自称☆芝居道楽委員会

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シリーズ「われわれは、どこへいくのか」1
「カエル」

2006年4月10日(新国立劇場・小)

とにかくチラシが「なんだかなー」なデザインで、行く気は全く沸いてこない。題材にも脚本(過士行)にも演出(鵜山仁)にも全く食指は動かなかった。だが、じっくり見ると俳優陣が魅惑的じゃないですか。決して派手な名前ではないけれど、手堅く良い芝居をしている人達だよ。おお、これは観ねばなるまい! と劇場へ。
地味な演目のためか客席の入りは7割程度。

うわー、これ、面白いっすよ。うだうだとした不条理加減が絶妙。しかも役者4人のレベルが高い位置で揃っているから、観ていて安心だ。

そこで語られている地球環境に関する話題、例えば地球温暖化等による海水面の上場、食物連鎖による化学物質の濃縮、オスの精子の弱体化などは勿論話としては既知のこと。これらを熱く語られたのではこっちとしては引いてしまうが、劇中では惑わすかの如くだらだらと、そうかと思えば大発見かのようにしかし茶目っ気たっぷりに語られる。その語り具合のゆるさ、その初歩的な驚き具合、それが、面白い。
そして、同じネタが何度も繰り返されるだるさも、実にいい具合にリピートが効いている。これ以上重なるとくどくなるが、これ以下では繰り返すアホらしさが笑いにならない。その程度を心得ているな。

いやー、そもそもですね、新しい髪型をつくろうとしている理髪師(千葉哲也)と客(有薗芳録)という構図は、まぁ、それだけ聞けば何にも驚くべき存在ではないですよ。でも、そのために何年も理髪店に居座って髪型をどうするか検討している理髪師自身と客って…あはははは。ありえねー。
それでいて、そのありえなさ加減が妙にリアルなのは何?
しまいには海水面が上がってきて理髪店の床も浸し、居座り続けた理髪師と客の脚に貝(牡蠣だったかな?)が張り付くんですよ! すげえ。このナンセンス、たまらん。この体当たりのアホさ、好きだ。
しかも、しかも、貝の存在に気づいたときは驚いているけど、その後は「しょーがないよねー」と和んでいるあたりも、だるくて素敵。この気だるくて中途半端に前向きな二人を、自然に見せている役者の技量はたいしたもんだ。

床屋の周囲で稲作やってる女(宮本裕子)、理髪店を訪れる旅人(今井朋彦)この二人も絶妙。

まず、女。
床屋の周囲に雨を降らせたり、その後床屋の床を雑巾で拭いたり、田植えをしたり、稲刈りをしたり、地球(を模した岩?)を磨いたり、とにかく働く働く。時には「海はどんどん近づいてくる。女は子供を産まなくなる。可愛がるのはワンちゃんだけ。先生は出会い系サイトに夢中」などと歌うようにキーワードを語り、時には歌い、時には中国語で神託(?)を述べる。芸達者とはこのこと。
彼女はどういう存在なのだろう?と最初は不思議だった。だが、芝居が進んで行くと、彼女の立場とか意味とかそんなことは関係なくなってくる。あの女はあの女として其処にいる、それだけで充分。意味づけすら微かにしてしまう、存在が当り前になる存在。かといって圧倒的に場を支配しているわけではなく、その場があるからこそ存在し得ている女。なんて見事な人物像。

旅人は、旅人だった。
今井のクルクル髪が、年月を経ることでどんどんクルクル・ロング髪になってゆくのもいかにもで、しかもそれに蓑笠被るともう完璧。イカスぜ、今井。その格好で「世界の牛乳がみんな同じになってるんですよ!」と地球環境を憂えている、その姿もチャーミング。
理髪師と客と女、その3人のあり方に戸惑ったり憤ったりしながらも、旅人流にその場にとけ込んで行く様子もおかしみがある。澄ましてはいられないと慌てるときも、ちょっと達観してみせるときも、なんだかどこか浮世離れした風情があって、そのズレ具合がまた理髪師や客と微妙に噛み合っているあたりも愉快。

残念だったのは、ラストに登場した生きている蛙。役者達の手の上に乗せられていたようなのだが、バルコニー席からは全く見えず。うー、見たかった。カエル。

終演後、小劇場を出るとそこには水面がある。劇中の台詞「水がここまで来てるよ!」と重なって、ちょっと嬉しくなってしまった。(もともとそういうデザインのテラス部分?なんだけどね。)

採点:★★★★☆

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