なんと初・ナイロン100℃である。しかも、初・ケラリーノ・サンドロヴィッチ作品である。最初の作品ではずしたくないという気持ちもあって、好評に付き再演を重ねて4回目のこの作品を選ぶ。
絶賛しておきたいのは映像(上田大樹)&照明(関口裕二)。
オープニングクレジットの映像は、舞台上の大道具を存分に活かした秀作。舞台に設置された出入り口から実際に役者が出入りしてみせる映像や、滑り台で腹筋運動してみせる映像など、実に巧み。トリッキーなことはしていないが、おおっ!と驚かせるものがあり、舞台だからこその計算し尽くされた映像の面白さが出ている。
そして照明。これもオーソドックスな色遣いではあるが、人物達の状況を的確に描き出している。海が見えて波の音が聞えるんだなーとか、病棟は白いんだなーとか、カラフルメリィなんだなーとか。饒舌になりすぎない程度に、でも必要なだけの存在感は示す、そんな照明。
話は良くできていて面白かった。
みのすけ(みのすけ)と祖父(山崎一)は、別人だけれど、いつのまにか存在が交差・交錯して行くのか。それとも祖父の内面がみのすけなのか。どちらとも解釈できるし、どちらと決めなくて揺らいだままでも展開できる。その、ちょっと浮いた加減が絶妙。祖父を取り巻く家族の姿も、昨今の老人介護問題を彷彿とさせてもの悲しくも面白く。
実際、この脚本を書いたときのKERAは、父親の余命が2ヶ月を宣言された状態。その病院の枕元でこれを書いたらしい。そのこともあって脚本家KERA自身が「ケラリーノ・サンドロヴィッチ一生に一本の私戯曲」と言っているわけですね。ふーん。
やっぱり役者とか作家とか自分を切り売りしている商売って、因果だよな。
そういえば、祖父役の山崎一は『ア・ラ・カルト』と『母・肝っ玉とその子供たち』、娘・奈津子役の馬渕英俚可は『アマデウス』、居候・浩一役の小松和重は『ゴドーを待ちながら』で見覚えた役者。
見たことがあるから注目していたわけではない。今回の舞台で見せる演技をしていたから注目したら、知っている・名前に覚えのある役者だった、と、そういうこと。そして、父・義彦役を演じた大倉孝二が、何故それなりの知名度を勝ち得た役者なのかも、分かった。
重たくなりがちな話を笑いでくるんで、じっくり&スッキリ見せる。しかも時代は『オレ達ひょうきん族』を放送していて、堀ちえみがピチピチ・アイドルだった1980年代(たぶん)。
この劇団の持ち味なのであろうナンセンスギャグを随所に取り入れ、客席をどっかんどっかんと笑わせている。私の後ろで観劇していたカップル(?)は、休憩に入って「面白いねー」「笑いすぎて腹痛てぇ」と言っていたし、終演後は各方面から「笑ったー」「楽しかったー」と喜劇性に喜ぶ声、声、声。
が、残念ながら、私はそんなに笑えなかった。ちょっと「くすっ」となる箇所も有りはしたが、声に出して笑える部分は全くない。それどころか、何故ソノ場面で笑えるのか、何が可笑しいのか皆目分からずとまどいすら覚える。
しかしまぁ、つらつら思い起こしてみれば、私は『ドリフ』も『ひょうきん族』も「つまんない」と思った過去を持つのだ。(勿論、今もそのテのものは笑えない。)だから、この舞台のてんこもりナンセンス・ギャグ笑えなくたってしょうがない。残念ながら、私の笑いのツボをはずした笑い(ギャグ)が満載だった、と、そいうことだ。