描く。そのスプレーの実際の動きと、映像のによって描き出されるスピードの完全一致。
ルパージュにかかると、映像すら演技しているのだから恐れ入る。

パリ・オペラ座建物の静止映像による背景。
電車に乗っている主人公フレデリックの、後方に流れ去る風景の映像。
オペラ座内(別の歌劇場だったかも)の階段を昇るアルノーと、それにあわせて動く映像。
アンデルセン童話に描かれる空や、パリ市内の公園の林。
どれもが映像なのに、人間と関わって不自然さが無い。

それは、作詞家フレデリックが世話をすることになった犬の存在も同じ。実際に犬は登場させず、首輪の動き(これは舞台上手と下手からピアノ線を引いていたりする)だけで存在を示している。嘘くさいといえばあからさまに嘘くさいのに、それでも「この犬はこんなかんじなんだ」と納得させるだけの説得力がある。

説得力といえば。アンデルセンが女性の服を脱がす場面がある。女性といってもマネキンで、しかも顔や手足の無い洋裁の時のボディー人形。その人形に肌着やらコルセットやらをつけてドレスを着せているのだが、それらを脱がしてゆくのである。この場面が、もう、実にせくしーなのだ。
最初は「へー、コルセットってそこで着脱するのか」とか「スカートを膨らませる鳥かごって、そういう造りになっているのか」といったことに注目しておもしろがっていた。だが、そうやって服を脱がせてゆくルパージュの目に灯る妖しいつややかさを見てしまうと、そして、脱がされた服の行方を見ていると、「これはっ!」と息をのむほど、えろな雰囲気が劇場内に充満してくる。
それは決してマネキンに欲情するというヤバイえろさではない。マネキンを実際の女性よりもなまめかしく見えてしまう、そのルパージュの脱がせっぷりが、どうしようもなくせくしーなのである。
おそるべし、ルパージュ。

久々に、観劇中に「もう一度観たい!」と思わせる舞台にであった。幸せ。

採点:★★★★★

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