明日で退官する古典学者アンドルゥ・クロッカー・ハリス(浅野和之)がとにかく圧倒的。意固地なまでに真っ直ぐに伸びた背筋と、動かされることのないような表情。全てを諦めたようでいて、何かを内に秘めた佇まい。
ギリシア語の訳を訂正する場面、新学期の時間割を喜々として説明する場面、「5級下のヒムラー」に衝撃を受ける場面、『ブラウニング・バージョン』を贈られて心が激しく揺らぐ場面、「妻は私には嘘をつかない」とかたくなになる場面、「妻に対しては既に罪を犯している」と告白する場面、「タプロウ君は進級できますか?」に答える場面、ラストで受話器を手にする場面。どの場面をとっても鮮やか。
訥々として流れに身を任せているようで、明快に筋を通す。自分の意見を言う時はもとより、他の人の発言を聞いている時の剛直とさえ言えるその姿。まるで、揺らぎそうになる心を、鋼鉄の姿勢で押し包んでいるよう。観客の誰もがクロッカーの気持ちになって、心を激しく揺さぶられ続けた2時間だったろう。そこに浅野和之はなく、間違いなくアンドルゥ・クロッカー・ハリスがいた。これぞ名優による名演。そういえば浅野和之って『ルル〜破滅の微笑〜』でルルの父を演じた人だわね。うん、なんとなく覚えている。
私ごときの賛辞や、演技に対する解釈など、この演技の前には無意味。浅野のクロッカー先生を観てくれ!と言うしかない。
科学の教師フランク(今井朋彦)は、前半の余裕を見せた雰囲気から、後半のクロッカーとの1対1での緊迫感まできっちり演じ分けて好印象。特に「奥さんと別れた方がいいですよ」の後の沈黙。時間が止まったかに見える中で駆けめぐる思考とその対決が、浅野クロッカーと今井フランクの間で壮絶に繰り広げられ見事。クロッカーの妻ミリーへの気持ちが完全に切れた場面も、その切れた音が聞えるよう。
上記2名以外は、ぶざま。
その筆頭がクロッカーの妻ミリー(内田春菊)。「貴方は私に会いに来るのよ!」と強気に出たかと思えば「可哀相なのは私だわ」と情で迫り、ついには「貴方がいないと駄目なの」と泣き落とす、私が最も嫌っているタイプの女。そういう人物造形だから、内田の演技が鼻につくのかと思ったが、どうやら役の取り組み云々以前に、内田の芝居が駄目らしいことに気づく。
それが顕著なのがラスト。受話器を握るクロッカーをミリーは後ろから見ているのだが(この場面は二人とも背中の演技)、ミリーは最終的に首をうなだれる。これが決定的に意味不明。内田の演技を見ているだけでは何も伝わってこず、しまいには「首が重たいのかなぁ」とさえ思ってしまう。観客は物語の展開上から推測し、最大限の善意的解釈であのうなだれを理解したはず。
新任教師(佐藤祐基)は、可もなく不可もなく。浅井クロッカーの完璧な佇まいの前に、新任がピヨピヨに写るのは、それが演技だろうと素だろうと「まぁ実際若輩者な役だからいっかー」という投げやりな気分。それでも決定的に場を崩していないだけ救いがある。
落第瀬戸際?!な生徒タプロウ(池上リョヲマ)は、ドタバタ君すぎて見ていて息切れがする。特に開演直後の3分くらいは彼1人が舞台にいてあたふたしているのだが、これが拷問的に長く感じる。『電車男』より挙動不審。
校長(岡田正)のとってつけたような笑いは、白々しいにも程がある。仮にそういうキャラクターとして作っているのだとしたら、再考すべきだと思う。
新任教師の妻(一戸奈美)に至っては、かける言葉も少ない。20年前のアイドルのような衣装、大昔のぶりっこを彷彿とさせるしゃべり、女に嫌われるタイプの女の笑い声。舞台の設定から見事なまでに浮いている。
内田、佐藤、池上、佐藤、一戸の5人の演技を許しているという時点で、演出家(鈴木裕美)の力量不足を非難したくなるというのは、惨いだろうか?(反語)